第18話 ネイと首輪
王都の令嬢別邸へ行くため、数日ほど屋敷を無断外泊し戻ったところ、ネイが青い瞳を真っ赤にしていた。
それは夜明けだった。
朝も早くだというのにネイが外でぽつりと待っていたのだ。
毎日こうして待っていたのだろうか。
悪いことをした。
「エドガー、しゃまぁ……」
顔を合わせたら、にゃあにゃあ泣かれた。
抱きつき離れず匂いを嗅がれ、手や顔まで舐められる始末。おまけにしばらくはストーカーのように、どこに行くにもついて来る状況だった。
仕事を放棄して怒られるのも、おかまいなく。
全てを無視して、ストーキングを優先していた。
それには年配のメイドのアンナも流石に厳しく指導……しようとして、涙目で見上げるネイを前に、振り上げた拳を俺に向けた。
無断外泊するとはどういうことだと。
アンナも自覚があるのか俺の目を一切見ない。
いつものメイド長としてのキレがなかった。
もちろん家族からは冷たい目を向けられるだけだった。
クズにも程があるという苦言は一応、父から頂戴できたが。
後は、ハイドは口うるさくまとわりついてきた。
心配だったらしい。
……。
今日はネイの機嫌を取るためにも、今後の足枷となる隷属の首輪を解除するためにも、ネイと街に行こうと思っていた。
モンスター狩りとジェイコフ狩りで金も貯まったしな。
ところが朝から俺は自室で不快なものを見た。
『Code:Etherion』のエドガールートではAIが作る物語だからか、たまに登場人物の挙動がおかしい時がある。基本的には本当に感情があるのだろうという言動をするのだが。
もはや立ち振る舞いに置いて、AIと人間を区別するものは少ないと感じる時代だ。
彼らにも感情があるように思えた。
心があり、電脳世界ではそれが彼らの身体を動かしている。
だからこそシナリオは無限に分岐し、このゲームに皆、熱中した。
電脳世界でキャラクター達が生きていたから。
ゲーム世界に転生してもそれは変わらないようだ。
だが、おかしい挙動の常習犯が目の前にいる。
具体的にはジェイコフが服を着忘れていた。
上はぴっちりとした筋肉を強調する執事服。この時点で少しおかしいのだが。
下半身は生まれたて。
朝から下半身がもろ出しだ。
人間がシナリオやキャラデザを担当していたら、やらないミス。
『あれ? 先輩何やってるんですかぁ? パンツ書き忘れてますよ』
『お! よく気づいてくれた後輩! リリース前のダブルチェックは大事だな』
とはならないミス。そもそもダブルチェックなど必要ないくらいの出来事だ。
普通に人間なら気づく。男の股間など意図しないと出せない。
「ちゃんと聞いているのですかエドガー様。このままでは屋敷から追い出されます。私は心配をしているのですぞ。エドガー様。あなたは小さい頃からそうだ。本当はやさしいことを、私は知っておりますぞ。だから努力をしてください。皆を見返すのです」
お前はまずパンツはけ。追い出されるのはあんただ。
首になるぞ。いや捕まるぞ。
そして話を聞いて欲しいのなら適切な服装というものがある。
タイミング悪く、良い話をするな。
「ちゃんと聞いているのですか? エドガー様!」
ぷんぷん、といった具合にダンディーな顔で萌えキャラのようにふるまう。
答えたら負け。そんな気がする。
だいたい人と話す時は、ちゃんとパンツをはくのが常識だ。
話はそれからだ。
いや違う。朝起きたらちゃんとパンツをはけ。
いや違った。風呂とトイレ以外、寝るときも常にパンツをはいておけ。
常識だぞ。
ジェイコフの息子は左曲がり。左に曲がってやがる。
「はぁ。やれやれ。エドガー様はいつまでたっても私がいないと朝も起きられない。いつまでも私に頼ってばかりじゃ、ダメ、ですぞぉっ」
「〇すぞ」
「ハァハァハァハァ! ハァハァハァハァ!」
「〇すぞ」
「い、いきなり言葉の暴力!? な、なぜぇ? 私、良いこと言ってますよね!? 改心する流れですよね!?」
股間を見ろ。
俺が改心するかどうかはそれからだ。
ジェイコフの股間を見てしまう。
誰得展開。不快でしかない。
そして俺の魔眼が反応している。男なら誰でも二つの金の玉が弱点だから。濃い赤。それを蹴り飛ばしたくなる。
「ちっ」
「な、なんで舌打ちするのですかぁ」
ハァハァとジェイコフは頬を染めている。最近殴っていないから、求めているようであった。心底気持ちがわるい。まじでパンツはけ。
殴ったら負けだ。反応するだけで負けな気がする。何なら視界に入れた時点で不快で負けだ。強制敗北イベント。
「とりあえずパンツ履け」
「……ふ。エドガー様も成長されましたな」
ダンディーなケツあごに、攻略とか関係なしに、久しぶりに手が出かかった。だが俺は無視する。変態に一番それが効果的だと思ったから。
もしかしたらAIだからではなく、ジェイコフなりの冗談か?
