第26話
追いすがる大鬼とすたこらと逃げ去る死神。この奇妙な鬼ごっこを見ることができた人間がいたならさぞ滑稽だろう。「まてー!」私は死神の背中に腕を伸ばし寸でのところで空振りを繰り返す。悲鳴こそ上げないが反撃すらできずに逃げ回る死神の姿は実に哀れだ。不意打ちの借りを返さんばかりと無我夢中に追いかけて続けると、唐突に死神は立ち止まった。私は諦めと悟り得意になって死神に飛びついた。
次の瞬間、私は見えないなにかにぶつかった。思い切り顔面をぶつけて何事かと両目を寄せて鼻先を凝視すると、そこにはやはり透明の壁のようなものがあり、死神の背中まであと数メートルのところで行く手を阻んでいる。
「残念だったな、このあたりは俺のテリトリーで特殊な結界を張ってる。早い話し霊力が強いその姿じゃここを通ることが出来ないようになっているってわけだ」
私はためらわずに見えない壁を殴打した。しかし強い衝撃を与えてもびくともしない。死神は文字通り鬼の形相の私を眺めてひたすらにニヤニヤしている。
「夜が明けるまでそうして頭を冷やしていろ、さて俺は帰るとするよ」
「待て! お前には聞きたいことがある、二代目はどこだ」
「さぁな、おしえてやーんない」
わざとらしい千鳥足で「愉快、愉快」と立ち去る死神を私は叫びながら暴れるだけでただ見送ることしかできなかったのだ。
「貫徹様、お怪我はありませんか?」
遠くから聞こえてくるセラの呼びかけに霊力を使い果たした私はすぐ返事をすることができなかった。
私はひどく傷心していたのだ。せっかく浮世で見つけたお気に入りの服が大鬼に変化したことで引き裂けパンツ一枚の姿で月を拝む羽目になっている。冷静に考えれば早い段階で人間の姿に戻ればよかった。そうすればいとも簡単に結界を突破できていたかもしれない。
「貫徹様!」
その声とともにセラは一直線に抱きついてきた。私はセラを受け止めることができず、そのまま道に倒れこんだ。それもそのはず、浮世と地獄では環境があまりにも違う。まして私のような存在はこの世界にとってイレギュラーな存在であり、人間の姿から本来の力を無理に解放しようとするとその分、身体にしわ寄せがくる。今の私は霊力の過度な解放により立っているのがやっとの状態だった。
「急に大きくなられたので、セラは心配で心配で……」
そう言って縋るように体を密着してくれるのは嬉しいが、今の私には素直に喜ぶことができない。必死にセラから逃れようと体をくねらすがびくともしない。このままではセラのたわわに育った胸の重量感に押しつぶされて息絶えてしまう。「セラありがとう、そろそろ私の上からどいてくれないか?」
ぷるぷると震えた声で言うと、セラはハッとしてすぐに私から離れて立ち上がり、私はようやく上体を起こすことが出来た。
「貫徹様、その……ごめんなさい」
セラは私の出で立ちをしっかり確認すると、赤面しながら両手で両目を覆い、恥ずかしそうに眼をまたつかせ、感情と連動した翼は忙しくはためいていた。
恥じらいの乙女をいつまでも下から眺めている趣味は私にはないので、生まれたての小鹿のように震える足でなんとか立ち上がる。
「セラ、私は大丈夫だ、ほらこの通りぴんぴんしている」
せめてもの強がりで両手を腰にあて胸を張って見た。
「よかった、もう無茶をしないでくださいね」
涙ながらに言った彼女の姿を見守りながら、死神と対峙した興奮がゆっくりと冷めていくのを感じて安堵した。
「さぁ貫徹様、セラの肩をつかってください」
「いや、別に一人で歩けるが……」
「さぁどうぞ」
しばらく私は渋っていたが、やがてセラの優しさに折れ、諦めて肩に腕をまわし身体を預けた。
「すまない、礼を言う」
しかしセラは物足りなさそうであった。欲しがるような目で私を見た。
「とんでもないです、セラは貫徹様のお役に立てて幸せです。そうだ抱っこして差し上げましょう。」
「いや、それは……」
「遠慮せずに」
やんわりと断る私の言葉を聞かず、セラは体勢をかえ私の脇の下に腕を通すと翼を強い力で羽ばたかせ空を舞うように飛行した。
「せっかくつくったハンバーグが冷めてしまいます。でもこれならすぐにお家につけますよ」
楽しそうにそう言ってスピードをあげる。私はセラの胸に顔を挟まれ後頭部を風圧に押し付けられまともに息が出来ず八方塞がりの板挟み状態になっていた。
「これが本当の天獄ってか」
くだらない冗談を言ったあと、私は意識が薄れ始めていることに気が付いた。
「あなたにtinytiny~」
セラは満足そうに歌っていた。
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