第19話 一倍返し

(アレクサンドル・ヴィクトル)


 魔法大学の長期休暇、実家の屋敷に滞在していた。

 もうまもなく大学へ戻る頃。


 優秀な弟のハイドも若くして既に魔法大学に入学を決めている。誇らしくもあり、出来の良い弟に嫉妬も感じた。出来の悪い方の弟の存在には笑ってしまうが。


 屋敷の廊下で愚弟にすれ違う。

 目の前の愚弟……おろかで無様な方の弟。

 魔力ゼロ。成績も悪く、努力もしない根性無し。


 プライドもあり弱い立場の人間に吠えながらも、私の前ではいつも媚びへつらう。

 血のつながりがあることすら認めたくない無能に言った。


「今日も今まで寝ていたのか? 少しは努力したらどうだ。本当にお前は出来損ないだな。半分とはいえ、本当に俺と血のつながりがあるのか怪しいものだ」


 路傍ろぼうの石を見るような赤い目、そんな態度が返ってきた。

 昔であれば媚びる笑顔を浮かべ、言い訳を並べたてていたというのに、ここ最近の愚弟は全く表情を変えない。私が魔法大学に通っている間に何かあったのか。いや、帰省当初はこんなことはなかった。本当に最近。


 それが腹立たしい。何とかして、の流れに持っていけないだろうか。

 毎日言葉による罵倒を繰り返しているのだが、なかなかにその機会は訪れない。

 ただ淡々と返事が返ってくるだけ。


「血のつながりはないのかもしれませんね」

「……父を疑うのか?」


「今怪しいと疑ったのは兄様ではありませんか」

「大学に落ちたというのに努力しない。それどころか無断外泊まで。そんな愚弟を焚きつけるために言った、愛ある言葉となぜ気づかぬ。私が父を疑うわけがないだろう」


「俺には愛を理解できないようです」

「そうかならば指導してやる。これは弟を想う心だ。後で訓練場に来い」


「遠慮します」

「なぜだ」

「眠いので」


「そんなことだから魔法大学にも落ちる。この劣等が。少しはハイドを見習ったらどうだ。できた弟だ。出来ないのなら努力をしろ、愚弟。やはり私がその性根たたき直してやろう」

「人には分不相応という言葉があります。ヴィクトル家はハイドがいれば安泰だ。だから俺は寝ます」


 大義名分を勝ち取るための難癖を地道にしているのだが、なかなか乗ってこない。

 対応に余裕を感じるところに、腹が立つ。

 それどころか、暗に私よりハイドが優秀と言っている。事実そう思う片鱗も感じるだけに、はらわたが煮えくり返る。

 

 まぁよい。いつか地面の土を舐めさせることを楽しみにしていよう。


 奴がかわいがっているネイとかいう獣人の奴隷をからかってみることにした。

 もともと気にくわない獣人だったしな。

 私に懐かないペットは必要ない。


 私を慕う、従者の一人に声をかける。


……。


 愚弟はやはり愚弟。

 こうもわかりやすい見え見えの罠にかかるとは。

 私の想定通り。


 エドガーは暴れていた。

 ネイをいじめさせていた使用人どもを殴り、蹴り、投げ飛ばしている。


 いつの間にか、投げるなどという芸当ができるようになっているじゃないか。

 どこかで習ったのか。そこは少し意外に思いながらも、ようやく来たチャンスに、その違和感もすぐにどこかへと消えた。


 従者を心配する良き未来の領主といった風を意識し、叫ぶ。


「何をやっているか、愚弟!」


 愚弟で憂さを晴らし、かつ暴力を振るう弟を止める兄という立場も得られる。

 日々の努力に溜まったストレスをなくすには格好の機会だ。


「貴様、弱き立場の従者を!」


 これから始まる愉快な指導に、うきうきとした心を隠すことはできない。

 つい弾んでしまう声を、勢いでごまかす。

 笑わないように、笑みがこぼれてしまわないように細心の注意を払う。


 立場の弱い使用人を殴り蹴るなどという暴挙は止めなければならない。

 暴力を弱き者へ振るう愚かな弟は、指導しなければならないよなぁ。


 大義名分得たり。

 正義は我にある。


 暴れる愚弟が無防備に振り返る。

 その胸倉をつかもうと手を伸ばした。


「一倍返しです、兄様」

 

 愚弟のつぶやきが聞こえた気がした。

 視界が一瞬揺れ、記憶が途切れる。


……。


(エドガー・ヴィクトル)


