第3話 悍ましい慣習
「ああ。リヒトの好きに使いなさい」
王宮近衛騎士団への指揮権が欲しいと言った私への父王の返事はあっさりしたものだった。
こんなことでいいのだろうか?
私はまだ3歳の子供だ。ここは、「騎士団はおもちゃではない」と一度は諌めるべきところではないだろうか?
ゲームの中のリヒトがわがまま放題の悪役王子でなかったのが不思議なくらいに王も王妃も息子に甘い。
私は父上と母上の溺愛ぶりにこれでいいのかと内心首を傾げながらも、「ありがとうございます」と王に頭を下げてから執務室を出た。
王はお茶でも飲んでいったらどうかと私を引き留めたが、そんな暇はないのでそれは丁重にお断りした。
次の日、私はいつもの訓練場ではなく、両親の執務室に挟まれている勉強部屋でグレデン卿に会った。
私の勉強部屋を訪れたグレデン卿は少し居心地の悪そうな表情を見せた。
私はグレデン卿にソファー席を勧めた。
お茶を出してくれたメイドを下がらせて、乳母だけを部屋に残す。乳母は静かに私の後ろに立っていた。
「剣術の師匠をこんなところにお呼びしてすみません」
私が謝罪するとグレデン卿は慌てて「いえ」と答えてくれた。
「昨日、騎士団長からグレデン卿の弟さんのことを聞きました」
グレデン卿は驚いたようにその目を見開き、それから緊張した表情を見せた。
「決して、王子の剣の指南役を軽んじていたわけではないのですが……」
どうやら、グレデン卿は私に怒られると思っているようだ。
「違います。グレデン卿を怒るために呼んだわけでも、不満を言うために呼んだわけでもありません」
私は父上から騎士団の指揮権をもらったこと、そして、グレデン卿の弟さんの失踪事件の調査を行おうと考えていることを伝えた。
グレデン卿は最初こそ驚いていたが、しばらくすると深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」と言った声は、少し震えていたような気がした。
「それで、リヒト王子の望みはなんでしょうか?」
「え?」
「リヒト王子はずっと私を観察されていましたよね? 私が信頼できる人物なのかどうかを見極めていたのではないですか? 私に、何か命じたいことがあって」
「鋭いですね」
「これでも騎士ですから」
自分の探るような眼差しに気づかれていたことはなんだかバツが悪かったが、私のお願いを聞いてくれるというのは単純にありがたかった。
「ある家族のことを見守り、動きがあった時には教えてほしいのです」
「それはなぜかお聞きしても?」
「ごめんなさい。理由は言えないんです」
この先に起きる未来の出来事を知っているなんて言えるわけがない。
グレデン卿はしばし考えてから言った。
「……それなら、私の弟の調査の一環としてはどうでしょうか?」
確かに、実際起こっている事件の調査に必要な事柄として複数の貴族の動向を探るように命じ、その貴族の中にカルロの家も入れておけば、理由も話せないままにカルロの家の動向を探れと指示をするよりも自然だろう。
「なるほど。それは思いつきませんでした。さすがですね!」
「いえ。王子の方がすごいですよ。今の私の言葉だけでご理解されるとは……騎士団長も言っていましたが、本当に3歳なのか疑ってしまいます」
私も本当は中身が52歳なんですって言ってしまえればどんなに良かったことか……
私はこほんっと咳払いをひとつして、身を乗り出して少し声を顰めた。
「それでは、まずはこれまでグレデン卿が調べた内容について教えていただいてもよろしいでしょうか? 私はおそらくグレデン卿は弟さんを家から連れ出した人の目安がついているのではないかと考えています」
グレデン卿は驚いたように息を呑み、私を凝視した。
「グレデン卿はすでに犯人を追及することは諦めているのではないですか?」
「その通りです……なぜ、お分かりになったのですか?」
私はまずグレデン卿が実家の公爵家の騎士団ではなく王宮騎士団にいるところから疑問を持ったと、グレデン卿が父親である公爵を疑っていることに気づいた経緯を話した。
「騎士団長との会話だけでそこまで気づかれるとは、本当に王子はすごいですね」
「しかし、私にはそこでまた疑問が生まれました」
「なんですか?」
「王宮騎士団にいるよりも、公爵家に残ったまま探りを入れた方が弟さんの居場所を示すヒントが掴めたのではないでしょうか?」
私の言葉にグレデン卿は気まずそうな表情を見せた。
「王子、お恥ずかしながら、私は相手の裏をかくような……頭を使うことが苦手でして……」
「お父上を疑っているということがすぐにバレてしまったのですか?」
「いえ……」
グレデン卿は少し口ごもり、その視線を彷徨わせた。
「直接、聞いてしまいました」
私は一瞬、絶句した。
苦手というレベルではない。犯人に「犯人ですか?」なんて聞いて「はいそうです」なんて答えてもらえるわけがない。
それどころか、証拠となる証拠は全て隠されるだろう。
冷静になるために私は一度目を閉じ、額に手を当ててしばし考える。
「その時のお父上の反応はどうだったのですか?」
そこから少しでも情報を得られたのだろうか?
