第14話 別れと
(エレーナ側)
互いの意向で婚約は破談となり、ハイランド行きの、迎えの馬車に乗ったエレーナは、ほっぺをこれでもかと膨らませていた。
いつもの美術品のような横顔はそこにはない。眠そうな大きな瞳は、むー、と細められている。
護衛のトルテが話しかけるまでずっと。
トルテは貴族の護衛としては珍しい亜人種、エルフとのハーフ。耳は少し尖っており、寿命も長い。幼いころからエレーナの傍にいた。
私不機嫌です、という雰囲気を出しながらも、話しかけて欲しいというオーラがエレーナからは出ていた。
トルテはそれに気づき、笑みを浮かべて問う。
「エレーナ様。エドガー様はどのような方だった?」
穏やかな声だ。妹を見つめる眼。二人しかいないので敬語ではなかった。
「本当にっ! 本当〜にっ! 最低な人でした!」
よくぞ聞いてくれた、とエレーナの怒りが発散される。
馬車の中のやわらかい背もたれをポスポスと叩く。
叩いて叩いて、不満をぶちまける。
色欲魔とだらけた姿。
ヴィクトル家に滞在した間、見聞きしたことをトルテに伝える。
「結局別れの挨拶もなし! 期待していたわけでも、求めていたわけでもありませんけど! あまりにも失礼です! 聞けば、忙しい忙しいといいつつ、ただ寝ているだけだとか……っ! 今日なんて、ただの寝坊じゃないですか!」
「……」
「なに? トルテ? 何か言いたそうですけど」
「いえ。珍しいなと思って。期待を裏切られたって顔してるよ。会う前は少し楽しみにしてたよね」
「会う前は……見た目が好みだっただけです……」
幼い頃、エドガーに社交界で挨拶をしたことがあった。その時は彼の、顔を真っ赤にして何も答えることができない様を好意的に思っていた。
エドガーの顔がかわいいことは認めている。好みのタイプであることも。黒髪も赤い眼も神秘的で、はかなげだったから。
無能で横暴、女性好き、努力嫌いと、悪い噂は聞いていた。
でも変なおじさんと婚約するよりはずっといいと思っていた。
けど。
思い出して、またポスポスと背もたれを叩く。
「……少しいいなって思う所、あったの?」
「ないです!」
「それにしてもそんな怒るなんて珍しいって思うよ。初めて見るかも」
「……」
「いい所もあったんじゃない? 普段なら嫌いだったら興味をなくすじゃない」
「眼が……」
時折、妹を見る眼差しで見るから。エドガーのそれは、トルテが自分を見つめるような瞳だった。
エレーナは頭を振る。
思い出してまた腹が立つ。年下のくせに子供扱いするあの眼。笑い方。
そのくせ嫌われることばかりしてくる。それを分かっててしている気がした。
だから腹が立つ。
胸ばかりみたり。変なタイミングで笑ったり。
わけがわからない。あの変な警告も、言動も、何もかも。
でも、やさしい瞳ともう一つ……いい所もあった。
「亜人にやさしい人でした。そこは素敵だと、思いました」
幼い猫耳の亜人がいた。エドガーに懐いているようだった。いえ、エドガーにだけ、懐いているようだった。
エレーナが話しかけても、ビクビクと警戒し、尻尾を巻いて逃げてしまう。そんな女の子。
ヴェイル王国にあって、亜人を尊重するヒト種は珍しいから。
神聖教会イルミナスが実質支配する、ヴェイル王国領では皆ヒト種至上主義。
エレーナの護衛のトルテも亜人。その存在の異端さは貴族の間で有名だった。
「そっか。そうなんだ」
トルテが微笑む。
「あたしも喋ってみたかったな」
尖った耳が上下に動く。
「やめた方がいいです。えっちな目で見られますし、お尻やら胸やら触ってきます」
「触られたの?」
「そんなことさせません! 当たり前じゃないですか!」
またエレーナはぷんぷん怒り始めた。
「エレーナ様っ!」
困惑した声が馬車を手繰る男から聞こえてくる。
馬車の進路を見ると、エドガー・ヴィクトルが手を振っていた。
「あの人がエドガー様かぁ」
眼の良いトルテが穏やかに笑った。
先ほどまで怒っていたエレーナが能面のような表情となる。
「エレーナ様、どうしたの? よかったじゃない。お見送りに来てくれたみたいだね――」
「――
「え?」
馬を操作する従者が困惑する。
「いいから! あの人を! 馬車で!
