第5話 侵入者の影

「伏せろ!」

斉藤康隆の声が室内に響く。ドア越しに何者かが激しく押し入ろうとする音が続いていた。古びた木製のドアは今にも崩れ落ちそうで、そのたびに部屋の空気が張り詰めていく。宮田崇は壁際に身を隠し、震える声で呟いた。


「やつらだ……ずっと俺を見張っていた……」


斉藤は拳銃を構え、ドアを睨みながら叫んだ。


「誰だ! 警察だ! 今すぐその場を離れろ!」


返事はない。代わりに、ドアが蹴られる音が室内に響き、蝶番が徐々に外れ始める。室内の蛍光灯の薄明かりが、揺れるドアの隙間を照らしていた。


「くそっ……突入してくる気だな。」


斉藤は息を整え、宮田に指示を出した。


「隠れたままでいろ。どんな音がしても動くな!」


宮田は何度も頷き、壁にさらに身体を押し付けるように隠れた。その時、ドアの隙間から煙のようなものが噴き出してくる。目と鼻を刺すような刺激臭が部屋全体を覆い始めた。


「催涙ガスだ……くそ!」


斉藤は即座に口と鼻を覆い、動き始めた。煙の中で視界が遮られる中、侵入者が音もなく現れる気配を感じた。斉藤は拳銃を構え、目を凝らす。


緊張の対峙


煙の向こうから、黒い服を身にまとった男が姿を現した。完全に顔を隠すマスクとゴーグルをつけているため、その表情は分からない。斉藤はすかさず叫ぶ。


「動くな! これ以上近づけば撃つぞ!」


だが男は何も言わず、代わりに拳銃を構えた。その動きには訓練を受けたプロフェッショナルの気配があった。


「誰に雇われた? 目的は何だ?」


斉藤が問い詰めるが、男は答えず、一発銃を放った。乾いた音が部屋に響き、弾丸が壁に突き刺さる。


「やる気か……!」


斉藤は冷静に物陰へ身を隠しながら反撃の一発を放つ。弾丸は侵入者のすぐ横を掠めたが、相手の動きを止めるには至らない。男は銃を構えたまま、じりじりと斉藤に迫ってくる。


「時間がない……宮田を守らなければ。」


斉藤は床を這いながら非常階段に繋がる窓の方へ移動した。宮田はすでに窓際で震えている。


「宮田、非常階段だ! 今すぐ逃げろ!」


宮田は一瞬ためらったが、斉藤の怒声に押されるように窓枠を乗り越え、非常階段へ足をかけた。


非常階段での追撃


斉藤は侵入者を牽制するため、再び数発の銃声を響かせた。だが、侵入者は巧みに物陰に隠れ、弾丸をかわしている。その間に、宮田は非常階段を慌ただしく駆け下り始めた。


「宮田、急げ!」


斉藤も窓を飛び越え、非常階段に足を踏み入れる。だがその瞬間、侵入者が窓枠から飛び降り、静かに追撃を始めた。重いブーツが階段を軋ませる音が背後から迫ってくる。


「くそっ……何者だ……!」


斉藤は振り返りざまに威嚇射撃を放った。その一発が侵入者の足元の鉄骨を叩き、男は一瞬立ち止まる。だがその間にも、宮田は足をもつれさせながら階段を駆け降りていた。


逃走の成功、残る疑問


ついに宮田と斉藤はアパートの外に出た。暗い夜の中、駐車場に停めた斉藤の車が唯一の光となる。斉藤は宮田を車の助手席に押し込むと、自分も運転席に飛び乗り、エンジンをかけた。


「捕まるわけにはいかない……」


アクセルを思い切り踏み込み、車はタイヤを鳴らしながらその場を離れた。ミラー越しに見ると、侵入者の姿が遠ざかっていく。だが、あの男の冷静な動きと執拗な追撃は、これが終わりではないことを予感させた。


