第22話 悪役貴族追放②
レベルの低い兄の姿が赤い光と青い光で埋もれている。
魔眼。エドガーの唯一無二の才能。
魔眼では二種類の光を見る。赤色は人体の弱点。青色は動きの弱点。
青い光。あらゆる物は動くと弱点が移動する。
重心がずれるから。
例えば着地の瞬間。
蛇の如く低い姿勢で、そこに木刀を振るう。人の身体は着地に向かい、重心がずれる。だからほんの少しの力でバランスを崩す。
動きの弱点に力を加える。
それだけで生物は身体の制御を失う。
「はえ?」
兄は地面に寝っ転がっている。目をぱちくりとしながら空を見上げていた。
「立ちましょう兄様。最後ですから本気を見せてあげます。今は指導の時間。昼寝の時間ではありませんよ。あなたの始めた時間だ。誘っておいて、勝手に寝るのはおかしいでしょう?」
「あ、ああああああ!」
兄が勢いよく立ち上がる。
「舐めるなよ! 愚弟が!」
今度は赤と青の光の点に、木刀で軽く触れる。
兄の身体が冗談のように宙に浮かび回転、そのまま地面に顔から着地した。
「ぐぇっ!」
カエルのように地に伏せている。
もっとわかりやすく絶望してもらう。
兄の攻撃動作の始点であり起点の場所に、木刀の剣先を添えるだけ。
大上段からの攻撃。その動き始めの動作を剣先で押さえる。動きの濃い青の一点に剣先を添えただけ。
「な」
兄は攻撃の始点を抑えられ、こちらに向かって動けない。技を繰り出さない様に驚きを隠せないようだ。
彼は仕切り直しとばかりに、大袈裟な動きで後ろに飛び、間合いをとった。
汗を懸命に拭っている。
「魔術か! 呪術か! ひ、卑怯者が!」
「いえ。ただの、兄様にない俺の才能です。凡人な兄と違い俺は天才ですから。それに俺に魔力がないことを一番知っているのはあなたじゃないですか」
エドガーは幼い頃から魔力を持たないことを、兄に馬鹿にされ続けてきたキャラクターだった。
兄は肩を震わせる。
叫びながら襲ってきた。
攻撃の始点潰し。
全ての攻撃を封じる。
ただ繰り返す。
エドガーの人生の分も、愚兄の自尊心を破壊する。
本気を出せと言われたから。
本気で自惚れを潰す。
二度と剣が持てなくなるくらいに、鼻っ柱をぶっ壊す。
井の中の
あんたは雑魚。
名前すら与えてもらえない魚。
どうしようもない雑魚だ。
わかるまで繰り返す。
「あああああああああ!」
「叫んでもうるさいだけです」
「ちくしょうめが!」
「
兄は泣いていた。
叫んでも動きの始点を潰され、技にならない。ただ叫んで、固まるだけ。
滑稽だった。
「ちくしょうちくしょうちくしょう!」
兄は木刀を投げ捨てた。そして叫ぶ。
「剣を持ってこい! あの剣だ!」
「しかし、旦那様が――」
彼の従者が戸惑う。
「うるさい! 俺に逆らうな! 魔術の才能なきエドガーに
まだ折れない鼻だけはすごいと思う。根性か自惚れか。
魔剣に頼ってまで勝とうとする、その思いはどこから来るのか。
確かにエドガーは魔術を扱えない。魔力がないから。ヴィクトル家の生まれであって、その存在の象徴とも言うべき由緒代々伝わる家宝を扱えないのだ。だから無能。だから魔術の才能が少しあった兄に見下されていた。
物心ついてからエドガーは馬鹿にされ続けてきた。
そして亜人すら包むはずだった器の大きな性格は曲がり、全てに言い訳する、自身が傷つかないよう見苦しく保身のために生きる無能な悪役貴族へと至ったのだ。
だが、本来エドガーには武術の才があった。
人を壊す悪の才能でもあり、理不尽を打倒する英雄の才能でもある。
それはエドガーすら知らなかった、唯一無二のモノだ。
兄は魔剣を持ち自信を取り戻したように笑みを浮かべた。
「本物の剣でやりあうぞ。殺し合いだ」
従者が持ってきた真剣を投げて渡される。
俺はその剣を拾い、木刀と共に彼の従者に渡した。
代わりに洗濯物を干している、短めの物干し竿を掴む。
一度二度と振りながら、魔剣を持つ兄と対峙する位置に移動する。
「いえ、俺はこれで十分。殺し合いはできません」
物干し竿を揺らして見せる。ついでに笑ってみた。
「全力でやります。かかってこいよ雑魚」
兄は顔を真っ赤にした。
「き、貴様あああ! 殺してやる!」
魔力が溢れる。魔剣が光を帯びた。
魔剣雷神……ヴィクトル家に伝わる剣。
魔法による術者強化。高速移動と、神速の剣技を可能にする魔剣だ。
他の者にとって、消えたように見えたことだろう。
