第39話

 部屋の中は廊下の陰鬱さに比べとても明るかった。南向きの大きな窓。太陽の光が畳に忙しなく落ちて、窓からは空高く伸びる電波塔が見える。


「地獄より恐ろしい場所はないと思っていたが、浮世には地獄より恐ろしい場所、否、この場合は人間と言った方が正しいか、例えば家賃を二か月ほど延滞した後で回収に来る大家なぞはまさしく鬼の……」


 二代目に招き入れられ小さなちゃぶ台の前に腰をおろすなり意気揚々と話し始めた。先ほどから自分の話ばかりで私の話を一ミリも聞こうとはしなかった。適当に頷きながら四畳半ほどしかない部屋を見渡すと簡易ベッドもあり、寝室の代わりにもなっている。そして壁一面の本棚にはオカルトじみたタイトルの本がぎっしり詰まっていた。ところどころ入りきらなかった本が畳に落ちていたが二代目は気にも留めない。


「はぁそれで、二代目……」


「そうだ、お主はスカイツリーをその目で拝んだか、あれは天を突きさす高さでな、壮観であるぞ」


 興奮しながら窓の外を指さす。


「そうですか……して二代目」


「うんうん、分かっておるぞ手前にはよく分かっておる。せっかく我が弟弟子がこうして天使のお嬢さんをつれてわざわざ婚礼の挨拶にきたのだ、いやはや驚いたぞ、先生の血がその身体に流れているとはいえまさか神に仕えるものを番いに迎えうるとはな、貫徹、主は地獄捨てたかやるではないか!」


 また始まった。私は心の中で深いため息をついた。二代目は優秀な鬼神ではあるが一つだけ決定的な弱点がある。それは人の話しをまともに聞かず、その場の雰囲気や憶測で話を勝手に進めるところだ。


「しかしそうなると、我孫子は悲しむのではないか、憎まれ口を叩いているようであの娘は主のことが……」


「いい加減にしてください二代目!」


 もう我慢ならないと意を決して畳を強く叩くと二代目のマシンガントークは一応静まり、ようやくこの狭い世界に一時の静寂が訪れる。


「二代目、本当にいい加減にしてくださいよ。その人の話しを聴かない癖は数百年たってもなおらないのですか?」


「いやはや、すまんすまん。久しぶりの再会でな高揚してしまった」


「まったく、二代目がいなくなってから地獄は大変だったんだぞ」


 中年獄卒たちの間で二代目が地獄を飛び出した理由についていろいろな憶測が語られている。次期閻魔大王の役職を放棄して現実逃避で浮世で風来坊をしているとか、日々のストレスから地獄の責務に嫌気がさし浮世に遊女を作り快楽に溺れているとか、そんな根も葉もない噂ばかりが地獄の端から端まで行き渡り、瞬く間に道楽息子の名を獄卒たちに知らしめていた。


 しかし二代目はそんな鬼神ではない。くどいようだが私は二代目と幼き頃からの仲であり弟のように可愛がってもらった。なぜ二代目が我が父、冷徹斎宗徹を先生と慕うのかというのも昔、まだ宗徹が閻魔大王の側近になる前のこと。等活地獄の統括長であった我が父は私塾をひらき子鬼たちに地獄改革論を教えていた。


 二代目はその一期生でとても優秀な生徒だった。卒業してからは鬼神になるための勉強の傍ら、父の手伝いでもっぱら教壇にたっていた。私や我孫子がまだ角も生えない小鬼だった頃は、「獄卒はただ亡者には罰を与えるのではなく愛を心に宿しながら惨殺するべし」と耳にタコができるほど聞かされたものだ。そんな生真面目な二代目が地獄を離れたのは父が阿鼻地獄に堕とされたあの裁判が原因だと私は思っている。宗徹なきあと私以上に落胆し、思想までも変わってしまわれた。愛のない惨殺は悪戯に亡者の消滅を促すだけだ。二代目はその行為を悪とし宗徹の教えを貫いてきた。修羅に堕ちることを誰よりも嫌っていたのに皮肉にも自分が修羅に堕ちることで私たちにその悲しみを伝えたのだ。あの一件以来閻魔大王と二代目の親子関係が険悪になっていたのは確かである。


「すまない。してなにがあった?」


「二代目は悪魔を見たことはあるか?」


 手提げ袋から悪魔の本を取り出す。セラの顔色から二代目は察したように微笑んだ。


「悪魔か……お嬢さんの天使の輪がないのはそういうことか」


「はい、実は半年前にとある悪魔に天使の輪を奪われてしまい天界に帰れなくなってしまったのです……」


「半年前とな」 


「は、はいそれから……」


 二代目はうん、うんと頷き話を聞いてセラを凝視する。「あ、あのぉ」


 困惑しているセラを尻目に二代目は、ぱたぱた震える翼が気になったのか背後にまわるとおもむろに翼を鷲掴みした。「ひゃう」


「二代目!」


「ふむ」


 右手に掴んだ天使の羽を見つめて満足そうに頷く。脱力しきってしまった様子のセラに私は叱責した。


「許せ、さっきからずっと気になっていたのだ」


「今の地獄ならば撲殺ですよ」


「ハハハハハ! すまんすまん、だが困ったことになった。天使のお嬢さん今回の件だが気持ちよくあいわかった手前もご協力しよう。とは言えぬのだ」


「どういうことだよ二代目」


「それはだな、はぁ、なんといえば」


 神妙な面持ちで二代目は顎を触りムムムと眉を顰め天を仰いだ。


「そうだ、口で説明するのも面倒だ。まずは奴に会ってみるか? おそらくそろそろ買い出しから帰ってくる頃ゆえ」


「奴?」


 私が訊ねると二代目はタンスの引き出しから携帯電話を取り出して誰かにメッセージを送った。


「あっそうだ天使のお嬢さん、とりあえずこの本は貴殿に返そう。うむそれがいい」


 煮え切らない二代目は終始落ち着きがなくそわそわしていた。私の経験上こういうときの二代目はてんで役に立たないのだ。


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