車内で宮田は息を切らしながら、頭を抱えて震えている。


「……もう逃げ切れない。あいつらは俺を……」


「まだだ。俺がいる限り、お前は守る。」


斉藤のその言葉に、宮田はかすかに頷いた。その顔には10年間背負い続けた重圧の影が色濃く残っていた。


「ただし、全部話せ。何があったのか、隠していることを全部だ。それが、お前の命を守る唯一の方法だ。」


宮田は震える声で答えた。


「……分かった……話すよ。川村紗英のこと、あの夜のこと……全部……」


その言葉が車内に響いた瞬間、物語は新たな局面に突入する。侵入者の正体、大山家の影、そして宮田が守り続けた秘密――そのすべてが一つの点で交わろうとしていた。


車内の静けさは重く、宮田崇の震える息遣いだけが聞こえていた。斉藤康隆は運転席で無言のままハンドルを握りしめ、前方の闇を見据えている。彼の脳裏では、宮田が持つ真実への期待と、襲撃者たちが示す危険性が交錯していた。


「ここなら一旦落ち着けるはずだ。」


斉藤は、街外れにある小さなモーテルの駐車場に車を止めた。薄暗い外灯がかろうじて周囲を照らしている。車を降り、鍵を手に受付で簡単な手続きを済ませると、二人は部屋へと急いだ。


狭いモーテルの一室に入ると、斉藤は宮田を椅子に座らせ、自分も対面のベッドに腰を下ろした。部屋には古びた家具と白熱灯の微かな明かりがあるだけだった。


「落ち着いたか? 今のうちにすべて話せ。10年前、川村紗英の身に何が起きた?」


斉藤の言葉に促され、宮田はしばらく唇を噛んでいたが、ついに重い口を開いた。


「……あの夜、紗英は知ってはいけないものを見つけてしまったんだ。」


「知ってはいけないもの?」


「そうだ。大山家が進めていた再開発計画だ。川村紗英は、その計画に潜む違法な取り引きの証拠を偶然目にしてしまったんだ。」


宮田の話によれば、大山家は地元の権力を使い、広大な土地を違法に買収していた。再開発計画に関与していた企業や政治家も含め、汚職の連鎖が隠されていたという。


「その証拠が、あのパーティーの場で見つかったのか?」


「そうだ。紗英は、達也の部屋で机に置かれていた計画書の一部を偶然見つけた。それを見た瞬間、彼女の表情が変わったのを覚えている。」


宮田は顔を伏せ、拳を握りしめた。


「俺は止めるべきだった。だが、彼女は正義感が強すぎたんだ。『これは公表しなければならない』って言い出して……俺は何もできなかった。」


「それで、紗英は誰かに狙われたのか?」


宮田は頷いた。


「おそらく、大山達也だけじゃない。達也の父親――大山重信は、紗英が持ち帰った計画書の一部をどうにかして奪い返そうとしたんだろう。」


「紗英が失踪した夜、あなたは何をした?」


「……彼女と二人で話をしていた。『気をつけろ』と何度も言ったが、彼女は聞く耳を持たなかった。その後、彼女は帰ると言って部屋を出た。でも……その数時間後、俺も誰かに追われるようになった。」


斉藤はその言葉に疑念を抱いた。


「誰に追われた?」


「分からない。ただ、大山家の関係者だと思う。俺は身の危険を感じ、紗英を救えないまま逃げるしかなかったんだ。」


「紗英が持ち帰った計画書はどうなった?」


斉藤の鋭い質問に、宮田は俯いたまま首を振った。


「それが分からないんだ……。紗英が持っていたはずだが、彼女の失踪後、それがどこに行ったのか誰にも分からない。」


「つまり、その計画書が今も存在している可能性があるということか?」


「そうだ。大山家の秘密を暴く鍵は、それにある……」


斉藤は深く息を吐き、考えを巡らせた。紗英が見つけた計画書、それを奪おうとした大山家。そして、その秘密を守るための徹底した沈黙。すべてが繋がりつつある。


部屋に重い沈黙が流れる中、斉藤は宮田を見据えた。


「お前はその計画書を直接見たのか?」


宮田は短く頷く。


「部分的にな。土地の買収の詳細や、名前のリストが書かれていた。それが決定的な証拠になる……」


その時、不意に外から物音が聞こえた。足音が廊下をゆっくりと歩く音。斉藤は即座に反応し、拳銃を構えた。


「また奴らか……宮田、後ろに下がれ!」


斉藤が警戒する中、部屋のドアがノックされた。


「斉藤さん、俺です。」


声の主は応援要請を受けて駆け付けた若手刑事だった。斉藤はドアを開けると、刑事が息を切らしながら報告を始めた。


「宮田崇を狙った襲撃者ですが……車のナンバーから、大山家の関連企業が所有していることが分かりました。」


その言葉に、斉藤の目が険しく光る。


「やはり大山家か……」

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