勇者ウンコのハライタ英雄譚

チドリ正明

Hara Ita

 俺の名前は勇者ウンコ。


 いや、ちょっと待て、そこ笑うところじゃないからな。

 親が悪いんだ。俺だって嫌だし、改名しようと思ったけど、名付けは神官が特別な魔力を込めて行うからそれはできなかった。

 俺は正式に【勇者ウンコ】として認定されたせいで、もうその名前で生きていくことしかできない。


 そんな俺にはある秘密がある。


 それは――究極のハライタ持ちだということだ。


 生まれつき、強すぎる魔力のせいで消化器官に異常をきたした。

 これを医学的に【腹痛持ち(ハライタ)】と呼ぶ。

 おかげで俺は普段から腹の中で暴れる衝撃波と戦いながら生きている。


 今日も、腹の痛みを抑えながら仲間と旅をしていた。


「勇者様、モンスターの大群を殲滅しました! 残すはあちらのスライムだけです! トドメはお任せします!」


 勇者パーティーの聖女マリィが小さなスライムを指さして叫んだ。

 スライムごとき、通常なら俺が少し手を動かすだけで蒸発する弱い敵だ。


 だが、今日の俺の腹具合は絶不調。

 限界に近い。


(まずい……! あと三歩動いたら漏れるっ!)


「ここは、俺に任せておけ……」


 そう言いつつ、実は動けない。


 体を少しでも動かしたら、腹の圧力が俺を裏切る。


 そうなれば、勢いよくアレがああなって社会的に死ぬ。勇者としての旅は終わりを迎え、俺は人前に出られなくなる。


 (ひっひっぃふぅぅ! ひっひっぃふぅぅ! 耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ! 俺、頑張れ!)

 

 俺は静かに深呼吸して耐えることに集中した。


 目の前では小さなか弱いスライムがぽよぽよと跳ね回っている。


「わたくしはてっきり弱いスライムかと思っていましたが、勇者様がそれほど警戒されるということは……相当危険な敵なのですね!」


 聖女マリィは油断を捨てて戦闘態勢になった。


 いや、そんなわけないだろ! 俺がハライタで動けないだけだ。

 だが、仲間たちは俺の静かな様子を見て勝手に深刻な妄想を膨らませていく。


 俺が世界最強の実力者であるがばかりに、余計な勘違いが加速していく。


「勇者様の顔、まるで世界の終わりを見据えているような険しさだわ……!」


 魔法使いアリエスが息を呑んだ。


「恐ろしいスライムなんだ! きっと魔王の直属の配下に違いない! 見た目や雰囲気は他のスライムと変わらないのに!」


 戦士リュウが叫ぶ。


 スライムはぽよぽよと跳ねながら、のんきに俺たちを見ている。

 無害どころか、むしろ少し愛らしいとすら思う。

 

 どうみても強そうには見えない。いや、弱い。

 だが、俺の腹は限界だ。今の俺ではこのスライムを倒すことすらできない。

 おそらくこのタイプのハライタは、十分ほど安静にしていたらなりを顰める。

 無理に動けば……終わる。


(やばい、どうする、どうする? どうする!? アレか、アレを使うしかないか!? 使おう!)


 仕方がない。俺は奥の手を使うことにした。


 ハライタを回避し、尚且つ怪しまれないようにスライムを討伐する方法はこれしかない。


「——いっけええええええええええええええええええええ!!!」


 俺は全力で叫び、魔力を解放した。

 全身が光りを放ち、地は轟々と揺れ、風が吹き荒れ、空の雲は絶え間なく動き始める。


 全身全霊の魔力の波動を、雑魚すぎる木端スライムにぶつける。

 スライムは当然のようにモロに喰らうと、跡形もなく消滅した。


「す、すごい……!」

「勇者様の力、これほどとは!」


 仲間たちは感動の声を上げるが、俺の顔は青ざめている。

 この方法は諸刃の剣だ。本当は力を調整して漏れる一歩手前で魔力を解放したいのだが、あいにくそんなに器用じゃない。


 だから、いっそのこと完全に限界を突破して一瞬のうちに全部の魔力を解放してしまえば、ハライタを刺激することなく済ますことができる。


 (危なかったぜ……ったく、今回のハライタは中々の強敵だったな)


 俺は荒い呼吸を整え、額の冷や汗を拭った。


 背後では仲間たちが感嘆の声をあげているが、もう少しだけ待ってほしい。

 ハライタが収まってから帰らせてくれ。


「……亡くなったモンスターを弔おう」


「いつものやつですね」

「わかりました」

「勇者様はなんとお優しい!」


 ハライタ持ちの勇者も中々変だと思うけど、仲間のお前らもおかしいんだよな。

 

