猿の手⑥
佐藤は、眉間にしわを寄せたまま、車のエンジンを切って外に出た。森の木々に囲まれていてよく見えないが、道路から離れて少し歩いていけるところに、件の入り口があった。既に即応部隊は到着しているし、彼らのおかげで周辺の封鎖も済んでいる。
入口の近くまで行けば、幾人かの人間―状況からして職員だろう―がたむろしているのが見える。その内の一人、ガスマスクを着けた、パワードスーツえお装着している人型に、彼女は話しかけた。
「状況は?」
ん、と随分くぐもった声がガスマスクから聞こえてきて、低い男性の声が次に聞こえてきた。
「アンタの所の職員が一人で戦ってる。捕獲用の設備はあいにく使えん、運び込むには通路が狭すぎるからな。上からのお達しで、目標物は捨てて良い事になった」
「……そうか」
「もうあと三十分もすれば突入の準備が―」
「待てん。ウチの部下だ、私が責任をもって助けに行く」
「そうか。好きにしろ。上からアンタの行動を止めろとは言われていないからな」
今やがらりと人の変わった友人の姿を想浮かべながら、彼の手の平で踊らされる不快感を露わにして、佐藤は個人装備を着け始めた。
「佐藤マイ、内部に突入するぞ」
強い衝撃が体中を這いまわるの感じながら、赤山ヒイロは刺突の構えをとっていた。
「(じき応援が来るはずだ……そうなれば幾分かこちらが有利になるが、それまで耐えられるか……!?)」
痛みが焦燥を生み、心を襲う。
敵はどう攻める? どこからくる? 次はどんな攻撃を繰り出してくる?
戦闘において当たり前に考えている一つ一つが、焦燥の一因になろうとしていた。だが、考えていても状況は動かない。いや、むしろ敵に形勢が傾くやもしれぬ。攻めたくはない。常人離れした膂力を持つ、あの巨人の懐に飛び込むというのは、並大抵の覚悟しか持たぬ者には辛かろう。
だが、赤山はそれを責任感で有耶無耶にしてしまえる人間だ。
「(僕がやらなきゃ被害が広がる……! 多少の怪我は無視していい、痛いのは嫌だがそれしかない!)」
刹那、一閃。
神速の速さを以て巨人の懐に入った赤山は、その刀を筋肉質な腹に突き刺した。そのまま切り上げ、敵の巨体に斜め一筋の赤い傷跡が浮かび上がった!
だが、なおも巨人は攻める手を緩めず、激しい閃光があたりに迸り、煙が辺りを覆い尽くしてしまった。
「(くそ……カンが鈍ってる………長いこと現場にいなかったツケだな)」
書類作業ばかりの弊害がここにきて浮き彫りになっているな、と赤山はそう感じた。本人は気付いていないが、この状況下においてその思考が可能であることは、従って彼にはまだ余裕があることを意味している。
だが手詰まりなのは確かである。一人で攻めるには、手数が足りない。一対一の戦いで困るのはいつも決まって手数なのだ。
ただの力押しで倒せる相手はそういない。ましてや、眼前のこの巨人は純粋なパワーで言うならば絶対に勝つことはできない。
「(どの道できることは限られてる……時間稼ぎ、ただそれだけしかできない!)」
走り、斬る。体を捻り、殴る。良くも悪くも、戦闘開始直後に受けた一撃は彼の生命を脅かし、7年前の記憶を呼び覚まし始めていた。
過去の動作のトレース。極限まで研ぎ澄まされた感覚が可能としたそれは、確かに眼前の敵からの被弾を減らし、さらなる継戦を可能にした。だがそれでもなお―。
「クソ――」
爆音とともに辺りに閃光が迸る。爆風が辺りに満ちあふれて、煙が充満する。そう、何がどうあれ出来ることが限られている以上、出来ることは時間稼ぎのみ。他には何もない。
だがそれは―。
「……マイ!」
「ひどい姿だな、鈍ったか?」
―それは、己一人のみであるときの話である。到着した援軍は、再びこの状況を変えるゲームチェンジャーとなり、この戦闘に終止符を打とうとしていた。
異常物品収集管理室 名無し卿 @kai569
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