第8話 「在る」ということ
彼女の死因は飛び降りだった。状況から見て、近くの公営住宅から飛び降りたらしかった。それはまさしく、僕が彼女に語っていた死に方だった。彼女に「先を越された」のだ。
その建物は8階建てで、人が飛び降りて死ぬには十分な高さがあった。そして公営住宅という性質上、マンションのエントランスのような警備はない。入ってエレベーターに乗れば、誰でも最上階まで行くことができた。
なぜ彼女が自殺してしまったのか、僕には分からなかった。彼女は遺書のようなものは遺していなかった。僕が追い詰められていることを知って、クラスメイトの気をそらすために飛び降りたのだろうか。あるいは、実は彼女へのいじめは裏で続いていて、僕からの話を聞いて、自殺を決意したのだろうか。
彼女が亡くなったことで、学校にも調査が入った。自殺の原因がいじめにあったのではないかと、誰かが告げ口したのだろう。それはクラスにとっては周知の事実であったし、教師も薄々気づいていたはずだ。
僕へのいじめはなくなった。この状況でできるバカなヤツはいない。けれど、もう教室に僕の居場所はなかった。僕は親に転校を申し出た。親は僕へのいじめの事実は知らなかったけど、幼馴染の不慮の死は転校の理由に十分だった。
「僕は彼女に会って、謝らないといけないんです」
天與さんは黙って話を聞いていた。相変わらずマネキンのように表情は変わらなかったが、話の合間に小さく頷いていた。
「会いたいと思うのなら、会えばいい」
天與さんは平然と言う。
「彼女に会いたいと願うその思いが、彼女を『復活』に近づける」
天與さんは復活を本気で信じているようだ。確かに、先ほど魚が生き返るのを僕は見た。けれど、魚と人間では訳が違う。あの魚はホルマリン漬けだったが、彼女はとうに焼かれて、どこかの墓石の下で粉になっている。
そしてもっと大事なことは、人間には尊重すべき意志がある、ということだ。
「彼女は、復活を望むでしょうか」
天與さんが目を見開く。僕の問いかけが意外だったようだ。
「私が彼女に会いたいと願って、その結果復活して、また会うことができたとして......それが本当にいいことなんでしょうか」
僕は天與さんの顔をまっすぐに見た。天與さんの目線は空中に移っている。
「つまりキミは、彼女の復活を望むのは、エゴに過ぎないのではないかと疑念を持っているということだね」
「......そうですね」
彼女に会いたいというのは、僕の自分勝手な思いにすぎない。理由を告げずに彼女は逝ってしまったが、それには彼女なりの理由があったに違いない。復活とは、それを覆すことだ。意志を尊重しているとはとても言えない。
空中に舞っていた天與さんの目線が、再び僕に戻る。そして口を開いた。
「その通りだ。これは我々のエゴに過ぎない」
「えっ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を出した。なんという開き直り。
「そもそも、全てがそうなのだ」
天與さんの口調が教師のようになっていくのを感じる。まるで、産婆法で語るソクラテスのように。
「少年。キミの生は、キミが望んで得たものかな」
僕は言葉に詰まる。生まれる前に意志なんてあるものだろうか。
「キミを構成している原子は、望んでキミの一部になったのだろうか」
「原子に意志なんてあるんですか」
さっきの問いに仕返しするように、僕はすぐに質問を返す。
「あるだろう。それらで構成されている我々にあるのだから」
生まれる前の意志なんて、原子一つひとつの意志なんて、ありえない。
しかし、と僕は考え出す。確かに、原子に意志が無いのだとしたら、僕の意志はどこから来たのだろうか。仮に僕が左手を失ったとしても、僕の意志はおそらく存続する。それは、僕の左手が僕の意志と無関係の存在だったという意味になるのだろうか。僕の脳を半分取ったときに、僕の意志はどちらにあるのだろうか。僕が生まれる前に意志がなかったとして、僕はいつから意志を持つようになったのだろうか。
どこまでが僕で、どこまでが僕でないのか。
「『友愛の回復』は、それらのエゴとの『和解』なのだ」
天與さんがおもむろに右腕を動かし、人差し指で一点を指す。
「少年、あそこにユリの花が咲いているのが見えるかな」
僕は指された方向を見る。窓際に透明な花瓶に活けられた白いユリが一輪、咲いていた。館内では珍しく日の当たるところだ。ユリはその場所を独占するように、日光を反射して輝いていた。
僕はただ「見えます」とだけ答えた。
「では、全く同じところにバラは咲いているかな」
「いえ、ないと思います」
質問の意図がよく分からなかったので、僕はありのままに答えた。
「そのとおりだ、少年。我々は、あのような状態をして『ユリが在る』と言うのだよ」
僕は顔を歪ませた。「言葉の意味は分かるが、文の意味は分からない」というやつだ。
「どういう意味ですか?」
「『物がそこに在る』ということは、『それ以外の物はそこに無い』ということだ」
「在る」とは、それ以外が「無い」ということ?
「そこに在ったかもしれない他の物を、空間的に、時間的に『排除』するということが、『在る』ということなのだよ」
「排除」という言葉を聞いて、体が少しこわばった。排除される側だった人間にとって、居心地のいい話ではない。
「キミはその子よりも長く生き、その子がいたはずの『ここ』にキミがいる」
そして、僕は排除する側の人間でもあった。積極的に、ではない。でも、結果的に彼女を見捨ててしまった。僕の存在によって、彼女を死に追いやってしまった。
「『存在』とはエゴであり、エゴとは意志だ。キミの存在も、その子の存在も、私の存在も」
天與さんは話を続ける。
「この世界には存在できる物質の量が決まっている。無限に思えるこの宇宙も、原初に生じたゆらぎによって、予めその幅は決まっていたのだ。この壮大なゼロサムゲームからキミの苦しみは生まれている。『在』は『非在』に負い目を負い続ける。私の語る『事業』は、『在』と『非在』の和解にある」
理解できる言葉は少ない。だから正しい受け答えが出来ている自信がない。それでも、僕は言うべきことを言う。
「もしエゴだったとしても、僕はもう一度彼女に会いたいんです」
「それでいい。能動によってでしか和解は得られない」
天與さんはゆっくりと頷いた。そして手元の本に目を落とし、何かを呟く。そしてすぐに視線を僕に戻した。
「少年、我々の事業に加わりたまえ」
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