だとしたら純粋にうざい。
裸の付き合いをはき違えている。
「エドガー様のパンツ、借りてもいいですか? このままでは廊下に出られません」
「〇すぞ」
……。
「メニュー。ステータス」
LV:38 → 45
HP:2510 → 3070
MP:5
SP:2690 → 3250
ATK:270 → 410
DEF:5
SPD:525 → 665
LUCK:385 → 505
GLS:32 → 31
昼間、ネイを街へ連れ出そうと声をかけると、満面の笑みを浮かべた。
ネイはてくてくと俺に近づく。見上げて言った。
「ソバニイル!」
俺は首を横に振り、掴もうとする小さな手を振り払った。
奴隷にやさしくしている姿を、自治領の人間に見られるとGLSの値が下がり、追放ルートに至ることができない。
このかわいい誘惑を受け入れ、ネイを救えるルートはおそらく存在しない。
何百回と誘惑に負け甘やかして、彼女を失ったから。
「ソバニイル……にゃぁ」
ネイは泣きそうだった。
くっ。可愛過ぎるし甘やかしたい。
その思いを振り払って伝える。
「駄目だ。後ろ、付いてくる」
耳と尻尾を下げて頷いた。
街へ向かって歩く。
数歩後ろをついてきているようだ。
だが時折、鼻をすする音が背後から聞こえる。
罪悪感を胸に、ネイの歩幅に合わせてゆっくりと街に向かうのだった。
……。
近代ヨーロッパの街並み。
街の奥地、路地裏を進んでいく。路地裏には似つかわしくない、まともそうな居酒屋があった。
その中に入り、店主に伝える。
「欲しいものがある。それは酒場にはない」
「地下へどうぞ」
指示された扉を開け、
「これはこれは、若きお客様、今日はどのような要件で。奴隷の購入ですか?」
「いや隷属の首輪の解呪だ」
後ろでびくびくしているネイを指さす。
男は少し驚いた顔を見せた。だがすぐに私的な感情を消し、商人の顔となる。
「こちらへ」
部屋を出て長い通路を歩く。
窓から見えるのは闘技場。
その通路を抜け、奴隷たちが押し込められているだろうと思われる、いくつかの部屋を素通りする。
「ここです」
案内された部屋には、雑多な物が飾られている祭壇があった。
配置に秩序はないが、規則性はありそうだ。
そんな不思議な祭壇。
その前には、大きな魔法陣が描かれている。
「お代はこれくらいになります」
紙に書かれた額の下にサインをする。
値段は分かっていたから。
「問題ない」
「お客様は決断が早いのですね」
「何か、問題が?」
「いえ……ディー、仕事だ。そちらのお嬢様は魔法陣の中央へ」
隷属の首輪の強制解呪が始まる。
ネイを魔法陣の中央に立たせた。
不安な顔を覗かせる。
ディーと呼ばれた、はぐれ神官が近づいてきて魔法陣に触れた。
魔力の光が魔法陣を走り、ネイの首輪が光る。
これだけ。
大規模な魔法陣と空間の割に肩透かしだ。
あっという間に終わった。
「っ!」
ネイは光に飛び跳ね、俺の元へと走ってきた。
抱き留めるついでに、首輪を外す。
「ネイ。これで自由だ」
外した首輪を眼前でぷらぷらとさせて見せる。
「ジユウ……?」
「そうだ。どこへでも行ける。寝たい時に寝てもいいし、遊びたい時に遊んでもいい。冒険も、怠けることも、すべて自由だ。ネイが決めていい。俺の傍にいる必要もない」
「……ス、捨テナイデッ!」
捨てられると思ったのかネイは叫び、だだっと走って、壁に飾ってある別の首輪を掴んだ。その首輪を俺に持ってくる。
んっ、んっ! とずいずいと首輪を押し付けてきた。
「ソバニイル!」
付けてくれと言わんばかりにポーズを取る。
「エ、エドガー、しゃまっ! ソ、ソバニ!」
ここへ案内してくれた男が言った。
「随分懐かれているようですね。望みなら、あなただけの奴隷にできますよ。他の者の命令は聞かない、あなただけの強力な呪い……」
商人は下衆な笑みを浮かべる。
戸惑ったが、考え直す。
いざという時、命令で俺を守らないようにすればいいと思ったから。
「一番強力な呪いを」
「はい」
男がにたりと笑った。
「好きな首輪を選んでください。強力な隷属の首輪は、お客様のみが外せるモノとなります。くれぐれもお忘れなきように」
首輪をつけるとネイは安心したように目を細めた。
細く白い首には、重々しい装飾品に見えて仕方がなかった。
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