始めよう

「なぁ、新入生」

 声をかけられて、アタシは我に返った。

 うっとりと先輩の手を見つめていたことに気付き、慌てて手を離す。

「あ、はい!」

「名前を聞いてなかったなと思ってな。なんていう者だ?」

 まるで小説から抜け出てきたような話し方。それなのに、なぜか違和感を感じない。むしろ、この人にぴったりだと思えてしまう。不思議な感覚だった。

「え、えっと、アタシは一年の南条千早です」

「ほう、千早か。私は二年の来田花蓮だ」

 花蓮、という名前を聞いて、先ほどの妙齢の女性が呼んでいた名前を思い出す。

「あの、さっきの方が花蓮って……」

「……ああ、それは多分顧問の先生だ。特に気にしなくていい」

 気にしなくていいというにはかなり重要な存在な気もしたが、先輩が気にしなくていいと言うならいいんだろう。そういうことにしておこう。

 先輩は、乱雑な机の上の本を片付けながら話を続ける。どうやら座るところを作ってくれているらしい……?

「で、千早よ。お前は文学をどう思う?」

「え? あ、その……よく分からないです」

 正直に答えると、月城先輩は動きを止めた。そしてそのまま、アタシの目の前に来て顔をじっと見つめる。

「こういう作品が好きとか、ないのか」

「アタシは、えっと……ファンタジーとか……なら、少し? 読んだことあります」

 一時期、世界的に有名なアニメ作品にもなっている小説を読んでいたことがあるのは本当だ。まぁ、自分の意思だったかは思い出せないけれど……。

「少し、か……なるほど。では、創作の経験は?」

 次々と質問を投げかけてくる先輩に、アタシは少し緊張しながら答える。

「まったくありませんけど……」

「何故私のところに来た!」

 先輩は分かりやすく机を叩いて、そう聞いてきた。

 しかしここで調子良く先輩の声が好きで……と返したら帰されそうな気がしたので、なんとか頭を捻ってこの場を切り抜くためのちょっとした方便を作り上げる。

「こ、これからいろいろ知っていこうと思って!」

「これからねぇ……」

 先輩は片付けるのをやめて、パソコンの前に座ってしまった。一気に歓迎されていない雰囲気になってきたので、アタシは動揺する。

 そりゃあ、動機は不純かもしれないけどさ!

「いいじゃないか花蓮。どうせお前一人だったら、ここは部として認識されないと分かっているだろうに」

 ゲッと分かりやすく嫌そうな声を出す先輩に驚いて扉の方を見ると、さっきアタシを案内してくれていた女性が立っていた。

 いつからいたんだろう。もしかして、顧問だからずっと……?

 だとしたら、中に入ってくればいいのに。しかしこのムードを壊してくれているのには感謝しかないので、何も言うことが出来ない。

 でもなんか部として認識されていないって聞こえたけど、気のせいかな? うーん?

「……だとしても、文学に興味のない人間が入ってくるのは困る」

「お前が教えればいいじゃないか。なんの問題がある? むしろ最高傑作を生み出すチャンスだというのに」

 これだから花蓮はと、やれやれと言ったふうに肩を竦める妙齢の女性。

 ……最高傑作って、どゆこと?

「……なるほど。そういうやり方もあるのか」

 花蓮先輩はそれの助言からちゃんと学んでしまったようで、片付けを再開してくれた。

「ところで千早、お前はこれからの予定はあるか?」

 片付けながら、先輩はそう聞いてくる。

「いえ、特には……」

「ならば、今から文芸部の活動を始めよう。私の世界を理解してもらわねばならない」

 花蓮先輩の目が輝きを増す。これから始まる物語の予感に、不思議とアタシの心臓も高鳴ってしまった。

 こうしてアタシの、奇妙な文芸部生活が幕を開けたのだった。

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