ストリップの本質

 夜の新歌舞伎町は、陽が完全に沈んだいま、昼とはまるで違う顔を見せていた。街はすっかりネオンと看板の光で染められ、眩いほどの色彩が通りを照らしている。ビルの窓にはぎらぎらと明滅するLEDが浮かび上がり、道行く人々の顔をカラフルに彩っている。そんな楽しげな声に溢れた大通りは、どこか浮かれているようにも感じられる。

 そんなきらめきに紛れるように、私たちふたりは並んで歩いていた。目の前をはしゃいでいる人が横切ったり、派手な広告トラックが走り抜けたりするけれど、それも気にならないほど、私の意識は隣の紗季に引き寄せられていた。紗季の横顔は普段と違って、どこか険しくて張り詰めた雰囲気を帯びている。

 しばらく私たちの間に言葉はなかったけれど、ついに紗季の方から口を開いた。

「やっぱり、ストリップは応援できない」

 その言葉に、私は思わず息を呑む。

 私が足を止めると、紗季もまた足を止めてこちらを向いた。周りのきらびやかな光が私たちの間を明るく照らしているけれど、紗季の瞳はその光に負けないくらい強い意志を持ってまっすぐ私を見つめている。

「あんなことを他の人に見せるなんて、やっぱり私には受け入れられない」

 紗季の言葉は静かながらも鋭く、私はどう答えればいいか一瞬迷う。

「競技ストリップなら女子だけだし……」

「そういう問題じゃないの」

 決まり文句のような私の言葉に、紗季は首を振って断言する。

「アイドルだのストリップだの……そんなことしないで、普通に過ごせばいいじゃない」

 紗季は言うけれど、私は胸の中で小さな疑問が湧いてきた。

 ――普通って一体何なんだろう?

 私は紗季に心の中で問いかける。けれど、紗季は何も答えてくれない。きっと紗季のことだから、私が何を考えているかわかっているはずなのに。何を問うべきか、何を答えるべきか私たちはわかっているはずなのに――紗季との間に再び沈黙が広がる。

 夜の賑わいとは裏腹に、私たちは言葉を失ったまま、ただ駅へ向かって歩いていた。その間、私が見るのは目の前のギラギラした街ではなく、どこか距離を置いてしまったように見える紗季の後ろ姿だった。


 そして、週が明けると――紗季はお昼に来なくなった。他の人の目にもライブの日に何かあったのは明らか。だから――「大丈夫?」と由香は心配してくれる。けれど私は「大丈夫だよ」と返すしかない。

 胸が少しずつ重たくなっていくのを感じる。けれども、前に進むしかない。

「みんなで部活、頑張ろうね!」

 私がグッと拳を握ると、ふたりも笑顔で応えてくれる。ここまで頑張ってきたのだから、私に歩みを止めるなんて選択肢はないんだよ……!


 ということで、放課後の二年B組の教室。弓道部が休みの曜日なので、千夏と由香は部活のために残ってくれている。あとでかがりちゃんも来てくれるはずだし……やっとストリップ部の活動開始! クラスのみんなが帰ったので机を前の方に寄せて、さぁこれから! ってところで……千夏がいきなりぶっ込んでくる!

「じゃーん☆」

 早速素っ裸になってしまった千夏。けれど、身体いっぱいに描かれているのは……ひまわり!? す、すごい……。思わず見とれてしまった私に、本人は得意気に話し始める。

「美術部のツレに描いてもらったんだよー。身体に直接描くのは反則じゃないんでしょ?」

 その発想に私は思わず息を呑んだ。何かを作り上げる楽しみが千夏の中で炸裂しているのが伝わってくる。

 すると由香が小さく笑って補足してくれた。

「桜たちが帰った後、最後に出てきたコがすごかったのよね。あれ、多分、本物のタトゥー……じゃあないと思うけど」

 どうやら、四人目にそういうコが出演していたらしい。

「あのコの柄はエロス一直線だったけど……こういうのだったらアタシもやってみたい! って思ってさっ」

 確かに、身体に直接絵を描いている以上、脱いでこそ一枚の絵になる、って感じだ。

「でも、それって結局脱いだ後の話よね」

 と、由香は淡々と言う。

「ストリップって、脱いでいく過程も大事だと思うのよ」

 由香もあの舞台で何かを受け取ったらしい。

「むーん……脱ぐ過程って?」

 千夏が首を傾げると、由香はくるりと回ってお尻を振る。そして、ピラっとスカートを捲ると――そこには……何も穿いてない!

