第14話

 小雨が傘を叩き道行く人は予期せぬ雨を恨めしく思ったのかみな訝し気な表情で歩いていた。私はさきほど購入した腕時計を見る。五時三十七分。秒針は狂うことなく動いていた。ガラス越しに映る自分の姿に心酔しているのは、五分ほど前にふらっと入ったファッションショップで働く人間に浮世で最新のコーディネートを施してもらったからだ。


「やっぱりスマートなのが一番だよ、うんうん」


「坊ちゃんおしゃれはいいですが、このお金は経費ですよ」


 イヤホン越しに牛頭の小言が聞こえてくる。


「分かってる、浮世で目立たないために仕方なく着飾っているのだ」


 やや大きくなった私たちの会話は雨の音に溶け、誰も私を怪しむ者などいない。


「早く視察課のところへいかないと」


「問題ないって、そうだ浮世参上祝いに一杯やりたい。どこかいい店はないか」


「何をおっしゃいます、視察課のところについたらすぐに業務指示を受けてお仕事せねば」


「分かってますよ、でも一杯だけだから頼むよ」


 人ごみをふわりふわりと交わしながら今度は酒が飲める場所を牛頭に訊ねて言われた通りに足を進めていると、前方から衝撃を受け私はその場に倒れ込んだ。


「いたたた」


「大丈夫ですの?」


 視線をあげるとそこには黒いジャケットを羽織った女が感情の欠片もない顔で手を差し伸べている。


「いや私も前をよく見ていなかった」


「そうですか、それではお互い様ですわね」


 淡々とそう言って私の手を握りぐいっと手前に引っ張って起こし上げた。


「それでは、ごめん遊ばせ」


 似合わない笑顔を引っ提げて女はその場を立ち去った。


「まったくひどい目にあったな牛頭、おい牛頭?」


 イヤホンからノイズしか聞こえてこない。まさかと思ってズボンの後ろポケットに入れたスマートフォンを取り出すと液晶がバキバキに割れ、画面に手を触れても何の反応もしない。


「あの野郎、弁償してもらう」


 私は突然湧き出てきた怒りを抑えられず女を追いかける。追いかけながらその女の去り際の笑顔を思い返すと人間のそれとは少し違和感があった。


 肩がぶつかったくらいでは一言謝ればすむが、ぶつかった相手を倒してしまったら普通の人間はある程度動揺を表情に出すものである。そしてあの不気味を通り越してもはや出来の悪いホラーのような笑顔。私は無意識に女の動向を目で追っていた。


「あいつ他の人間には見えていないのか?」


 つぶやく、女に握られた手から霊力を感じた。私はすぐに悟った。あいつは浮世の存在ではない別の何かということを、私は胸の高揚感を抑えるのに必死だった。どうやら女も誰かの後をつけているらしい。私は好奇心のままにその背中を追いかけた。

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