 まあ、ハライタがバレるのは恥ずかしいし、俺がつけた変な口実を盲信してくれるのは助かるんだけどね。



 こうして、今日も俺はハライタとともに冒険を続けている。

 クソ漏らしの勇者なんて称号はごめんだが、このままだと社会的に死ぬのも時間の問題かもしれない。


 俺の戦いはまだ始まったばかりだ。





 ◇◆◇◆◇





 スライム討伐の余韻がまだ残る翌朝。


 俺たち勇者一行は、次なる目的地ミドルウッドの街へ向かっていた。


「勇者様、昨日の魔力解放、すごかったです!」


 聖女マリィが満面の笑みで振り返る。


「……まあな」


 俺はそっけなく答えるが、内心では冷や汗をかいていた。


(あれはただハライタに負けないための必死の策だってのに。なんでこんなに持ち上げられるんだよ……)


 勇者として使命を果たしたい思いとは裏腹に、ハライタがバレて社会的な死を迎える恐怖を感じていた。


 なんというジレンマだろうか。


 せめて名前が勇者ウンコじゃなければよかったのに……そうすれば、もしも俺が冒険中にクソを漏らしても多少は傷が浅く済むような気がする。


 まあ……いい大人が人前でクソを漏らすこと自体やばいんだけどね。


「ミドルウッドにいくのは久しぶりですよねぇ」


 戦士リュウが言った。


 ミドルウッドは、剣士の街として知られる地だ。

 過去には多くの伝説的な剣士が生まれ、今でも自称・最強の戦士たちが集まる。

 そこで起こった問題を解決するのが今回の俺たちの目的だった。


 やがて、街に到着すると、すぐに異様な空気に気づいた。

 通りを歩く人々の顔には緊張が漂い、時折り響く剣の音が街全体を包み込む。


「おかしな空気感ですね」

「禍々しいというか、何かに怯えているような感じ……?」


 聖女マリィと魔法使いアリエスが顔を見合わせた。


 すると、街を見回す俺たちの元に見知った男が走ってきた。


「勇者様!」


 現れたのは、金髪に煌く鎧をまとった男、レオン。

 彼はこの街で評判の高い剣士で、会うたびに俺に構ってくるやつだ。


 鬱陶しい。幸いにも今日はハライタの調子は良さそうだが、めんどくせぇいざこざは避けておきたい。

 何かの拍子に漏れ出てくるかわからないしな。


「ふたたびお目にかかれるとは光栄です! 本当はここでひと勝負といきたいところですが……」


 ひと勝負もしたくない。

 俺への尊敬が凄すぎるあまり、ことあるごとに手合わせを願い出てくる。勘弁してほしい。


「あら、今日はレオンさんが勇者様に勝負を挑んでこないなんて、やっぱり例のアレが原因でしょうか?」


「聖女マリィ様、その通りでございます! この街で暴れている魔物を倒せるのは、勇者様しかおられない! どうか我々を助けてほしい!」


 レオンは恭しく頭を下げてきた。


 街を悩ませている魔物というのは”シャドウナイト”という名のモンスターらしい。

 詳しくは何も聞いてない。

 今のところ実害はないみたいだし、ここは強者揃いの街なんだから、勝手にお前らだけで倒してくれよ……


「というわけで、勇者様、またあの圧倒的な魔力を見せてください! 険しい顔つきで、ゆったりとした剣捌きから放たれる、あの至高の一撃……忘れもしません。あの類い稀なる集中力と練度の高さは勇者様のみぞ出すことができるのです」


 ちょっと何言ってるのかわかんない。


 多分、前回手合わせした時のことを言ってるんだろうけど、キラキラさせた目で見てこないでほしい。


 あの時はマジのガチでハライタが発動してて、そのせいで顔がいかつく険しくなって、剣を早く振れなくて……あと一歩で漏れていた。

 レオンがおかしな勘違いと緊張をしたおかげで勝てたに過ぎない。

 

「……いこう」


 色々と過去を想起してしまったが、レオンに構っている時間がもったいない。

 腹の調子が良いうちに、とっととちゃっちゃとさっさとぱっぱと、そのシャドウなんたらをしばきにいく。

 


 俺たちは街の外れの荒野に来ていた。

 近くには墓地があり、この辺りにシャドウナイトとやらが出るらしい。


 なんとなく夜しか出ないモンスターかと思ったが、そういうわけでもなく昼夜問わず現れるんだとか。

 名付けたやつは変な紛らわしい名前にしてんじゃないよ。勇者ウンコよりは酷くないけど、まあまあ酷い名前だよ?