「斬新……」

 一瞬驚いた私はぽつりと呟く。

「最終的に全部脱げばいいんでしょ? だったら、脱ぐ順番には工夫してもいいんじゃない?」

 もしかして、これが……チラリズムってやつ!? その重要性を理解して、素っ裸の千夏も感心して頷く。ストリップって、ただ脱ぐだけじゃなく、見せ方そのものに芸があるんだなぁ。

 そこに……コンコン、とノックが響く。誰!? と一瞬焦ったけど、放課後の教室に用がある人なんてあまりいない。

「失礼しまっす!」

 現れたのはかがりちゃんだった。

「休憩入ったんで、ちょっと抜けてきましたわー。どうしても見てもらいたいもんがありまして」

 そう言って、少し体勢を低く構える。かがりちゃんはバスケ部だけに、やっぱり足腰しっかり。動きもそれっぽいーって雰囲気ではなく、ガチモンなんだよね。多分、バスケ本来の動きをリズミカルに表現しているんだと思う。

 すると、かがりちゃんは軽快なステップに合わせてくるくると身を翻すと、ユニフォームを豪快に脱ぎ始めて……まとめて丸めてロングシュート! おおー……やっぱりガチだからか、姿勢も綺麗。服はわさわさと広がって遠くには飛んでくれないけれど、天井裏で受け取ってくれるスタッフさんがいてくれればいい感じに見えそう。

「どうでっしゃろ!?」

 得意顔のかがりに、私はただただ感心。

「いいよいいよ! 面白い!」と千夏は乗っかる。

「それは下着とかと合わせて最後にやった方がキメになりそうね」と由香は自分の考えを述べる。

 どうやら、実際のライブを観たことで、それぞれ自分の中に自分なりのストリップのイメージが固まってきたみたい。今度こそ、本当に部活が始まったんだ――私は、心の中でみんなの熱気に感化されていた。


 かがりちゃんはすぐバスケ部の方に戻っていったけど、千夏と由香と私は三人で、あれこれと着たり脱いだり話し合ったりしていた。これまでずっとひとりで抱えていたストリップをみんなで話し合えるのはとても嬉しい。

 だけど――

 放課後の教室、ついに下校のチャイムが鳴り響く。

「そんじゃー、お茶でもしながら一気に振り付けまで考えちゃおっか!」

「いいわね、かがりとも合流して」

 千夏や由香はノリノリで提案してくれるけど――

「ごめん、先帰ってて。私、もうすぐ何か閃きそうな気がしてて……!」

 謎の自信を振り撒いてみるものの……これは、フリだけ。「いつもの駅前んとこだから、後で来れたら来てねー」と帰っていった千夏たちを見送り、私はひとりになると――ずんと重たい気持ちでいっぱいになってくる。広い教室にポツンと残ると、その空気はどこか静かで寂しい。そんな中、私は深呼吸。

 そろそろ本気出さなきゃダメだな、と思って自分に活を入れ……服を脱ぎながら、私はいつもの振り付けを始める。だけど、裸で踊りながら不思議な感覚が私を包む。“慣れ”みたいな――いや、それ以上の何か。前まで恥ずかしかったはずなのに、いまでは心の中がスッと冷静に――その冷静さが、少し怖い。

 これでいいの? 私、ストリップが“普通”になってきちゃってる……?

 千夏や由香、かがりちゃんはそれぞれの個性で自分のスタイルを見つけて、どんどん進化しようとしている。けれど、私にあるのは結局あの日――体育の授業で由香のために踊ったあのストリップだけ。そこから先に進めない。進んでいない――まるで置いて行かれてるような気分だった。

「自分には何もない……」

 ぼそっとそう呟いた瞬間――!


「――まだ居残ってる悪い生徒は誰だっ!」


 ドアがガラッと開き、桑空先生が楽しそうに怒鳴る。でも、いきなり開けるのはやめて! 心臓が飛び出しそうになるから!

