第17話 嫉妬には悪夢を
(エステール
令嬢ラフィーナの為の別邸。
会食場には多くの料理が並んでいた。
そのどれもが、ラフィーナの為の食事。
気に入った料理だけ、一口ずつ食べ、後は捨てる。
「あの……申し訳、ございません。ラフィーナ様。その、何か、今日の夕食に不手際が、ありましたでしょうか?」
呼び出された料理長がびくびくと何度も頭を下げながら、令嬢に言った。
料理長にとって連日繰り返されてきた行為だ。
彼は疲弊している。
幼いころから料理が好きだった。今は料理を作ることが怖くなっていた。
ラフィーナは、従者を呼び出し、立たせたまま、無言で圧力をかける。自身の生まれの尊さ、権力を感じる瞬間を好んでいた。
これはラフィーナの悪癖だ。
栗色の髪に豪奢な服。香水は多めで、料理の香りが台無しになっていた。
「わからなくて?」
「おいしく、なかったでしょうか……。お嬢様はどのような味がお好みですか。ご教授願えないでしょうか? 見た目でしょうか? 口にすら、いれてもらえないのでしょうか?」
「――黙りなさい」
料理長はうめく。
権力を振りかざせば、理不尽もまかり通る。
ラフィーナは笑みを浮かべた。それを隠すように口元を覆う。けどその隙間から、笑い声が漏れてしまう。本人は気づいていないが下品な笑い方だった。
「くふ。くふふ」
人は生まれながらに上下がある。権力を振りかざすたび、ラフィーナはそれを強く感じていた。
ただ、彼女には一つ、どうしても我慢ならないことがあった。
地位の上下ではどうにもならないことだ。
自分が喚いても、権力を振りかざしてもどうにもならないことがある。
うつくしさ。
とある日まで、理想とするうつくしさをラフィーナは知らなかった。
けれど、エレーナを見た瞬間、その容姿が自分の理想とする容姿だと思った。彼女のようになりたい。いえ、彼女になりたい。
そう思った時、殺意がわいた。
自身の生まれを誇りに思っていたから。
だからエレーナを嫌っていた。心の底から、憎かった。
八つ当たりもかねて、今日も従者に圧力をかけて憂さを晴らしていた。
……。
料理長は、厨房で一人肩を震わせていた。
食べかけの料理たち、あるいは口にすら運んでもらえなかった料理たちを少年が運でくる。茶髪に、そばかすが特徴的な少年だった。
少年が言う。
「料理長。もうこの仕事はやめましょう。どこか街の片隅で、料理屋をやりませんか?」
「ハン君、ありがとう……けれど、もう料理は――」
言いかけたが、ハンの嬉しそうな声に遮られた。
「おいしいっ! やっぱり料理長の料理は最高ですね。やさしい味がします。仕込みに手抜きがないからかな。手間暇、掛かっているからかなー。下味がしっかり効いているからかな」
ハンがラフィーナの残した料理を食べている。
おいしいおいしいと、うれしそうな顔で。
「……」
「あ、ごめんなさい。ラフィーナ様が手をつけなかったので、食べてもいいかなって。それにしても何でこんなにおいしいのに、あんなに酷いことするかなぁー」
「……ぅ」
料理長は涙をのみ込む。そして笑って、ハンの頭を撫でた。
「ハン君のために、また別で作るから。それは捨ててしまいなさい」
「でも、もったいないよ。この料理は、料理長が喜んで欲しくて作ったものじゃないですか」
「……いや、それは」
それは違った。もう作ること自体嫌になっていたから。最近は怒られないために、怒られないことばかりを考えて作っている。
「……僕は料理長が、僕らのまかないを作る顔が好きです」
「何を言って」
「だから、こんな仕事辞めて、街で料理屋やりませんか? きっと多くの人をしあわせに、できるはずだから。料理長の作る料理にはそれだけの魅力があるんです!」
料理長は、屈託のない笑みを浮かべる少年の頭を乱暴になでる。背を向けて、料理の片付けと、使用人のまかない作りを始めた。
