【短編】さよなら。Mr.ソングライター
鷹仁(たかひとし)
さよなら。Mr.ソングライター
三年ぶりに帰省した実家の勉強机には、一冊のメモ帳がぽつんと置かれていた。触れるのをためらうように、僕はその前に腰を下ろした。
気づいたら、僕が机に向かい合ってもう三十分は経っている。集中したいからと電源を切ったスマホには、もしかしたら知り合いから何件か連絡が入っているかもしれない。
「何やってんだ、僕は」
みんなで詩を書こうと、小学校からの友達と約束をした。家に帰って、約束なんてしなきゃよかったと後悔した。それでも、僕たちがMr.ソングライターに出来ることはこれしかない。だから今更引けないのだ。言い出しっぺの僕が書けないのはまずいと、大学受験以来使ってこなかった脳の領域に必死に血を送る。タイムリミットは今日の夕方。
背が伸びて用途が無くなった足置きに何度か足を乗せた。頭を搔いたり、右手のボールペンを神経質に何度も叩く。それでも、目の前の罫線付の紙にはへにゃへにゃとした輪郭のない模様しか浮かび上がらない。
「リズムが取れない、パンチラインが浮かばない、そもそもオチとして弱い……」
ペンを握るたびに手が震えた。これでいいのか、こんな言葉で彼に届くのか。答えのない問いが、頭の中をぐるぐると回るだけだった。
それに、これを書いても欲しい言葉が返ってくるわけじゃない。届ける相手が不在。そんなのはわかっているけれど、書かなきゃいけなかった。
ペン先が紙に触れるたび、彼の笑顔が頭をよぎる。
頭の中では彼の詩に届いてるはずなんだ。それでも言葉にするたびに薄っぺらくなる自分の詩に、嫌気がさして二重線を引く。
「アイツ、こんな頭使うことをさらっとやってたんだ」
唸って唸って、紙を一枚千切って、再び白紙に挑む。食いしばる歯が、ミシシと鳴る。
大人になってから答えのない解答を出す機会は増えたが、それが得意になったかと言えばそうでもない。
それに、僕がこの詩を送る相手は、小学校の同級生だった。
秋風と共に移った視線の先には、卒業アルバムが開かれている。
そこには、二十年前の僕たちがいた。
すべり台を逆走し、アスレチックネットを這い上がった僕たちは、遊具の頂点から校庭を見下ろして『世界を手に入れた』気分になった。
「俺はMr.ソングライター!」そいつがギターを弾く真似をしながら叫ぶと、僕たちは笑い合った。
「名前に英語混じってるってかっこいいよな。僕たちにもなんかそういうのくれよ」
僕が頼むと、ふふんと得意そうに鼻を鳴らして彼は頷く。
「分かったよ」
流行りの曲で替え歌を作るのが好きなMr.ソングライターは、ネーミングセンスも抜群だった。
「お前は
「お前は
まず、僕の隣に座るエビちゃんこと
「そんでお前は……」
ついに僕の番だ。僕は何かしらの名前を貰って、みんなでMr.ソングライターの作詞した替え歌を大声で歌った。
――記憶は、そこで途切れている。僕はなんて名前を貰ったっけ。
そもそも、彼はどんな替え歌を作ってたっけ。
「アイツ、どういう感情で替え歌作ってたんかなあ」
一時間考えて、ようやくメモ帳の半分を詩で埋めた。後、二、三行で何とか作品は形になる。
スマホの電源を入れると、三人のグループラインにメッセージが入っていた。
エビちゃんと英雄からだった。
「Mr.ソングライターの家、来れる?」
今夜が通夜だから納棺がある三時までに詩を書き終わらないと間に合わない。
Mr.ソングライターは、僕たちとは違って就職をせず、創作で食っていく道を選んだ。金がなくても何かを生み出すだけで幸せそうだった彼が、三十を目前に少しずつ変わっていった。弱気なつぶやきが多くなり、新作の更新も少なくなっていった。
僕たちは、それぞれの仕事で忙しくて会わなくなった。時間が経つにつれ、彼が今何をしているのか分からなくなった。おそらく、創作を続けているのだろうと思っていた。僕たち四人は少しずつ疎遠になりながら、それでも自分たちの選んだ人生を必死で生きていた。
一か月前、SNSで、Mr.ソングライターが「もう創作は無理だ」と呟いた。みんなからの返事はなかった。
その三週間後、彼の死を知らされた。
生活費を切り詰めて、不摂生がたたったのだろう。過労もあったと思う。
Mr.ソングライターは、一人暮らしのアパートで倒れていた。連絡を取る相手もおらず、見つかった時には既に手遅れだったという。
親元に戻った彼は、静かにこの世を去った。
詩を書きながら思った。これはMr.ソングライターへの贈り物であり、自分自身への手紙なのだ、と。大人になるにつれて離れてしまった過去の自分への言葉だと。
残りは走りながら考えよう。僕はメモ帳とボールペンを掴み、スーツの皴を伸ばして家を出た。
「よし。行く」
小学校を挟んで僕の家と反対にある彼の家から、焼香に来ていた親族が数人出てきていた。もしかして遅かったか。
「おう! 優ちゃん」
家の前に、エビちゃんと英雄が立っている。
「まだ大丈夫。納棺はこれからだってさ」
僕たちは家に入った。喪服姿で、Mr.ソングライターのお母さんが出迎えてくれた。「ありがとう。よくきたねえ」家に遊びに来た時に、何回聞いたか分からないトーンで。彼女にとっては、僕たちは小学生の頃のまんまだった。
「おばさん。これも一緒に入れていいですか?」
僕たちはMr.ソングライターのお母さんに詩を渡す。最後の方は殴り書きでブレブレの字になった。インクの付いた僕の手を見て、お母さんが涙をこぼした。
詩を手渡した瞬間、胸の奥に閉じ込めていた思いがじわりと溢れた。これが最後の言葉なんだ、彼に届ける最初で最後の詩なんだと、初めて実感した。
帰り道、久しぶりに三人で話した。
「俺も詩作ってみたんだけど」
「約束だったしな」
「やっぱMr.ソングライターみたいに上手くいかないもんだなあ」
出来た直後は完成度が怖かったけれど、結局、三人ともドングリの背比べでホッとした。
小学校を卒業した後にはほとんど歩くことがなくなった道に、三人の影が伸びている。
「そういえば、僕ってなんてコードネームだっけ」
「覚えてねーの?
「えっ? なんだその中二病っぽい名前」
エビちゃんが吹き出し、英雄が「いや、むしろかっこいいだろ」と真面目に返す。
「確か元ネタが流行ってたカードゲームのレアカード」
「ああー、確かによく使ってたわ」
「Mr.ソングライター、ゲームめちゃくちゃ強かったよな」
三人で笑い合いながら、少しだけあの頃に戻れた気がした。
「後、お前の名前が
「あー」
彼の創作の原点が、僕の中でようやく腑に落ちる。
結局、彼の頭にあったのは、皆で遊んだ記憶だったのかもしれなかった。
Mr.ソングライターのお母さんの厚意で、葬式が終わってから火葬場に参列させてもらった。死化粧で綺麗になった彼は、小学生の時と同じく得意げな顔をしている。
分厚い鉄扉の奥で、彼の遺体が燃えていた。
「さよなら。Mr.ソングライター」
僕たちが入れた詩は、焼き場の煙突からひと筋の白い煙になって青い空に上っていった。
【短編】さよなら。Mr.ソングライター 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi
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