第31話

 呆気に取られて放心状態になっているセラをよそにおそるおそる顔を上げる。


「今のをよけられるのですね」


「あぁ……っ!」


 思わず声をあげてしまった。黒いローブに黒く大きな鎌。その鎌を握る両手は白骨化していたが丸太の如く太かった。


「あら? いつぞやであったことがあるかしら」


 女は私のことを訝しんでじろじろと眺めてきた。


「まぁいいですわ、亜人のおふたり。最凶の死神と名高いこの私と少しお話しをしましょう」


 そこで私は身を起こし、堂々と死神女を睨んだ。セラは周りをきょろきょろ見回しながらさっそく違和感に気が付いたらしい。


「さきほどまでいた他の方たちの姿が見えません」


 その通りだ。数秒前までワイワイ、ガヤガヤしていた店内にも、不快な機械音が蔓延る外にも人間の姿がない。まるで文明がたしかにそこにあった景色だけを残して蒸発してしまったかのように静かな街並みが瞳の先にある。


「だれが亜人だ。私は地獄の獄卒冷徹斎貫徹。偉大な父、冷徹斎宗徹の血を受け継ぐものだ。おい死神女! 私たちになにをした? 返答によってはそのにやけ面に鉄拳を喰らわすぞ」


「死神女ですって、レディーに対してなんて失礼な。でもあなたが悪名高い冷徹斎宗徹のご子息? 噂で聞いていたよりずいぶん小さくてお可愛いこと」


「質問に答えろ歩く殺人現場め!」


「くっ前言撤回ですわ、その口の悪さどうやら本物のようですわね」


 一瞬だけ余裕の笑顔が消えたが、死神女は白骨化した指先を噛んで嘲笑した。


「そんなに教えて欲しいなら喜んで教えてあげますわ、ここは私が作った亜空間。あなたたちには私の仕事が終わるまで大人しくしてもらいますわ」


「へぇお前が作ったのか? じゃあ欠陥だらけでいつでも抜け出せそうだ」


 死神女は苛立ちを隠せずに鎌をガンガン床に踏みつけて咥えていた指先の骨を嚙みちぎり、私に向かって弾丸のごとしスピードで吐き出した。間一髪で避けることに成功したが、やはり人間の姿で戦うのは分が悪い。


「言動がいちいちおつむにくる鬼ですわねあなたは。好きになれませんわ」


 死神女はそう言って、セラの背後に立ち回ると背中に生えた白い翼を片手で掴んで鎌をもう一方の手で高く掲げた。


「貫徹様」

 死神女は上目遣いでにやりと笑った。


「さてさて、彼女の翼をぶった切ったらあなたはしおらしくなるのかしら?」


「この卑怯者! 腐っても神としての誇りはないのか」


「何を今さらおっしゃいますの、そもそも神は卑怯ですのよ」


 その横暴さ。私はよく知っていた。かつて我が父冷徹斎宗徹は、天界の地獄干渉で失われかけた正規雇用と伝統を守り抜くため、天界に住む神々ども相手にあばれに暴れ回った。収拾がつかなくなった挙句にこの国の最高神である天照大御神あまてらすおおのかみが重い腰を上げて自ら鎮静にあたる大事件になった。これは後世まで語り継がれる「冷徹斎宗徹の乱」である。


 これは地獄のみならず、欧州やギリシャの神々にも知れ渡った地獄最大の暴挙にして鬼神最大の栄光であった。しかし私たち鬼にとって最高の勝利は、天界の神々にとっては歴史的汚点であり、各国の神々に力を借りてしまったために世界から下界の管理能力を疑わられ批評された。そうなると神々の面子は丸つぶれだ。自分たちがこの騒動のきっかけを作ったくせして全ての責任を地獄に被せ、黒縄地獄の一部運用権利と我が父の阿鼻地獄投獄を条件に、千年間地獄を干渉しない条約を無理やり結ばせた。


 この歴史から私が学んだことは、神々は転んでもただでは起き上がらないということと亡者以上に性根が腐っていることだった。阿鼻地獄に投獄されるさなかに立ち止まり地獄に集まった大勢の神々に我が父は叫んだ。


「ここにいる貴様らの顔全員覚えたからな。何億年かかっても必ずぶっ吊るす! それまで楽しみに待っていろ!」


 冷徹斎宗徹は最後まで鬼神であった。阿鼻地獄に落とされる瞬間まで高らかに笑い戦い続けた意思を誇りに思う。


 しかし神はどんな存在より偉いのだ。だからこそ自分たちに逆らう力のある者を毛嫌いするのである。


「あらあら急に黙り込んで先ほどの威勢はどこに行ったのかしら」


「情けない。私は貴様らのような横暴な神を見ると背中がむずむずうずくのだ」


「うずく? だからといってなにができるいいますの?」


 安っぽい挑発を無視して、私は服を脱ぎ始める。


「な、なにをしてますの!」


 パンツ一丁になったところで死神女が悲鳴を上げたが知ったこっちゃない。


「セラ先に謝っておこう。どうやらスマートに助けることはできなさそうだ」


 私は唸りながらむくむくと体を膨らませた。大鬼に姿を変化させる時は怒りの感情に身を任せ息を止めるのが基本である。みるみるうちに腕や足は肥大し首は大黒柱のごとく太くなった。


「目を閉じていろ!」


 低く思い声が空間に響き渡るとセラはギュッと瞼を閉じた。あまりの迫力にわずかながら困惑した死神女は、セラから手を離し鎌を構える。そのコンマ数秒できた隙をついて私は雄々しい土管のような腕を伸ばす。握られた拳は呻き声を上げ的確に死神女の顔面を殴り飛ばした。


「ぐあぁ、なんてことを」


 死神女が不愉快そうに顔をしかめる。


「ほ、ほんとうにレディーの顔を……ありえませんわ」


 まともに物も言えずひっくり返った死神は、かろうじて立ち上がるとローブに身を包み手品のように消えてしまった。私は人間の姿に戻るとパンツ一丁でセラの元に駆け寄る。


「無事かセラ?」


「はい、セラは大丈夫……貫徹様お身体が」


 白く発光し少しずつ消え始めている。それはセラも同じだった。私は急いで脱ぎ捨てた衣服を着る。


「きっともとの空間に戻るのだ」


 あぶないところだった。ストーカーを捕まえる前に私が捕まるところだった。音もたてずに崩れていく空間を眺めながら悟った。

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