「しかし……」
「これは命令ですっ! 命令なんですからぁ!」
……。
馬車を降りて対峙する。
エドガーとエレーナ、トルテ、そして厳つい武闘家の男。
「やぁ。ハイランド様。今日でしばしお別れだから。かわいいハイランド様に会っておきたくて」
エドガーが花束をエレーナに手渡す。彼女はそっぽを向いて受け取ろうとしないので、トルテがとことこ近づいて受け取った。
「ありがとう。エドガー様。やさしい香りの花だね」
エレーナの代わりにトルテが言う。エドガーが笑みを浮かべる。
「こちらこそありがとう。トルテ君。花もきっと喜んでいる」
「何でトルテのこと知っているんですか?」
エレーナの形の良い眉がぴくりと動いた。
「俺は何でも知っている……というのは冗談で、トルテ君は有名じゃないか。とても素敵な耳だ」
一見無神経な言葉だった。でも、トルテがくすくす笑った。
「ありがとうエドガー様。エドガー様の赤い瞳と黒髪も素敵だよ」
二人のやり取りに少しエレーナがむっとする。
「で、本当は何の用事ですか?」
エレーナの声は極端に冷たかった。でもそれはどこかうれしさの裏返しであることをトルテは知っている。
「あぁ。この人を護衛として雇ってくれ。すごく強いぞ。名前はバルク・トリスタンだ」
「よろしく、お願いします」
バルク・トリスタンが武闘家らしい、地に足の着いた動きで礼をした。
「……私があなたの要求を聞くと思いますか?」
エレーナがぷいと視線をそらして言った。
エドガーはその態度を意に返さず、その手を取った。
「ちょっと、な、なにして」
顔を赤くして文句を言うエレーナの手をエドガーが引っ張り、少し離れた場所に連れて行く。
「あらあらぁ~」
とトルテはエレーナの様子にニコニコと笑った。
「バルクさんは金がいる。奥さんが魔力欠乏症なんだ。エレーナに雇ってもらえなかったら、路頭に迷うかもしれない。あるいは悪事に染まってしまうかも。彼は奥さんと娘さんのためなら何でもしてしまう人だから。雇ってくれないだろうか?」
「ま、まず! まず! その手を! まず手を、手をっ、離してくださいぃ!」
ぶんぶんと腕を振るとエドガーがあっさりと離した。
ふぅと一息つき伝える。
「あなたが雇えばいいじゃないですか」
「俺は権限がない。ヴィクトル家の落ちこぼれだぞ」
「それはあなたの日頃の行いです。なぜ胸を張るんですか」
「へへ。ついでに俺も養ってくれ」
「それは嫌です」
エレーナは笑ってきっぱりと断った。続いて言った。
「……護衛には実力が必要です」
「合格だよぉ~」
遠くでトルテが手をひらひらと振る。耳も大変よかった。
「見てわかる。達人だよ。きっと戦い方によってはあたしより強いよ」
「そうですか」
エレーナは頬を少し赤く染めた。実力が必要と言ったのに、すぐに合格が出ると思わなかったから、舌の根も乾かくぬうちに意見を変えなければならない。
「ありがとう。ハイランド様。きっと、バルクさんは君の助けになる」
少しエドガーの雰囲気が変わった気がする。
なぜ違ったのか、分かった。目をしっかりと見て話しているから。
胸を一切見てこない。真摯な貴族然とした立ち振る舞い。
皆の元へ戻ると、バルクが頭を下げた。
「ありがとうございますエドガー様。そしてよろしくお願いします、ハイランド様」
申し訳ありません、とエレーナに小さく謝った。何のことかはわからない。
エドガーが彼に言う。
「バルクさんは励むようにしてください。それとできるだけモンスターを狩ること。狩場は伝えた通りです。もちろん無理しない範囲で。死ねば悲しむ者がいることを忘れないでください」
そしてエレーナに向かって笑って言った。
「また会えるのを楽しみにしています。ハイランド様。それでは皆様」
と貴族然とした礼を伝えて、返事をする前に、背を向けてどこかへと行ってしまう。本当に訳の分からない人だった。
……。
「なぜバルク様ほどの実力者がエドガー様の部下に? 彼のご両親やご兄弟の方が将来性があるのでは? 何か弱みを握られていますか?」
「えっと……」
とバルクは笑った。
「私からは詳しいことは言えません。口止めされていますので」
エレーナはぱんぱんに頬を膨らませて、その顔を見てトルテはお腹を抱えて笑った。あまりにもかわいくて、あまりにも懐かしい表情だったから。子供の頃、欲しい物が手に入らなかった時の顔で。
バルクのことを知りたいというより、エドガーのことが知りたいのだろう、トルテはそう思った。
「ただ。エドガー様はエレーナ様の事を深く想っているように思います」
「そんなわけありません! あの人は、意地悪で、すけべなガキですからっ!」
エレーナは声をあげ、うつむき長い髪で顔を隠す。その表情は怒っているのかわからなかった。
「エドガー・ヴィクトル」
トルテがつぶやく。多分いい人。そして魅力のある人。こんなエレーナのかわいい表情を引き出せる人なのだから。けど変わった人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます