天使と出会う

夜が好きだ。外は静まり返り、家には誰もいなくて一人の時間を過ごせるから。

朝と昼は嫌い。外がうるさいし、二人が帰ってきて私を殴るから。

外が明るくなっていくのが怖い。刻一刻とその時が近づいていく。





「もういいだろ。そろそろ行こうぜ。」


男が口を開き、用意されたかばんを持ち上げる。


「あ、ちょっと待ってよ~」


女の甘ったるい声が部屋中に響く。

それと同時に、女の足が私のおなかから離れる。そして、私の視線に気づいた彼女がこちらを睨みつける。


「なにその目、言いたいことでもあんの?」


こういう時どんな反応をすればいいのかいまだに分からない。何を言っても、多分この女は怒るだろう。


「この家に置いてやってんだから感謝しなさいよ。今日も余計な事するんじゃないわよ!」


私は静かに頷く。

そして二人が早く家から出ていくことを、身体を小さく縮めながらひたすら祈る。

玄関越しに女のヒールの音が遠ざかっていくのを確認して、私はようやくほっと息をつく。


一日のうち約八時間、この時間だけが私にとって至福の時だ。

といっても特にやることはないので、とりあえずテレビをつけてみる。

そこにはクイズ番組が映っていた。画面には私と同じくらいの年の小学生がクイズに答えている。


(そういえば、私くらいの年の子はみんな勉強するところに通っているんだっけ。)


なんとなくリモコンのボタンを押し、番組を切り替える。小さな子供が、お母さんとお父さんにプレゼントをもらって喜んでいる場面が映る。


(こういうのが普通の家族ってやつなのかな。)


あの人たちも、一応私の父親と母親だ。

機嫌がいいときは私をいないものとして扱い、機嫌が悪いときはストレス発散のおもちゃとして気のすむまで私を殴る。

愛情を感じたことはなく、本当に血がつながっているのか疑ってしまうほどだ。

今までそれが当たり前だと思っていたけれど、毎日家の外から聞こえてくる、よその家の親子の会話がうちとは全く違うことに気づいてからは、むしろ私の家が《普通》ではないのだと悟る。

しかし、悟ったところで何かできるわけでも、誰かが助けてくれるわけでもない。だったら余計なことは考えずに、ただ一日が無事に終わってくれることだけを考えながら生きるほうがいい。ないものねだりしても無駄だと分かっている。


しばらくテレビを見つめていたが、はっとなり慌ててテレビを消す。

いつかテレビをつけっぱなしにして寝てしまったことがあり、あとですごく殴られたからだ。

テレビを消すと、家には誰もいないと言っても不思議ではないほどに静まり返る。やることがなくなり、意味もなく床に寝っ転がると自然と私のおなかが鳴る。

空腹には耐えられないので、仕方なく立ち上がり、台所のそばのテーブルに近づく。袋の中から食パンを一枚取り出し、半分に分けて少しずつ口の中に入れる。与えられる一週間の食事は、八枚切りの食パン一袋と水道水少し。お風呂は一週間に一回、三十秒ほど時間をくれる。


以前どうしてもおなかがすいた時、近くに置いてあったパンを食べたら、真冬にもかかわらずベランダに締め出され、しばらく家に入れてもらえなかった。

パンを食べなければ楽になれるのかもとも思うが、自分から自分の手を放す勇気は出ない。


いっそのことあの二人を殺して私も死ぬ?そんなことを考えるのも、もう何百回目だろう。


(だれか、殺してくれればいいのに。私のこともあいつらのことも。)


矛盾だ。無駄だと思いつつ結局私は、ないものねだりをしてしまうのだ。

パンを食べ終えると、再び床に寝転がる。床のひんやりとした冷気が私を包む。それにしても今日は寒い。最近寒い日が続いているが、今日は一段と冷え込んでいる。七分袖の服を着ているためか余計に寒く感じる。当然エアコンなんてものは、つけさせてもらえないので、ひたすら寒さに耐えるしかない。


すると、私の視界の端に毛布が映りこんだ。私はごくりと息をのむ。頭ではだめだとわかっているけれど、身体が自然と毛布のそばに近寄っていく。


(少しだけ、少しだけ。)


そう自分に言い聞かせ、毛布をかぶる。冷たかった毛布にだんだんと自分の体温が移っていき、全体に暖かさが広がる。

と同時に眠気が襲ってくる。


(やばい……。)


私は毛布の暖かさから抜け出すこともできず、そのまま重くなった瞼を閉じる。


どれくらい時間が経っただろうか、少しだけ目を開けると明るい光が入ってくる。一気に血の気が引く。暖かいはずなのに寒気すら感じ、鳥肌が立つ。眠気が吹っ飛び、一気に起き上がるとあたりを見渡し、耳を澄ませる。


(まだ帰ってきてない……?)


ほっと胸をなでおろすと同時に、ガチャっと扉を開ける音がした。

何を考えたのか、私は思わず毛布をかぶってしまっていた。すぐに出ないといけないのに怖いからか、寒いからなのか身体が動かない。


毛布の中で足音がどかどかと近づいてくるのを震えながら待つ。自然と息があがる。苦しい。


「は?最悪。毛布にゴミが入ってるんだけど。」


扉を開けるや否や、自分のお気に入りの毛布が盛り上がっているのを見て、女が声を発する。


「マジか(笑)。ゴミなら捨てやすいようにつぶさないとな。」


「これお気に入りだったのにほんっと最悪。」


女が私を踏みつける。


(痛い…。)


土足のまま入ってきたのか、女の履いたヒールのとがった部分が当たって痛い、痛い。


「住む場所があるだけじゃ満足できないのかよこのゴミ!何っ回私たちを怒らせば気が済むわけ⁉」


(大丈夫、大丈夫。すぐに終わる。)


目を力強く閉じ、心の中で祈りながら、毛布の中で息をひそめる。目頭が熱くなるのを感じた。


すると、さっきまで私を踏みつけていた足がピタッと止まり、私を罵っていた言葉も止んだ。


「…?」


震える手で少しだけ毛布から顔を出す。毛布の中に冷気が入ってくるのを感じ、身震いをする。ゆっくりと視線を上げ、窓の外を見る。幻覚ではない。


私はその日、天使に出会った。そして思った、間違いなく私の天使なのだと。


天使は静かに手に持ったそれを構え、引き金を引くと、発射したものが私の真横を通り過ぎ、女に当たった。まるでスローモーションのように時が流れた。

瞬きする間もなく次を発射し、男に当たった。目の前が一瞬で真っ赤に染まる。

最後に天使が私のほうを見た。底の知れない深く黒いその瞳に、私はすべてを奪われた。奪われて、しまった。


次の瞬間、私の身体は勝手に動き、思わず天使に抱きついていた。

天使は少し驚いたとばかりに身体を委縮させ、数秒の間硬直した後、静かに私の身体を包み込んだ。

私たちは暗いほうは見ずに長い間抱きしめあった。


それが私キラと、天使レイの出会いだった。

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