第7話 大切な人
「会いたいです。とても」
僕は正直な気持ちを吐露した。今日初めて会った人に、自分のトラウマを語るなんて馬鹿げた話だ。でも、カウンセリングなんてそんなものじゃないだろうか。
「でも、僕はその人に会わせる顔がなんです」
「どういう意味か聞いてもいいかな」
天與さんが椅子に深く座り直す。僕も思わず背筋を伸ばした。
「僕の大切な人というのは、前にいた学校でいじめられていた女の子なんです。彼女は僕の幼馴染でした。けれど彼女へのいじめが始まったとき、僕は見捨ててしまった」
最初は些細なきっかけであったと思う。
笑った顔がちょっと気に入らなかったとか、場を白けさせるようなことを言ってしまったとか。理由なんてもう憶えていない。
僕は彼女と幼馴染だった。家が隣同士だったのだ。幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあった。
彼女へのいじめが始まったのは小学校の4年生に上がったくらいであったと思う。自我の芽生えによって、クラスの中に稚拙な社会が現れ始める。クラス内でのヒエラルキーが決まってくる頃だ。彼女はその中で、運悪く貧乏くじを引いてしまった。
その頃から、僕は彼女と距離を取り始めた。思春期の始まりによって、女子と没交渉になっていくのはよくあることだ。僕は自分にそう言い聞かせていた。
でも実際は、僕は彼女を通していじめの標的になることが怖かった。彼女と交流することで、火の粉を被ることを恐れていた。
「彼女がいなくなったのは、そのいじめが原因ということかな」
「いえ、違います」
彼女は健気だった。彼女がどういう仕打ちを受けているか、僕に訴えてもいいはずだった。だけど彼女はそのことについて、僕には一切語らなかった。もちろん、ただ言いたくなかったということもあるだろう。でも彼女は、僕には何も話さなかった。それが諦めによるものか、それとも気分を悪くするからと配慮していたのか、もはや分からない。
中学生に上がった。彼女へのいじめは続いていたが、それはある種の「文化」になっていた。もうそうすることが当然とも言える雰囲気。この段階に至って、徐々に彼女へのいじめは弱まっていたようだった。移ろいやすい多感な中学生の話だ。次の対象に興味を移していった。
次のいじめの標的は、僕だった。
「彼女へのいじめは長続きしませんでした。そして、次の標的は僕になりました」
理由は僕にもよく分からない。たぶん、彼女と接していたことが薄々知られていたのだろう。僕もクラスでは目立つようなタイプではないから、標的とするには最適だった。
そこからの日々は地獄だった。このとき、僕は彼女がどんな仕打ちを受けていたのかを知った。この生き地獄に、彼女は何年も耐えていたのか。なぜ僕は、あのときに救いの手を差し伸べなかったのか。
僕はひとりで耐えた。それが贖罪だと思った。いじめから解放された彼女は、新たな標的になった僕を気遣ってくれた。教室で孤独な僕と話すことも憚らなかった。標的が彼女に戻ってしまうことも容易にありえたのに、彼女は気にしなかった。僕は彼女に習って、学校では無理に話さなくてもいいと伝えた。彼女は、そんなことは全く気にしないと言った。その優しさが僕をもっと惨めにする。そんなこと、言えるはずがなかった。
ある日、事件が起きた。ある生徒のスマホが無くなった。その生徒はいじめの主犯格だった。前日に買ったばかりの新品で、彼はそれを周囲に自慢していた。
周囲はすぐに僕を疑った。曰く、日頃の恨みを晴らしたいのではないかと。理不尽な話だった。僕は犯人に仕立て上げられ、連日のいじめは激しさを増した。暴力的な手段を伴うようになった。それまでは、いじめをしているという後ろめたさが彼らを押さえつけていたのだろう。悪者を懲らしめるという「大義」を得ると、堰を切ったように暴力が押し寄せた。
「つらかったです。助けを呼ぶ体力さえ失っていました」
天與さんは静かに聞いている。
「最終的に僕は、自殺に思い至りました」
死のう、と思った。異常な日常が続くと、心身もおかしくなっていく。だから僕は、完全におかしくなる前に、予防として死のうと思った。今思えば、この時点でおかしくなっていた。
死を覚悟したその日、僕は彼女に会った。そして近いうちに死ぬことを告げた。あのときの僕が、彼女に引き留めてほしかったのかどうかはよく憶えていない。でも彼女だけには言っておくべきだと感じていた。
「彼女はキミに何と言ったのかな?」
「何も言いませんでした」
彼女の訃報を聞いたのは、その次の日だった。
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