自殺未遂の年賀状

 毎年正月になると思い出す筆跡がある。太い筆ペンを使ったらしくやけに勢いのある「謹賀新年」。はがきと墨の色以外は見当たらない簡素な年賀状だ。

 住職である私の父は方々から年賀状を頂く。その色とりどりの中でほとんど呪いに近い空気を放つその一枚は、ただ整理を手伝わされているだけの私ですら興味を惹かれた。

「ああ、それは〇〇さんの」

 私が手を止めたのに気づいた母がそう言った。

「父さんが自殺を止めてから毎年欠かさず送ってくれるのよ」

 そして母はつらつらとそのときのことを語った。

 ある日寺に一本の電話がかかってきた。その内容は「主人の自殺を止めて欲しい」というもの。父は早速その家へ赴き、長い説得の末に自殺を断念してもらったのだそう。

 父は本当に適当な人で、だからこそ適当に人を勇気づけられる人だった。そのときも適当にいろいろ言ったのだろう。きっと自殺しようとしていた人は、真面目に考えすぎてしまっていたのではないだろうか。父のような適当さが時に救いになることは、私も既に知っていた。

 私にとって父は育児放棄気味の駄目親だ。しかしこの年賀状の送り主にとっては、まさに人生を変えた恩人なのだろう。欠かすことなく年賀状を送り、一年を無事に越せたことを報せるような相手なのだろう。

 太く掠れたこの文字に、どんな思いが詰まっているのだろうか。

 私はそう思いながら、その一枚を父宛の年賀状の束に戻した。そして私の長い人生の行く末を思った。救いを求めて彷徨うかもしれない。もしくは誰かの救いとなって灯り続けなければならないかもしれない。どちらにせよ私たちは、光を他者と分け合い、影を他者と共有して生きるしかないのだろう。

 人はそれぞれの“宗教”を持つようになった。自分の悲哀を慰める方法を自分で探さなければならない時代となったのだ。“迷える子羊”とは商売敵の言葉だが、そういう人々がそれぞれの帰路を見つけられることを、私は祈っている。

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寺の娘が聞いたもの 天恵月 @amaelune

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