「何もいませんね」


 戦士リュウが辺りを見回した。


 閑散とした荒野だ。

 本当に何もいない。


「……勇者様、何か感じませんか」


「ん?」


 聖女マリィが神経を研ぎ澄ましていたが、俺には全く何もわからなかった。


 小さな風が吹く音と草木が揺れる音しか聞こえない。

 

 あとは——ハライタの音。


 (きたきたきたきたきたぁ! 最悪だ! ここでくるか!? マジかよ! ギュルったぞ! 蠢いてるぞ! 今日のために昨日の夜の飯は軽めにしたってのに、なんで今この局面でハライタがきてんだよ!)


「勇者様、何かおかしな音が聞こえます。低く、唸るような、不愉快な、しかし……どこかで聞いたことがあるような音です」


「……そうだな」


 すみません。それ俺の腹の音です。ギュルギュルギュルギュルっていってます。みんな全然わかってないけど、俺、今、ハライタになってます。


 (やばい。ハライタすぎてシャドウナイトどころじゃねぇぞ、これ)


 俺は大きく深呼吸をした。が、全く状況は変わらない。

 今日のハライタレベルは、昨日がマックスに近いものだとすればその半分程度だ。しかし、それでも痛いものは痛いし、やっぱり刺激を与えるとクソが頭をよぎる。


 世間一般のハライタよりも十倍くらいはパワーとパンチ、破壊力と凄まじさを持つと考えてほしい。

 やばいだろ。みんなが普通にトイレで用を足すのとは、マジでレベルが違うんだぜ……?


「……勇者様の表情が険しくなられた……まさか、昨日のスライム以上の難敵なのでは?」


「しかも、何かに集中しておられる? 虚空に何かがあるのですか?」


 これまた聖女マリィと魔法使いアリエスが、妙な勘違いをした。

 

 俺はただ腹部に集中していただけだし、虚空を見つめていたのは気を逸らすためだ。

 そもそもまだ抜剣もしてないのに、敵を倒すとかなんとか言われても困る。


「……ん?」


 と、そんなこんなでしばらく集中しながら虚空を見つめていると、なんと目の前に黒ずんだ影が浮かんできた。


 まさかシャドウナイト?


 横目で仲間たちをチラ見するが、彼らは誰もそれが見えていない。


「勇者様、なにか?」


「あー……うん……」


 戦士リュウが尋ねてきたが、俺は引き続き黒ずんだ影に目をやった。


 黒ずんだ影は、人の形をしていた。

 ぼやぁっと、宙に浮かんでいて、もごもごと口元が動いている。


 (えーっと……『私たちはモンスターではありません。墓地に残された霊の魂です。日々の清掃を怠らなけば簡単に供養できます。お伝えお願いします。では』……はぁ?)


 素人ながら読唇術で解読してみたが、黒ずんだ影はモンスターではなく墓地を彷徨う幽霊だった。

 シャドウナイトという名前は誰かが勝手につけただけで、結局は単なる幽霊騒ぎだったわけだ。


 なんでいきなりその姿が見えるようになったのかはわからないがな。


「……勇者様、妙な異音と嫌な気配がなくなりました」


 聖女マリィが辺りに視線を這わせた。

 

 うん。なんか、シャドウナイトは幽霊だったわ。しかも、同時に俺のハライタも収まってくれたわ。


 解決だね、これで。


「戻ろう」


「え? もう戻られるのですか? シャドウナイトはどういたしますか?」


 魔法使いアリエスが呼び止めてくるが、俺は気にせず踵を返して街へと戻った。


 三人は疑問符を浮かべながらも俺についてくる。




 やがて街に戻ると、レオンが駆け寄ってきた。


「勇者様! いかがでしたか!」


「……もう終わった」


「はい? もうシャドウナイトを討伐されたということでしょうか?」


「そういうことだ。あと、墓地の清掃を忘れるなと皆に伝えておけ」


「は、はぁ……信心深いのですね」


「まあな」


「レオンさん! 当初は重低音の不愉快な唸り声が聞こえていたのですが、勇者様の放つ圧と目に見えぬ力のおかげであっさり討伐できました! 虚空を睨みつけ、口元を少し動かして何やら呪文を唱えると、気が付けば全てが終わっていたのです! 私たち三人が全く知らぬうちに!」