「あ、あの、えっと……」

 動揺しながら慌てて服を着ようとするけれど、ずかずか教室に入ってくる桑空先生の表情はどこか険しい。

「今日、昼に椎名がひとり、中庭で食ってるのを見かけてな」

「え、そうなんですか?」

 確かに今日は紗季と何も昼も話せてない。あの日のことを思い出すと――胸がちょっと痛む。

「鈴木らと一緒じゃないのか? って訊いたら、いつも一緒にいるわけじゃない、だとよ」

 そう言う桑空先生は少し寂しそうだった。だから、紗季はもっと寂しそうな顔をしていたんだろうな。そう思うと、私まで寂しくなってくる。

「どうしたどうした? 鈴木のストリップには笑顔が似合うと思うぜ?」

「そうでしょうか……?」

 つい問い返してしまった私に、桑空先生は意外そうな顔を向ける。せっかく励ましてくれたのに……

「……本当に、何かあったのか? お前ら」

「私たち、というより――」

 もちろん、紗季との間にちょっとしたいざこざはあった。けれど、いまはそれよりも。

「私のストリップには……結局、何もないんじゃないか、って……」

 反対されて押し切って、それでこの始末じゃ、私、紗季に合わせる顔がないよ……

 そんな私に、先生はため息ひとつ。

「ひとりでそうやって嘆いてるくらいなら……会わせてやろうか?」

「会うって……誰に?」

 桑空先生がニヤリと笑う。

「舞をこの世界に引きずり込んだ張本人だよ」

 ……もうっ、桑空先生、何かにつけて言うことカッコよすぎ!


 少しして――最終下校時刻も過ぎた頃、私たちはこっそり校舎裏へ。ただでさえ静かな校舎裏は時間が遅いからか、さらにひっそりしている。それもあって、私はいつも以上に気が重い。これは……おそらく、あの日のことが胸に引っかかってるんだと思う。希さんにガツンと言われたあの日――あれから、みんなで前に進み始めた、って実感はある。なのに、肝心の私が――

 悩む私の前に、今日もタクシーが待っていた。

「乗りな」

 桑空先生に促され、ちょっとドキドキ。そして、私たちはドタクシーの後部座席に滑り込んだ。運転手さんにはあらかじめ行き先は伝わっているみたい。何を言わずとも車は静かに動き出し、薄暗い校舎裏を後にした。背後に小さくなっていく学校を見送りながら、タクシーは私たちを未知の目的地へと運んでいく。

 タクシーの窓から差し込む街灯の明かりが、走るたびに車内の私と先生を照らしたり、影を作ったりする。そんな中、桑空先生がスマホを手に誰かと電話を始めた。その声は気楽そうなのに、内容がどうにも物騒すぎる。

「いまから行くから。どーせ暇してんだろ? あ、ルミノには余計なことさせんなよ。あいつまた出会い頭にぶっ放そうとするだろうからな」

 ぶっ放す!? どんなヤバい人たちに会わせてくれるつもり!? 不安に駆られながら、私は尋ねる。

「これから会う人って……何人かいるんですか?」

 すると、先生はニヤリと口角を上げて、意味深に。

「ああ、お前も知っているヤツらだよ」

「え……知ってる?」

 先生の口から出たその一言で、期待と不安がぜになって胸が高鳴る。どんな人に会うんだろう? 先生が話す“私が知っている人”って、一体誰? タクシーに揺られる私の胸は、この先に待つ出会いへのドキドキでいっぱいになっていた。


 タクシーを降りると、私たちが立っていたのは、新宿の中心から少し離れた裏路地。いつも行く新歌舞伎町と違ってキラキラしたネオンも控えめなおかげで、どこか穏やかな空気が漂っている。派手な看板も少なく、ポツポツと歩いている人もなんだか落ち着いた雰囲気。このくらいなら、普通の夜道って感じがする。

「ここだ」

 桑空先生がと指差した先には、小さなビルがひっそりと建っていた。正面から見るこの建物は、少し年季が入っていて、表のネオンも控えめ。どことなく懐かしい雰囲気で、華やかさよりも親しみやすさがある。外壁はグレーで、ビルの正面には細長い窓が縦に並んでいる。そのうちの三階の窓には『カラサワ・アイドル・ダンス・スクール』とシンプルなウィンドウステッカーが貼ってある。

「ここは……?」

「ま、場末のダンススクールってところだな」

 桑空先生は簡単に説明してくれる。なんでも、ダンスはもちろん、ボイストレーニングや演技指導までやっているアイドル養成所みたいな施設らしい。

「ってことは、カラサワさん、って人が……?」

「いや、会わせたいのは唐沢さんじゃなくて別人だ」

 そうだよね。私、ダンスの先生に知り合いいないし。

 ビルの横には非常階段が据え付けられている。壁面に沿ってジグザグに配置され、使い込まれて少し色褪せている鉄造りがどこか頼もしい。桑空先生は正面玄関ではなくそちらへ向かい、関係者入口のタッチパネルに暗証番号を打ち込んでいく。わ、桑空先生、本当にここで働いてるみたいに手慣れてる。

