第28話

 鬼のアイデンティティアイテムの一つと言えば鬼のパンツである。


 浮世でも一度は聞いたことがあるという人は多いだろう、そうあの『鬼のパンツ』の歌で出てくるトラの毛皮のパンツだ。浮世では馴染みのある歌ではあるがその実はイタリアの大衆歌謡曲である『フニクリ・フニクラ』の替え歌で誰が作ったのかは定かではないという。私がその話を聞いたのは、手違いで地獄に送られてしまったお喋り好きな亡者からであった。


 その亡者は底知れぬ明るい男で、地獄に堕とされたというのに悲し気な表情も嘆きの言葉もなく、好奇心の限り地獄を探求していた。生前は小説家だと言っていた彼は底知れぬ啓蒙意欲に飢えており、業務をサボって酒やタバコに現を抜かしている未熟な鬼を見つけては、近代文学の是非から罪と罰の有無を問いただしたり、個人的な主観で見出したうんちくを念仏のように語り聞かせたりしていた。彼としては地獄の更なる発展とか貢献に一役買っているつもりであっただろうが、私たちのように手厳しい監視役の目を盗んで休憩を貪るサボり鬼たちにとっては大いに迷惑な話だった。


「私は君たちに大いに興味がある……」


 そう彼が言うとき、それは謎が多い八寒地獄のことや何万種類の拷問器具のことでもなく、鬼のパンツのことだった。


 彼の能書きはほとんど覚えていないが、彼があまりにも鬼のパンツの魅力に心を奪われ隙あらば我々からパンツを略奪しようとあの手この手で襲い掛かってきたことは忘れてはいない。常連のサボり鬼であった私は、暇つぶしによくその亡者と遊んでいた。「くだらないことに真剣になれることは最高にかっこよいことだ」と言った彼の言葉に感銘を受け次第に彼と打ち解けていったことは秘密である。


「そのパンツにはどんな力があるんだ?」


「これこそ鬼の力の源である」


 私は彼にそう告げると、彼は目を輝かせ質問を続けた。この時すでに閻魔大王が裁判のやり直しを進めていたので私は文字通り冥土の土産に教えることにした。


 トラの毛皮でできた何万年たっても破れないこのパンツには地獄の凄まじい力が込められていて、地獄を離れていても鬼のパンツを身に着けていればいつでも地獄の力を解放することが出来るのだ。更には自然治癒力の向上、洗濯いらずでいつでも清潔な状態が保たれている優れものである。


 あれから時が流れて、彼の魂は天国へと旅立っていった。


 ――最近疲れているからだろうか、仕事が終わり衆合地獄三丁目にある繁華街の街灯の明かりに焼き落ちる影を瞳に映すと、研ぎ澄まされているのか、それとも脆くなっているのか、色々なことを思い出す。いろいろなことを……思い出す。

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