「お前には関係のないことだと言われました」
「……え?」
それって、グレデン卿の弟さんをどこかにやったのは自分だと言っているようなものではないか?
つまり、「犯人ですか?」と聞いて「はいそうです」と答えたようなもの……
「実の子供であっても虐待や、どこかに売り渡すようなことは犯罪ですよね? どうして、父親を捕まえなかったのですか? 家族による情からですか?」
そう問い質した私にグレデン卿は少しだけ不思議そうな顔をして、それから「そうか……」と力のない声を漏らした。
「王子はやはりまだ3歳だったのですね」
そんな当たり前のことをグレデン卿は言って、苦く笑った。
「そんな幼い王子にこの国の穢らわしい慣習をお伝えすることには躊躇がありますが……」
穢らわしい慣習とはなんのことだろうか?
「この国では下位の貴族が上位の貴族に交渉材料として子供を贈る悪しき習わしがあるのです。特に、弟は母親似の可愛らしい子でしたから」
思わぬ言葉に私は頭が真っ白になり、グレデン卿が何を言っているのかわからなかった……いや、理解することを脳が全力で拒否していた。
「力のない貴族は自分たちよりも力を持つ貴族に子供を差し出して、後ろ盾を得たり、資金を得たりするのです。よほど困窮していなければ長男や長女がそのような立場になることは滅多にありませんが、三番目、四番目の子供となると一番上の子供に何かあった時のための予備という意味も薄くなりますから、家のために犠牲になることは珍しい話ではありません」
だからか……と、急に納得がいった。
ゲームの中でカルロの過去を語ったのは本人ではなく情報屋だったのだが、ヒロインと一緒にその話を聞いていたリヒトは特に驚いた様子を見せなかったのだ。
そのリヒトの様子に違和感があるというか、私にとっては非常に不気味に感じる場面だったのだ。
しかし、ここエトワール王国では子供のやり取りを誰も犯罪だと思わず、むしろ家に利益をもたらす方法だと思われていたのであれば、リヒトのあの薄い反応も頷ける。
彼にとっては聞き慣れた話だったのだろう。
「王子、大丈夫ですか?」
グレデン卿が私の顔を覗き込んできた。
その眼差しは本当に心配してくれているのだとわかるものだった。
「……グレデン卿はどうお考えですか?」
私の質問の意味がわからずにグレデン卿は首を傾げた。
「子供を、そのような方法に使うのは有効な手段だとお考えですか?」
もし、そのように考える人物であるならば、私は彼を信用することはできないだろう。
たとえ、そのような慣習の中で育ったとしても、人の尊厳が失われたような行為に賛同するなど、正常な精神だとは思えない。
「いえ」
きっぱりとしたグレデン卿の声が私の耳に届く。
「子供はもっと尊重されるべきです。家のためではなく、自身のために生きるべきです」
「……それが、弟さんじゃなくてもそう思われますか?」
「もちろんです。全ての子供たちが守られるべき存在です」
私は思わず両手でグレデン卿の大きな手を握っていた。
「グレデン卿、私と一緒にそのような国を作りましょう!」
彼は驚きにその目を少しだけ見開き、それから少し悔しそうな表情を見せた。
「はい。絶対に作りましょう……もう、弟のような子供を出さないために」
私は気持ちを少し落ち着けて、それから絶対に聞かなければいけないことを聞いた。
「グレデン卿……城の中は、すでに探したのですよね?」
グレデン卿の家は公爵家だ。息子を下の階級の貴族に渡しても意味はないだろう。
そうなるとグレデン公爵家よりも力のある公爵家に渡すか、公爵家の上の階級……王家に渡すことになるだろう。