 鉄格子の嵌まった扉が開くとカンカンと足音の鳴る階段を登ってゆき、建物に入るとそこはロビー。思った以上にシンプルで、奥へと続くガラス戸には小さくスクールの名前が書いてあるだけ。明るい照明が静かに照らしていて、床には優しいグレーカーペットが敷かれている。それと、壁際にはいくつかの椅子が。フロアの方の電気もついているようだけれど、向こうから聞こえる音はなく、レッスンをしているような喧騒は感じられない。

 桑空先生に連れられて中に入ると――

「えーと……どなたでしょうか?」

 私の気の抜けた第一声に、桑空先生もガッカリ。

「ちゃんと観てねーのかよ! オレが紹介してやったのに!」

 そうツッコまれたことで、私はようやく思い出した。しかし、それより先にサイドテールの女のコが名乗りを上げる。

乙比野おつひのよ!  乙比野おつひの 杏佳きょうか!」

 先日のライブで見たあのブルマの人だ! コールで呼ばれてたから、姿より名前の方をよく覚えている。てか、あのコールって演者さんの苗字だったんだなぁ……。普通こういうときは名前の方じゃない? その方が可愛いし。

 次に、ニヤニヤした笑顔で名乗るのは、わさっとした髪を襟のあたりでひとつに束ねたお姉さん。

雪見ゆきみ 夜白やしろだよー。ま、身体ばっかで顔を覚えられないのはあたしらの業界あるあるってやつでー」

「あっ、いえ、覚えてます! セーラー服の……!」

 この人の踊りは本当にすごかった……! 帰ってからもう一度体育館の動画を見直したけど、やっぱり完璧で……!

 そして、最後のひとり。先生の隣でモジモジしている大きなふたつのお下げのコは――

「あ、あたし…… 砂橋すなはし、ルミノ……」

 この人のステージは観ていない。多分舞先輩の後に出演したんだろう。……ん? てことは、由香の言っていた“最後に出てきた身体にタトゥーっぽいものを入れてた人”ってのは……えっ、この大人しそうなコが? しかも、千夏はエロス一直線って言ってたけど……いや、全然想像できない! けど、桑空先生が河合ミサちゃんになるのもそうだし、オフとオンってのはそういうものなのかもしれない。

 それにしても……なんというか、すごいことになってきちゃった……! プロのステージで活躍するダンサーたちが……ミサちゃんも含めれば一堂に四人も……! しかも、乙比野さんとルミノさんは学生服っぽいブラウスだし! ふたりとも学生で……すごい……。そういう意味では、舞先輩もそうだけど。ちなみに、夜白さんはレッスン着のようなジャージである。

 さて、改めて室内を見回してみると、どこもかしこも本格的で、思わず目が泳いでしまう。足元の床は程よく磨かれていて、ミラーが壁一面に張られている。照明は明るすぎず暗すぎず、踊る人の陰影が美しく浮かび上がるように調整されているみたい。空気にはほんの少し舞台のような緊張感が漂っていて、なんだか私も背筋が伸びちゃう。

 スタジオの奥にはバレエバーが並んでいるし、壁際にはスピーカーが設置され、しっかり音を響かせる準備も整っている。

 そういえば、ここまで本格的なレッスンルームって初めて入った気がする。試験のときに本番のステージに立っちゃったから、順序が逆だったなぁ。夜白さんや乙比野さんたちはこういうところでしっかりと練習を積んで、プロとしてあのスポットライトの下で踊っていたわけで。だからこそ、堂々とした佇まいがしっくりきている。まるで『ここが自分のホームグラウンドだ』と言わんばかり。すごい、これがダンスを極めた人たちのオーラってやつなのかも……!