「兄様。今日は俺が指導しますよ」


 と言ったはいいが、レベル差の為か、軽く殴っただけだというのに兄はうつ伏せになって地面とキスしている。手加減を見誤ったようだ。


 長年、兄からエドガーは日々重圧をかけられ続けてきた。

 結果、性格最低、努力を避け、能力激低、責任転換の申し子のようなキャラクターになっていた。類まれな才能と、獣人に対しても平等な精神、やさしい器を持っていたというのに。


 その元凶がアレクサンドル・ヴィクトルだ。


 だから今までのエドガーの鬱屈うっくつをいつか倍返ししようと思っていた。

 まずは一倍から。

 ところが、アレクサンドルは軽い一撃で倒れてしまう。

 これでは一倍どころか、0.01倍くらい。


 エドガーの追い詰められっぷりを考えると、後100発は殴らなければならない。

 この割って入ったタイミングの良さを考えると、ネイをいじめさせていたのは、こいつな気がするしな。


「寝るにはまだ早いです」


 髪を掴んで起こしてみるが、白目をむいている。

 地面にキスしていたわけではなく、気を失っていたようだ。


「うそだろ」


 打たれ弱さに驚く。今回のルートはレベル上げが順調とはいえ、弱すぎる。


「ひ、ヒィ!」

「アレクサンドル様っ!」

「え、エドガー、様っ! こんなことして、善いと思っているのですか!?」

 

 アレクサンドルの取り巻きが何かを言っている。この屋敷で、彼の派閥として甘い汁を吸っている従者たち。

 彼らはネイや他の従者たちに迷惑をかけている存在だ。


「兄様は寝不足のようだ。代わりにお前たちを指導しよう。どうやら指導とは愛らしいからな。兄様がよく俺にしている。俺には理解できないが。指導を通して、俺も愛を知ろうと思う」

 

 続きの始まりとばかりに一人一人を殴って蹴って、蹴散らしていく。


「拳が迫っても目をつぶるな」

「指導中に背を向けるな」


 迫る拳に目をつぶる男の服を掴み背負い投げ、背を向け逃げる男のケツを蹴り飛ばす。ちぎっては投げちぎっては投げていく。大けがをしない程度に軽く。

 ネイをいびった分、ほどほどに粛清。


 まぁ一応理由も聞いておくか。

 もうボコした後だけど。

 屋敷の廊下は大人たちが寝転んでいる。残念な光景が広がっていた。


「で? なぜネイにいやがらせをした?」


 地面に転がっている、まだ意識のある一人の使用人の胸ぐらをつかんで引き寄せた。今にも泣き出しそうなほど、震えている。


「あ、あの獣人がっ……」


 掃除道具を運ぶ際に、兄にぶつかったらしい。

 それだけのこと。


「それだけ?」

「……はい」


 なら遠慮はいらない。

 正直ネイ自身の寝不足の結果による失敗だったら、本を正せば俺のせいだから。

 使用人の顎を軽く殴って終わらせた。


「指導は楽しくないですね。俺にはあなたの愛はわかりません」

 寝ている兄に言った。

 雑魚を狩っても楽しくないのはゲームと一緒だ。


……。


 全員をぶちのめし終え、すみっこでハラハラしているネイに一つ命令をする。


「これから何が起きようと、普段通りに仕事をすること。決して、誰も殺してはならないよ。ネイ」


 ネイが青い瞳を真ん丸にして小首を傾げる。

 彼女の身体にはところどころ痣があった。


 ネイは状況を打破する力を持っている。今や隷属の首輪も俺の命令のみ。抵抗する意思さえあれば、何だってできるというのに、日々我慢している。


 きっとエドガーのそばにいるために。

 ネイが我慢している理由はただ、それだけ。


 これから俺は罰として、地下室へ幽閉されることになる。

 俺が窮地きゅうちに陥れば、彼女は手段を選ばなくなるはずだ。


 ネイが暴れて死刑となることを防がなければならない。

 一時は逃げられても、聖女に追われれば勝ち目はないから。


「殺す、ダメ。屋敷の人間。約束」

「アイ!」


 指切りをすると、ネイは片手を上げて返事をし笑みを浮かべて頷いた。

 何もわかっていないのか、ただ嬉しそうに指切りをする。

 彼女の隷属の首輪が光っていた。


 頭を撫でると目を細めて首を伸ばす。

 数日ほど触れなくなるからな。もふもふをしばらく堪能する。


 頭をなでなで、耳をもふもふ、ほっぺをぷにぷに。

 くるくると喉が鳴っていた。

 ネイはまだ子供だから、感情を隠すことができない。

 手を離すと、ネイは悲しそうな表情を覗かせた。


「エドガー何事だ!」


 父の怒りで震える声が聞こえた。



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