「はい……しかし、城の中にはいませんでした」
「くまなく探したのですか?」
グレデン卿はしっかりと深く頷いた。
「王子にこのようなことを言うのは失礼ですが、私は前王を一番疑っていましたから、警備のふりをして前王の寝所に探しに行ったこともあります。しかし、弟はいませんでした」
「そうですか……」
私は少しほっとして息を吐いた。
しかし、その私の様子にグレデン卿は困ったような表情を見せた。
「後で知ったことなのですが、前王の好みは線の細い美少年でした。私の弟は可愛い顔をしていましたが、私と一緒に剣の稽古をしていましたから歳の割にはがっしりとした体格でした」
「では、一度は城に連れてこられた可能性もあるのですね?」
「ええ。きっとすぐに他の貴族に下げ渡されたのだと思います」
「公爵家のご子息を下げ渡すなどということがあるのでしょうか……」
「お恥ずかしながら公爵家とは言っても我が家は名ばかりで、他の公爵家と比べると貧しく、派閥に入る貴族も少なく、振るえるような権力は乏しいのです。ですから、資金を得るために裕福な中級貴族に売った可能性もあります」
まさか、グレデン公爵家がそれほど困窮しているとは思わなかった。
これはグレデン卿の弟さんの捜索を名目に一度グレデン公爵領を視察に行った方がいいかもしれない。
領地の民たちがどのような生活を送っているのか見てみる必要があるだろう。
「しかし」と、グレデン卿の話は進んだ。
「体面を重んずる父ですから、おそらく一度は弟を王に献上し、その後に下げ渡された貴族から何かしらの利益を得たものと思います」
「もし、弟さんが王家に献上されているのであれば、何か記録が残されているはずですから調べてみます」
「調査の際は、私を護衛としてお連れください」
「護衛、ですか? 私はまだ公にされていない身ですから、護衛をつけることができないはずです。代わりになかなか腕の立つ乳母が側についてくれています」
「王子は賢いのに、自分のことには警戒心が薄くなるようですね」
「どういう意味ですか?」
「先ほど話した前王の好みの男児をお忘れですか?」
「覚えていますよ。線の細い美少年ですよね? それがどうかしたのですか?」
「王子はまさに前王の理想だと思います」
「……え?」
「前王が現王に王位を譲ったのはまだ50代の頃です。歴代の王と比べても、戦死でもなく、戦で深手を負ったわけでもなく、病気で床に臥せっているわけでもないのに早すぎる王位継承です」
グレデン卿の話の流れに私は緊張した。
「なぜ、そんなに早く王位を譲ったのか……それは、現王を忙しくさせ、王子に近寄れる隙を作るためだと噂されています」
背筋にゾワッとした寒気が走った。
「……わ、私は前王の実の孫なのですよ?」
「前王は王太子の頃から自由奔放な方でした。現王は幸か不幸か体格がよく顔も凛々しくおられるので前王の興味を引かなかったようですが、側室のお子様の中には……」
血の気が引き、胃の辺りがムカムカしてきた。
このまま話を聞いていたら嫌悪感に吐いてしまうかもしれないと思った時、乳母から声がかかった。
「グレデン卿、そこまで言えば王子は察することができますので、お言葉は控えていただけますでしょうか?」
ずっと私の後ろで控えていた乳母がグレデン卿の言葉を遮った。つまり、それは今の話が真実だと明言しているようなものだ。私はあまりの悍ましさに言葉を失った。
「リヒト様、本日の面会は終了してお体を休めてください」
乳母の言葉に私は頷いた。
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