背中を震わせながらも、うつくしい、食材を刻む音が厨房に響いていく。
……。
ハンと呼ばれた少年は屈託のない笑顔を無表情に変えた。
背を向けて歩き出し、厨房を出る。
迷いのない足取り。洗練された動きにも見える。
たどり着いた先は令嬢ラフィーナの部屋。
懐から一通の手紙を取り出し、テーブルの上に置いた。
口元を布で隠すように巻いた。
亜空間から香木とキャンドルを取り出す。部屋に香を焚いていく。
香木もキャンドルも特製のものだった。
ホブゴブリンとオークの血と体液、薬草にキノコ類を混ぜ合わせて作った物。
部屋中に香りが満ちるように、念入りに配置していく。
全ての準備が完了し、少年は部屋を出て、屋敷の離れの物置に入る。
部屋の隅の掃除用具を収納している扉を開いた。
中には少年と同じ顔の子が、身体を紐でくくられている。
少年が、その子の縄をほどきながら言う。
「長い時間すまない。叫ぶなよ。殺すぞ」
縛られていた少年はこくこくと頷く。
脅した側の少年が、自身の顔を剥いだ。
擬態を得意とするスライムで作った、少年と瓜二つのマスク。
現れたのは、黒髪赤目のエドガー・ヴィクトル。
「当然。このことは秘密だ。誰かに言ってみろ。殺すぞ」
少年は必死で頷く。本当にやりかねない赤い眼をしていたから。
「あとは、料理長をこんな屋敷やめさせろ。あの性格極悪女にはもったいない。いいか。必ずやめさせろ。あれだけの腕があればどこでもやっていける。なんなら君も……ハン君も彼についていけ」
今度は少年は控えめに頷いた。
なら、よし、とエドガーは頷き、もう用はないとばかりにその場を後にした。
……。
(ラフィーナ・エステール
風呂に入り、部屋に戻ると変わった匂いに満ちていた。
一瞬不快に感じたが、徐々に良い香りに感じてくる。
ベッドに入り、香りを楽しみながら目をつぶった。
それにしても、と思う。
エレーナを思い出してしまって腹が立つ。
へイゲル・オルウェン卿は成功しているだろうか。まぁ、失敗しても私に何かあるわけじゃないからどうでもいいけど。
ちょっとのお金を支援しただけ。
父に言えば、大抵のわがままは通る。
いつものことと、金の用途を聞かれることもないから。
できればあの澄ました顔をめちゃくちゃにして欲しい。
まぁあの変態貴族のことだ。そうなるだろうに決まっている。
想像するといい気分になる。
香りのせいだろうか。身体が熱くなっているように感じる。汗が出てきた。
せっかく風呂に入ったのに。
頭がくらくらする。天井は歪んで見えるし、なぜか扉までが遠い。
遠近感がおかしい。
「あぁ」
ふいに出した声が、老婆のようで驚く。
枯れているように聞こえた。
少し心配になる。
何とか起き上がり鏡を見ると、顔が汗でびたびたとしていた。
手で拭く。ねっとりとした何かが付着した。肌色の何か。
「あれ?」
気のせいではない。老婆の声が自分からする。
汗が。汗を拭こうとしたんだ。
服のすそで顔を拭いていく。
「あぁ! あぁ!」
どろどろと顔が崩れていく。
鏡に映る自分は化け物。
「あぁ、あぁあ、あああああああ」
拭いても拭いても、顔がどろどろと崩れていく。
叫んで叫んで叫んで。
そうして意識が途絶えた。
……。
朝起きると、髪が抜けていた。
「あぁっ!」
それに驚き飛び跳ねて鏡をみると、いつもの自分の顔。
ほっとする。なんだ、ただの悪夢。
手紙が置かれていた。
その内容に叫び声をあげた。
【
お前の悪事は分かっている。
いつでも視ている。
次は現実になるだろう。
】
明確な脅しだ。
そしてこの手紙が置いてあるということは、いつでも自分をどうにでもできたということ。
権力ではどうにもならないことがもう一つあることに気づいた。
人からの恨み。
その事実にラフィーナは顔を覆い、叫び声を上げ続けた。
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