第20話 追放への過程


 冷たい床と、光の届かない暗い部屋。

 ヴィクトル家の地下。牢屋ではないが、危険人物を捕縛したときなどに使われる場所だった。


 兄を殴り、従者を蹴り飛ばした後、父に詰問された。

 聞く耳ももたずに、父の護衛に半ば強制的に地下に運ばれた。


 扉の向こうからジェイコフが必死に声をかけてくる。


「だから私は言ったのです。もっと日頃から頑張ってくださいと。頑張っていれば旦那様……グレゴリウス様もきっと申し開きを聞いてくれたはず……っ。本当に、本当になんてことをしてくれたのですか? エドガー様っ! こんなことをされては、私の力では、どうしようもないではありませんか?」


 彼は大人の顔の高さにある鉄格子に、顔を必死に近づけていた。

 扉が閉まっている以上、入ってこれないと言うのに。

 あまりにも必死で顔が変形している。

 どこかおかしくて笑ってしまう。


 最初はジェイコフが隠れて飯をもってきてくれたが、何度も追い返していた。

 屋敷での彼の立場がなくなるから。


「今日は、何日目だ?」

 声がかすれた。声を出していなかったし、食事もほぼなかった。

「っ。三日目、です」

 まだ三日。朝も夜かもわからない部屋で時間の感覚は狂っているようだった。


「その。エドガー様。何とか。何とかグレゴリウス様にお願いしてみます。だから、エドガー様もちゃんと、心の底から謝罪をしてください」

「するわけがないだろう」


 謝罪はしない。最後まで暴力の正当性を貫き通す。理由も言わず、言い訳もせず。ただ暴力を振るいたかったと思わせるように。


 それが追放へ至る道筋。

 しかし、ほぼ飲まず食わずの孤独な時間。今まではゲーム内の話だったが、現実となるとなかなかに辛かった。


「なぜです? 今までならすぐに。謝らなくとも、言い訳を並べていたでは、ありませんか……」

「ネイはどうしている?」


 ジェイコフの質問には答えなかった。もっと知りたいことがある。

 ちゃんとおとなしくしているだろうか。


「泣き疲れて寝いている間に拘束具で固定しました。アンナが不憫に思って……」

「は?」


 不憫……?

 今までにない行動だった。

 ネイが予測できない行動をするのは毎回であるが、アンナまでもが俺の知らない行動をとっている。


「暴れたのか? 誰か殺してしまったか?」

 叫ぶように言ってしまった。


 全てが台無しになる。この世界はおそらくやり直しがきかない。今までのゲーム世界とは状況が違うから。


 ネイを守りながらの逃避行に、しあわせはない。いつか必ず終わりが訪れる。

 それは何百回と経験したことだった。

 俺の力では守り切ることができない。

 ネイを守るには俺だけでは足りないから。


「え? あ、いえ。違います。ネイが狂ったように首輪を外そうと、首をかきむしるので。泣いて眠っている間に、拘束具で固定しました。しかし、私たちが思っている以上に怪力なようで、専用の魔法具が必要でしたが」

「……そうか」


 首輪による呪いを無理やり外そうとしたのだろう。


「ネイはエドガー様になついているようですから。なかなかに物事をわかっている子ですな。見る目のある子だ。本当はエドガー様はやさしいということを見抜いているのでしょうな。今度褒めておきます」


 エドガー様は素晴らしいと、ジェイコフはなぜか満足げだった。


「そのまま拘束しておいてくれ。できれば寂しがらないように話し相手になってやったり、ご飯もちゃんと与えて欲しい。……それとアンナもジェイコフもありがとう」

「……」


「なぜ泣く」

「エドガー様が感謝……だと。いえ、違います。その態度を旦那様たちに向けてください! そうすればすぐにでも――」


「いやだ」

「いやって、子供じゃないんですから……あ、子供でしたね。何か理由がおありで?」

「殴りたかったから。元々むかついていた」


「その気持ちはわかりますが、嘘ですな。私には分かりますよ。エドガー様のことならなんでも!」

「そろそろ行け。仕事しないとクビになるぞ」


「嫌です。理由を聞いたら仕事をしましょう」

 頑なな態度に笑った。

「追放されたい。この家に、俺たちの本当の居場所はない」

 ジェイコフの態度に本音を伝えてみる。

 沈黙が訪れた。


「そうですか」


 それだけ発して、ジェイコフが扉を離れていく音が聞こえる。冷たい言葉だっただろうか。彼の感情はわからない。

 彼はバグのような存在でもあるから。


 AIが作るキャラクターのようでも、実際の人のようでもあるし、物語の核心を知る人物のようにも思える。全く掴みどころがない。

 

 彼がいなくなると、再び長い長い沈黙の時間が流れていく。


……。


 三日目の後半にもなると、ハイドがメイド長アンナを使って飯を持ってきてくれていた。ハイドの命令なら問題はないだろう。

 ありがたく頂く。けれどむせてなかなか飲み込むことができなかった。

 飲み込むと胃に異物が入り込む感覚があった。

 久しぶりの食事に喜んでいるのか、驚いているのか。

「ネイがかわいそうなので、早く謝ってくださいね」

「いや。それはできない」

 ため息が聞こえた。

 けれど食事を少しとれたことで頭が明快になった気がする。

 感謝だ。


……。

 

 うつらうつらと意識が途切れそうな頃。

 地下の扉越しに父の声が届いた。

 事情聴取の始まりだ。


「なぜあんなことをした。不意打ちで後頭部を殴るなど、卑怯者がすること」


 事情聴取とは名ばかりで、父は不意打ちと決めつけていた。

 無能が兄を倒すわけがないから。

 何人も相手に大立ち回りを繰り広げるわけがないから。

 従者からも事情を聴いているだろうが、兄が倒されたところは、兄の名誉のために濁したのかもしれない。

 

「気に食わなかったから」

「……そうか。反省はしているか?」


「いいえ。ここから出ればもう一度繰り返します。何度でも兄を打倒しましょう。いい加減に腹が立つから」

「……そうか。なら、お前はもう、私の息子ではない」


「どういう意味ですか?」

「それすらわからんか。追放だ。二度とこの家の敷居を跨ぐことは許さん。その愚鈍な姿を二度とみせるな」


 こうして望んでいた追放が決まった。


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