それでもネイよりは遅い。そして、エドガーにだけ見える、赤い光と青い光の軌跡が、兄の剣の軌道を示してくれる。
魔剣により加速した剣筋。
その先に物干竿を軽く振るう。技でも何でもない。ただ青い光のタイミングに合わせて振るうだけ。
後は勝手に決着がつく。
骨が折れた音。
遅れて悲鳴。
「あがあああああああ!」
兄は叫び魔剣を落とし、手を押さえ膝をついた。持ち手の指が曲がっている。
俺の力ではない。魔剣の威力が返っただけ。
速さは諸刃の剣。扱えない速さは自身を滅ぼす。いくら動きが速かろうが、動体視力や技の身のこなしがついてこないだろうに。
兄は手を押さえてしばらくうずくまり、そして泣きながら俺を見上げた。
「……なんだよ、これ」
化け物を視る目を俺に向ける。
「何なんだよ! 何なんだよ貴様は! い、今まで実力、隠して、隠してええ!」
「ええ、まぁ。だがあなたの弱さと何も関係がない」
「お、俺を嘲笑ってたんだな。今までも! 今も! これからもおおお! なぜだ、なぜ、そんなことをする!!」
「……悪役貴族だから」
「は?」
守りたい子がいるから。
この世界の人々に悪い人間と罵られようと守りたい子がいる。
追放に至る道で、ネイを守れるのなら、喜んで悪役を演じたい。
亜人に人権のないこの世界の片隅に、亜人の楽園を築く。
ネイの笑顔を見ていたい。きっとその楽園でこそ、彼女を幸せにできる。
俺は笑みを浮かべた。
ヒト種にとっての悪役。
それを演じ切る。
エドガーはきっと、そういうキャラクターとなる運命。
「俺は悪党、エドガー・ヴィクトル。惨めに泣きたくないのなら、俺の大切な者に、二度と触れるなよ雑魚」
ぼんやりと俺を見つめる兄の
1フレーム。1/60秒。
この世界最速の一撃。
兄は昏倒した。
もちろん手加減に手加減を重ねた一撃だ。殺しはしない。
俺が望むのは悪役追放。犯罪者ではない。
殺してしまえば、追放ルートから逃亡ルートになってしまう。それは望まない。
逃亡の果てに、悲しいルートの先に、ネイのしあわせはないから。
「へへ」
地面に失神する兄の顔に足を乗せ、取り巻きに言う。
「俺は天才だ。雑魚と違って努力の必要もない。ただ寝て、女の尻を触って、やりたいことをやる。勉強もする必要がない。魔法大学に行く必要もない。名誉も、地位もいらない。天才だからだ。他人からの評価などどうでもいい。だから雑魚が何をしようと、何を言おうと、大抵のことは許してやる。貴様らなど眼中にないから……だがな――」
本気の決意を言葉に込める。
「ネイには指一本触れるな。次は殺すぞ雑魚ども」
返事はなかった、代わりに兄を見捨てて彼らは屋敷へと駆けて行った。
父を呼ぶのかわからないが。
「ネイ、行こうか。長い旅になる」
「う?」
ネイは小首を傾げる。まだ言葉がわかっていないようだ。彼らとのやり取りの全てを理解できていない。それが嬉しくもあった。
彼女の前では英雄でいること。
おそらく、それもエドガーの役割。
俺は笑ってしまう。
ネイに向かって手を伸ばす。
「そばにいる」
俺の声に、ネイは少しぴょんと飛び跳ね、とてとてと近づき手を握った。
「ソバニイル!」
青い瞳で、満面の笑顔で見上げてくる。何もわかってない顔で、けど、きっと何か強い目的を持っていて。
エドガーを何千回と守り続けてきた信念が、この小さな手にこもっている。
そう感じてしまう。
AIが作った感情かもしれない。
だが、彼らは怖ければ怯え、辛ければ悲しみ、悔しければ拳を握りしめる。
陰謀を張り巡らせ、欲望を実現しようとしてくる。
人間の感情と、AIによって作られた感情と、そこに区別はないとも思えた。
この世界にどっぷりと浸かっている俺には、彼らには感情があるように思えて仕方がない。だから、この子を守りたいと思った。
これが悪役貴族追放ルートの始まり。
亜人にとって安息の無いヒト種の国に、獣人のネイの居場所はない。
追放され、エドガーの貴族としての地位を捨てる。
守りたいものは今握っている、ちんまりとした小さなネイの手。
ヒト種にとっての悪役貴族エドガー・ヴィクトル。
きっとこれこそが邪道の王道。
正規ルートのはず。
兄の取り巻きが道を譲る。
追放の先へ、楽園構築の旅路へ、ネイと共に踏み出していく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます