決断と決意
キラと暮らし始めて一年が経とうしている。最近決まって同じ夢を見る。仕事から帰るといつも笑顔で出迎えてくれるはずのキラがいなくて、独りぼっちになる夢だ。一人で暮らしていた頃は何とも思っていなかった部屋がとても広く感じ、一人が落ち着くと思っていた静まり返った部屋がたまらなく寂しかった。そして俺が一人に絶望すると同時に目が覚める。
夢から覚めて一番最初に、隣にキラがいるか確認する。もう何度も同じことを繰り返している。そして隣で静かに寝息を立てているキラを見て、安堵するのもお決まりとなっている。
最初の頃は恐怖でなかなか寝付けないでいたキラだが、今では俺の隣でぐっすりと眠ってくれている。出会ったころから俺を慕ってくれていて、仕事以外はいつも俺の後をついてくるのがかわいらしい。
仕事で疲れて帰っても、キラが笑顔で迎えてくれて、俺の心を安らげる。この部屋で一人で過ごしていたなんて今はもう考えられない。休日をどう過ごしていたのか思い出せないくらい、キラの存在が俺の中で当たり前になっていった。
ふと、隣で眠るキラの頭に手を伸ばし、ゆっくりと頭を撫でる。ぼさぼさだった手入れの行き届いていない髪の毛も大分きれいになり、さらさらしていて触り心地がいい。髪を一束持ち上げるとすぐに手の間を髪の毛が落ちていき、布団の上に着地をする。何度かそれを繰り返していると、キラの目にギュッと力が入る。「んんん。」という眠そうな声と共に瞼が開く。起こしてしまった。
「レイ……どうしたの?眠れない?」
今にも眠りそうな声でキラがささやく。そしてゆっくりと体を起こし、レイと向き合った。目がとろんとしていてかわいい。俺はキラの頬に手を当て、親指で優しくこすった。キラは気持ちよさそうに目をつむって動きをゆだねる。
「ごめんね、起こしちゃって。」
キラの頬を撫でながらぽつりと言うと、
「んーん、レイが眠れない時は私が寝かしつけてあげるよ。」
と、少しいたずらっぽく笑いつつもキラの瞼は重く、今にも眠りそうだ。
「キラがいなくなったら、俺…どうなるんだろう。」
しかし、零れ落ちたレイの言葉をキラはしっかりと聞いていたようで、
「…私は……レイがいなくなったら死んじゃう、一人にしないで。……一人は、怖いの。レイがいないなんて…考えられない。」
レイの部屋着の裾を弱弱しく握りながらそう言うキラの声は、だんだんと小さくなる。
キラが自分を慕ってくれるのは素直に嬉しい。が、自分は本当に誰かに慕ってもらえるような人間なのだろうか。自分の親を殺し、他人を殺し、それでも殺すことに何の感情も抱けない自分は何なのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、キラがレイの手を包み込むように握った。キラのほうを見るとすっかり目が覚めた様子でまっすぐにレイを見つめていた。レイが何も言わずとも、キラはレイの不安を感じ取って、安心させようと手を握ってくれたことが分かった。
レイは思わずキラを抱きしめていた。この子が…愛おしい。この感情だけは本物だ、嘘じゃない。キラにとって俺が天使なら、俺にとってもキラは天使だ。
キラは何も言わずにレイの背中に手をまわし、小さい腕で一生懸命レイの身体を包み込んだ。
レイが抱きしめていた腕を緩めると、キラも同じように腕を緩める。お互いに目を合わせ、どちらからともなく顔を近づける。唇と唇が重なりあう、暗いほうは見ずに。
今までレイが殺してきた人間は数えきれないほどいる。キラと過ごして、自分の仕事に後ろめたさを感じるようになった。キラはまだ若い。何でもできるし、させてあげたいとも思う。キラはレイがいればいいというが、レイの仕事は長く続けられるものではない。今はトイフェルが守ってくれているけれど、いつまでもつのか分からないし、レイの存在は全世界に知れ渡っている。世間から見れば俺は完全に悪者だろう。そんな不安定な中でキラを守れるのか。キラを巻き込みたくない、という気持ちが日に日に強くなる。と同時に、一つの決意がレイの中で確実になっていった。
「レイ、今日はどうした。仕事の報告以外で俺に用なんて珍しいな。」
広い部屋に頑丈そうなテーブルが一つ、真ん中に置かれている。両端には壺やらの美術品が置かれ、扉の前にはスーツ姿のガタイのいい男が二人立っている。レイと机を挟んで座っているトイフェルが、声を弾ませながら言った。
いったん深呼吸をし、静かにトイフェルの前に近づく。ジャケット裏の胸ポケットに忍ばせておいたそれを取り出し、トイフェルの机の上に静かに置いた。
一瞬で部屋の空気が変わり、緊張が走る。
「どういうことだ、レイ。」
トイフェルに渡したそれは退職届だった。
いつもの人当たりのよさそうな性格からは想像もできないほどの圧力を感じ、ああ所詮この人も俺と同じ仕事をしている人だ、と改めて実感する。普通はこの声を聴いただけで委縮してしまうだろうが、レイは不思議と落ち着いている。それほどまでにレイの決意は固まっていた。
「あなたには感謝しています。俺を拾ってここまで育ててくれて。生活の術や、家族の暖かさを教えてもらった。でも……やりたいことが出来たんです。……これからは自分のために生きろ、あなたがあの日俺に言ってくれた言葉です。甘えたことだとは分かっています。でもどうか許してください。」
一気に言い終え頭を下げると、もう一度深呼吸をした。顔を上げるとトイフェルは何を考えているか分からない顔でレイを見つめていた。レイも負けじと、トイフェルの目をまっすぐに見つめる。
「はあ。分かった、勝手にしろ。」
「え……?」
トイフェルがあまりにさらっというので拍子抜けしてしまう。
「自分の人生生きるんだろ?生きれるもんなら生きてみろ。ただし、世の中はそんなに甘くないぞ。」
指の一本は無くなる覚悟で来たので、トイフェルがこんなに簡単に許してくれるとは思わなかったけれど、その時のレイはあまり深く考えなかった。それよりも、これからのキラとの生活を考えてすっかり浮かれていた。そんなにうまく物事が運ぶわけがないとも気づかずに……。俺はトイフェルに深々と頭を下げると部屋を出た。
レイが部屋を出ていく後ろ姿を見送るが、どことなく嬉しそうな背中に見える。いつからだろう。無表情だったレイの顔が少しだけ和らぐようになったのは。
トイフェルは先ほどレイから渡された退職届を見つめる。
「あの、よろしいんですか。」
トイフェルの顔色を窺うように、ドアの前に立っていた男の一人が、一歩前に出て口を開く。あまりにも簡単にレイがやめることを許したので、戸惑うのも無理はない。
「もう手は打ってある。やはりあの女は早々に始末するべきだった。」
だから冷たくそう言い放った。男はそれを聞くと、納得したように一歩下がる。
レイはキラのことをトイフェルに話さずに勝手に住まわせていて、ばれていないだろうとでも思っているだろうが、トイフェルはすべてを把握していた。ある依頼の報告の時からレイの様子がおかしかった。
部下にこっそりレイを調べさせると、若い少女と一緒に住んでいることが分かった。守るものがあると弱くなると、あれほど教えたのに。
レイをこのまま手放すわけにはいかない。レイはとても優秀だ。そのためにも余計なものはすぐに排除しなくては。そしてまた一人になったレイを俺が拾う。逃がさない。
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