 聖女マリィが意気揚々と報告してくれる。

 俺のことを盲信しているから、0から100までストーリーを組み立ててくれた。ありがとう。

 合ってるような間違ってるような気がするけどもういいや。訂正すんのもめんどくさい。


「お、おぉ! さすがです、勇者様! 実はあの辺りには鉱石が眠るとされていて、皆が血眼になって捜索していたのです。いやぁ、よかったよかった! また鉱石採集を続けられそうですよ」


「血眼になって?」


「はい。よその街で高値で取引されている希少な鉱石があるんですが、サイズは小さめなので集中力を高めないと見つけられないんです」


 聞き返すとレオンが詳しく教えてくれた。


 なんとなく合点が入った。


 なんであの黒ずんだ影、幽霊が見えたのかと思ったが、どうやら集中して血眼で虚空を見つめると見えるっぽい。

 昼夜問わずってことは、今回のシャドウナイト騒ぎも鉱石採集の時に誰かが集中し過ぎて見えてしまったんだろう。


 全くお騒がせなやつらだ。




 まあ、今回もクソ漏らし勇者にならずに済んだのでよしとする。


 帰ろう。




 ◇◆◇◆





  俺たちは次の目的地へと向かう準備を進めていた。

 ミドルウッドの一件はあっさりと終わったが、俺にとっては十分すぎるほどのストレスだった。


 ハライタを押さえ込むために虚空を睨む時間は想像以上にしんどかった。


 だが、何よりも驚いたのは、レオンや街の住民たちが、俺の何気ない仕草を”勇者の崇高な行動”として美化してくれたことだった。


 出発の日、街を出る門の前でレオンが俺たちを見送る。


「勇者様、本当にお世話になりました! またお会いできる日を心より楽しみにしております!」


 なんでこんなに感謝されてんのかわからんが、まぁありがたく受け取っとこう。


「……困ったことがあったらまた呼んでくれ」


 俺が適当に返事をすると、聖女マリィが横で微笑む。


「勇者様、今回のご活躍、本当に素晴らしかったです!」


「……そっか」


 何もしてないけどね。ただ腹痛を抑えてただけだから。


 でも、俺が今さら真相を話すのも野暮だし、話したところで信じてもらえないだろう。

 みんなは「伝説の勇者」として俺を見ている。それが彼らにとっての希望になるなら、それでいい。


 更に言えば、それをバレたら恥ずかしいから絶対に口にしたくない。




 それから街を後にし、しばらく馬車で進むと、聖女マリィが口を開いた。


「勇者様、次の街にはどんな問題が待ち受けているのでしょうね?」


「さぁな……どんな問題でも俺たちで何とかするさ」


 内心では「これ以上変な問題が起きないことを祈るばかりだ」と思いつつ、適当に答える。

 モンスターの強さやトラブルの解決は多分容易い。一番の問題な俺のハライタだけだ。


 すると、横で戦士リュウが笑いながら言った。


「勇者様、実は我々は勇者様の活躍をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いましてね、記録を残してるんですよ」


「……記録?」


「ええ、旅の記録です。もちろん伝説の勇者様がどれほど素晴らしいか、細かく書き留めています!」


「……は?」


 俺の顔が一気に青ざめる。嫌な予感しかしない。


「勇者様の壮絶な戦いの日々、今回は街を救うためにシャドウナイトと対峙したあの姿……全てを詩にまとめてみました!」


 リュウは嬉々として手元のメモ帳を見せてくる。その中には、俺が腹痛を堪えて虚空を見つめていただけの場面が『凛然とした勇者のまなざし』として美化されていた。


「いや、それはさすがに——」


 俺が何か言おうとする前に、聖女マリィが興奮気味に言った。


「素晴らしいです! リュウさん、ぜひその詩を広めましょう! 次の街に着いたら、みんなで朗読会を開きませんか?」


「いいですね! これを聞いた人々が勇者様に希望を抱くことでしょう!」


「お、おい、ちょっと待て——」


 俺の抗議は無情にもかき消され、仲間たちは次の街での朗読会計画に盛り上がる。俺はというと、嫌な汗をかきながら、静かに腹部に手を当てるしかなかった。


 こうして、俺たちの旅は続く。


 伝説の勇者ウンコと呼ばれる俺が、この先何度ハライタと戦うことになるのかはわからない。

 だが、どんなに苦しくても、どんなに恥ずかしくても、俺が”勇者”として見られる限り、その期待に応えようと思う。


 もちろん、漏らさない範囲で、だけどな。


 旅はまだまだ終わらない。


「あれ? また不愉快な重低音が……」


(くそ、短時間で二度目のハライタがきちまった……)


 

 Fin

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