第3話 猫耳少女ネイ


 部屋を控えめにノックする音が聞こえる。

 ゆっくりゆっくり、ひかえめにひかえめにドアが開いていく。

 

 そこからそろりと顔を覗かせるのは猫耳少女のネイ。


「シ、失礼スル、デス」


 俺である、エドガーと同じ真っ黒な髪。赤い瞳の俺と違い、そのまん丸の目は青くうつくしい。


 歳は推定10歳とまだ幼く、身体も小さい。成長しても小柄なままなのだが。

 首には呪いの首輪がついている。奴隷の証だった。

 ヒト種の国に住む、獣人族は大抵呪いの首輪をつけている。


 俺への恐怖心からか完全に猫耳は伏せていた。


 俺の存在に気づくとさらに身体も震わせる。なんでこんな怯えている子が悪役貴族、エドガー・ヴィクトルをどんなルートでも、命を投げうって守ろうとするのか不思議だ。


 ネイの心情は一度も作中で明かされたことがなかった。

 雑に扱っても、突き放しても、脅しても、いじめても、嫌われようとしても、彼女が悪役貴族エドガー・ヴィクトルを守って死ぬ。

 それだけは一貫して変わらない結末だ。


「……ゴハン、デス」


 この頃のネイはまだ言葉を覚えていない。

 本当に簡単な単語しか分からないのだ。

 俺の元へと飯を運ぼうと、近づくにつれ、身体の震えが大きくなる。

 食器がカタカタとなる音が聞こえてきた。


「止まってくれ。取りに行く」


 このまま運べば、こぼすのは目に見えていた。こちらから受け取りに行くことにする。ただでさえこの屋敷で彼女は不遇の扱いを受けているのだ。失敗すれば屋敷での扱いは悪化する。


「……っ! アイっ……アイっ!」

「おい! 止まれと言っている!」


 失敗したと思った。止まれという単語が伝わっていない。緊張で訳が分からなくなっているのか。

 怒られたと思ったのかもしれない。

 ネイの細かい行動はその時々で違うため対処のしようがないのだ。


「……アイっ!」


 急げと勘違いしたのか、涙をいっぱいに溜めて、小走りに近づいてくる。


 あっ、と思った時には、お盆と食器と料理の数々は宙。ネイは顔面ヘッドスライディング。

 食器の割れる音。


「ンニャっ!?」


 熱いスープが俺にかかる。

 HPは多少減っているだろうが問題ない。


「大丈夫か」

 

「ゴメナサイっ。ゴメナサイっ」

「いや。気にしなくていい。それより……」


 顔面をしこたま打ち付けたのか、顔を上げさせると、少し鼻血が出ていた。それをハンカチでふき取ろうとしたが、細い首を必死にひっこめている。

 嫌がっているようだ。


 今までのエドガーはネイに酷い仕打ちをしていたから。


 言葉は通じないから怒っていないことを伝えようと、頭を撫でようとしたが、ネイは耳を限界まで伏せて必死に目を閉じた。

 きっと叩かれると思っている。


 やめておこう。

 宙ぶらりんになった自分の手を力なく下した。


「ゴメナサイ! ゴメナサイっ!」

「ごめんなさい。言うな」


 悪いことはしていない。謝る必要はないから。

 目を見て伝える。それは分かったようで、口を手でふさぎ、何度も頷いていた。


 ネイの失敗の証拠を隠滅しようとしたところで、足音が廊下から聞こえてきた。


……。


 音を聞きつけたのか、年配のメイドがやってきた。


 チっと俺は舌打ちした。このパターンか。証拠隠滅は間に合わはない。追放ヘイトを蓄積することに変更する。


 その舌打ちに腕の中のネイがガタガタと震えていた。

 かといって逃げる様子はない。


「またネイが失敗しましたか?」

 冷たい瞳でメイドがネイを見下ろす。

 ゴメナサイと言おうとして、ネイは口を塞いだ。俺の言いつけを守っている。


「……いや失敗はしていない。俺が折檻した。そしたらこぼした」

「なぜ折檻を?」


 このゲームの世界観では、ヒト種は獣人を奴隷として扱っているが、表向きは理不尽な扱いをしてはならないことになっていた。表向きは。


 メイドは淡々と。だけれど非難する瞳で俺を見ていた。この年配のメイドは屋敷の中では珍しく、ネイに対して悪い態度はとらない。だが、失敗はしっかりと叱るタイプ。


「面白いから」

「エドガー様。獣人を見下すヒトも多くいますが、善い光景には私には思えません」


 完全に同意。


「俺に逆らうのか?」

「今のあなたに権力はありませんよ」


「それもそうだ」

「……頭でも打ちましたか? いつものエドガー様なら癇癪を起すか、そもそもネイのせいだと嘘をつくと思うのですが」


「俺の言うことを聞け。ネイが全て悪い」

 ネイを軽く突き飛ばした。

「あぅっ」


 タンスの引き出しから飴を取り出す。

「詫びだ。こいつをネイに食べさせてやってくれ。やりすぎたからな」

「まるでペット扱いですね。飴と鞭ですか?」


「わかっているならさっさとやれ」

「ここは片付けませんよ。よろしいですね?」


「かまわない」


 ネイに好かれ過ぎても、俺を守るために無茶をしてしまうため、ほどほどに嫌われなければならない。ギリギリの線引きが難しいと思う。かといってやりすぎては彼女をしあわせにできない。生きてもらうだけでなく、しあわせになる光景がみたいのだから。


 ネイは絶望的な表情で、病院に連行される猫のように、メイドに連れていかれた。

 怒られると思っているのだろう。しっぽは完全に丸まっている。


……。


 夜間抜け出してレベル上げに行くため、昼は休息をとっていた。

 昼夜を逆転させる。起きているだけで、じわじわとSPが減っていくから。

 15時を回ったころ、能力値アップのための勉強をしようと、書斎に向かった時のことだ。


 若いメイドと出会う。


「ジェイコフさん知りません? エドガー様を起こしに行ったっきりいなくなっちゃって、まだ仕事あるのに」

 メイドが気安く声をかけてくる。けど少し警戒している様子だ。


 若いメイドの言動は、使用人に対する態度だ。エドガー……俺の普段の扱われ方がよくわかる。仮にもヴィクトル家の一員なのだが。


 同時にちょっと心配になる。今までのゲームの展開的には、ジェイコフを殴り倒しても、屋敷の住人は誰も気にしなかったから。もし彼がリスポーンしなかったら、少し後味が悪い。敵対度的には問題ないはずだが。


「知らない」

「そですか」


 興味を失ったようにどこかへと向かおうとする。すれ違い様にメイドの尻をさわった。

「きゃっ! な、なにしてっ! なにしてぇっ!」


 小悪党にならなければならないので仕方ない。メイドの尻は柔らかかった。

「今夜俺の部屋に来い」

「行きませんっ! 旦那様に伝えますからっ!」


「へへ」

「変態クソ貴族!」

 メイドは大変怒り、俺の脚を二回蹴って、どすどすとどこかへ行った。


 この調子でセクハラして追放ヘイトも稼がなければならない。

 やりすぎると普通に処刑される。節度を持った悪役っぷり。つまり小心者の小悪党を目指さなければならない。


 何千回と繰り返す中で、屋敷の住人を毎日、片っ端から殴って回ったことがある。その時は「気狂いエドガー」と噂され、普通に憲兵に捕まって、断首刑にされた。


「メニュー。ステータス」

LV:12

HP:350

MP:5

SP:350

ATK:40

DEF:5

SPD:70

LUCK:20

GLS:1 → 5


GLS……敵対度が上がっている。へへ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る