さよなら

 建物から出たレイの足取りは軽やかだった。まるで一仕事終わらせたみたいだったが、ある意味本番はここからだ。


レイはすぐに家には帰らずに、一つのジュエリーショップの前で足を止めた。念のため帽子を被って自動ドアをくぐり、店内に入る。

穏やかなオルゴールの音色と共に、整った髪型とスーツ姿の女性店員が上品に頭を下げる。中にはお金を持っていそうな男女が一組、ショーケースの前で店員と話し合っていた。

レイがここに来るのは二度目だが、まだ少し気恥ずかしい気持ちになる。

店員に声をかけ用件を話すと、店の奥に入っていき、小さな四角い箱を持って戻ってきた。箱の中を確認してそのまま受け取り、そそくさと店を出る。


店を出てから家までの道のりを歩いていると、だんだんと緊張感が高まってくる。先ほどの品を、胸ポケットから取り出して見つめる。これで本当の意味でキラと一つになれると思うと嬉しかった。これを渡した後、今度は二人であの店に行ってキラに好きなものを選ばせたいと思いながら歩くと、緊張の中に楽しみな気持ちが芽生えてくる。


キラと出会ってからは、昔の自分に戻っているような気がしている。母と暮らしていたころのように、感情をあらわにするようになった。くすぐったいような、どこか恥ずかしいような気持ちになるけれど、それが全部嫌じゃなかった。トイフェル達といた時でも満たされなかった自分の心。多分、誰かに心の底から必要としてもらいたかった、愛されたかったんだと思う。

キラにはレイしかいなくて、レイにはキラしかいない。そんないびつな関係かもしれないけれど、レイの心は満たされていた。


まっすぐな道の突き当りを曲がるとすぐにレイのアパートが見える。店の品をもう一度大切に胸ポケットにしまって顔を上げ、自分の部屋を見た瞬間、嫌な予感がレイの体中を駆け巡った。



部屋の前に誰かがいる。



そいつらの顔を見た時、予感が確信に変わる。頭の理解が追い付かない。うまく呼吸ができなくなる。必死に息を整え、気持ちを落ち着かせようとする。


もう一度部屋を見ると誰もいなくなっていて、もしかして幻覚を見ていたのかもしれないと思ったのもつかの間、部屋のドアが開けっ放しになっているのを見てレイは走り出した。階段の手すりを使って思い切り駆け上がると、一目散に自分の部屋に駆け込み、部屋のドアを開けて玄関に入る。


同じ匂いだった。

父と、あの女を殺した時と同じ匂いがした。今までにも散々嗅いできた匂いだった。


何とか立っている足でふらふらと歩き、リビングの真ん中に横たわった彼女を見つめる。抵抗した様子もなく、横たわった彼女の周りは血の海になっていた。自分の服が汚れるのも構わずに彼女のもとに近寄る。手遅れなのはわかっているけれど、彼女の頭を持ち上げ、頬を撫でた。すると彼女の目がうっすらと開き、レイを向く。


「レ、イ……?」


レイは何も言えずに彼女を見つめる。


「お、かえ……り」


絞りだした彼女の声は今にも消えそうだ。まだ生暖かい彼女の体温がレイの腕の中でだんだんと、けれど確実に冷めていくのが分かる。キラが、いなくなる。

レイは血に染まった震える手で胸ポケットから箱を取り出して開けた。中身を取り出してキラの左手の薬指にそれをはめる。彼女の指でキラキラと輝くそれにレイは口づけをし、キラに微笑みかける。


「キラ、結婚しよう。」


小さい声だったけれど、はっきりと口にした言葉にキラは嬉しそうに涙を流してそのまま目を閉じ、二度と開くことはなかった。

最後までキラの瞳は綺麗だった。


レイは冷たくなった彼女の唇にそっと口づけをしてゆっくりと腕から離し、横たわらせた。

バルコニーから差した西日がキラに降り注いでいて、まるで女神が舞い降りたようだった。



少し時間が経った後、レイは顔を上げバルコニーを見た。

そこには天使の羽があった。身体や顔は見えないけれど、確かにそこにキラがいた気がした。キラが迎えに来たのだと思った。

レイは静かに立ち上がるとバルコニーに出た。そっと遠くまで手を伸ばして羽をつかむと、レイの身体は軽くなり宙に浮いた。今ならこの空を飛んでどこへでも行ける気がした。


レイは目を閉じて自分の行く先に身体をゆだねる。怖くはなかった。暗いほうは見ずに飛び立った。






「レイって何かしてほしいことある?」


仕事から帰ったレイにキラが問いかけた。レイの誕生日が昨日だと教えてもらい、何かしたいと思ったからだ。昨日見たテレビでは、大切な人の誕生日には日ごろの感謝を伝えたり、贈り物をしよう、と言っていた。感謝は昨日伝えたので、今日は贈り物をしたいと思った。


「どうして?」


レイがきょとんとした顔で首をかしげる。キラもレイも誕生日に興味がない(特別な日ではないと思っている)ので当然の反応だ。

キラはレイに昨日テレビで見たことを伝えて、もう一度同じ問いを投げかけると、


「キラがいてくれることが毎日のプレゼントだよ。」


と言って微笑み、キラの頭を優しく撫でた。レイはこういう恥ずかしいこともさらっと言う。本人はケロッとしているので、逆にキラの方が恥ずかしくなってしまう。それでも嬉しいし、キラも同じ気持ちだ。しかし、それでは誕生日の贈り物にはならない。


「じゃ、じゃあレイの願いって何?」


焦ったキラは、続いて問いかけた。

レイは黙ったまま少し考えるようなそぶりを見せたのち、口を開いた。


「天国が……見たいかな。」


予想外の答えにキラは拍子抜けしてしまう。レイを見ると何とも言えない表情をしていた。でもよく考えると、レイがどんな気持ちでこの言葉を口にしたのか、キラは気づいてしまった。だから、


「じゃあ、一緒に天国に行こうね。」


と返した。結局贈り物はできなかったけれど、レイが嬉しそうに笑ったのを見てキラは、自分がプレゼントをもらってしまったような気がした。


(こんな、何でもないような日々がずっと続けばいいのに…。)





一人の殺し屋が行方不明になり、アパートの一室から女性の死体が見つかったという記事が全世界に発信されたのは、二人がそれぞれの場所に行った後のお話である。

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