「そ、それで……舞先輩にストリップを教えたのは……」

 恐る恐る尋ねると、夜白さんがサクっと答える。

「確か、ルミノの紹介で来たんだよねー」

 と言ってルミノさんの方を見るけれど、そのルミノさんは乙比野さんの方を向く。

「でも、ダンスを教えたのは杏佳ちゃん……」

 確かに、乙比野さんのダンスはすごかったなぁ。歌はなかったけど、踊りだけなら舞先輩以上だったかも。

 けれど、そう単純な話でもなく。

「私が教えたのはただのジャズダンスよ! 脱がしたのは夜白!」

「いやーはははー」

 ふわふわと笑う夜白さん。

「ということは、舞先輩のストリップの師匠は夜白さん……?」

 私からの確認に、夜白さんは目の前に手の平をペタペタとかざして……まるで、見えない壁があるように。あ、これ、よく見るやつだ。

「あたしはパントマイムダンサー……って名乗らせてもらってるよー。もちろん、普通のもできるんだけど」

「けど、本懐はダンスのコピーよね。……ダンス歴十年を超える私の動きを完璧に再現するんだから、恐ろしいやら悔しいやら」

 乙比野さんは、本気で悔しいらしく、ジトっと夜白さんを睨む。一方、睨まれた方はまったく意に介していないようで「いやーはははー」と笑っている。

「私も観ました! 学校のステージで水着ライブしていた――」

 そう、私がアイドル試験のために練習していた振り付け。知らない曲だったから、曲は未兎ちゃんの最近のに差し替えて、ダンスだけ合わせたんだけど。同じ曲をコピーしたわけだから、夜白さんだってよく知っている。

「あーあー、あのコのデビュー前のやつねー」

「わっ、彼女、デビューしてたんですか……!」

 動画の音質はそんなによくなかったけど、普通にうまいなー、とは思ってたんだよね。だから、あのコもまたプロになって、どこかで歌っていたとしても不思議はない。

 と思っていたのに――ルミノさんは悲しそうに目を伏せて――

「けど……春奈ちゃんは、もう……遠くへ行っちゃった……」

 えっ――それってどういう――? 私の表情がわりと深刻だったようで――

「模試の判定がマズかったから、地方の強化合宿に送られただけでしょ!」

 乙比野さんがルミノさんにバシっとツッコむ。

「ふふふ♡」

 あ、わかった。この人絶対に冗談とか悪ノリが大好きなタイプだ!

 ともあれ……舞先輩がこの世界に踏み込んだのは、この三人がそれぞれ絡んでいる、ということなのだろう。

「それで……舞先輩はどうしてストリッパーに?」

 誰に尋ねていいかわからないので、全体に向けてふわっと尋ねてみる。すると、夜白さんが答えてくれた。

「まずはね、ルミノが舞を連れてきたんだよ」

「うん。『バレエやってるんだけど、伸び悩んでいるコがいる』って聞いて、ここをお勧めしたの」

 わっ、舞先輩ってバレエで悩みを抱えてたんだ……! 私の知らないことを知れたのが嬉しいし、それが舞先輩をもっとミステリアスにしてくれる。バレエダンサーとしての舞先輩……もっと知りたい! だって、バレエからアイドル・ダンス・スクール……それも、ストリッパーも通っているというところに来るなんて、何かありそうだもの。

 そう考えていると、乙比野さんがぐいっと胸を張る。

「この年代なら、私がダントツだからね! ヨユーよ! 超ヨユー」

 確かに、『脱がなくてもやっていけそう』って紗季が感心するレベルだった。それに、いまから思うと『いぇい!』のポーズはバレエっぽかった気がする。乙比野さんのダンスは、そういう垣根を超えた賜物だったんだなぁ。

 それを、あえて言うと。

「色んなジャンルをかじってる人って珍しいからねー」

「器用貧乏みたいにゆーな! ジャズとストリートなら賞取ってるっちゅーねん!」

 夜白さんのツッコミともいえない指摘に、乙比野さんは拗ねて反論。なんだかこのチーム、キャラが濃すぎる……

 けど、バレエをやっていた先輩が、何でもできる乙比野さんに教わってたってことは……!

「もしかして、舞先輩もいろんなことを転々とするタイプ……?」

 突然、違うことに挑戦してみたくなったのかな。すごい親近感湧いたかも! 私はこっそり心でガッツポーズをキメてみたものの――

「……なぁ、鈴木」

 桑空先生が心配そうに私に問う。

「もしかしてお前、如月と自分がだと思ってないか?」

「え……――?」

 親近感湧いたのは初めてのことなのに、桑空先生の言葉を否定できない。むしろ、第三者からの言葉によって、私は初めて自覚したのかも。……って、いやいやいや! 私が舞先輩と似たタイプだなんて恐れ多い! 私は、ただ――

「あー……それで、上位互換と思って如月をストーキングなんてしてたのか」

「ストーキング……♡」

「かっ、観察です! 人間観察の一環!」

 ルミノさんが変なところで反応するもんだから、私にやましいことはない、ってことで訂正しておく。けど、上位互換、と言われても否定するつもりはない。むしろ嬉しい。私が、舞先輩と同じタイプだってことについては。

 けれど、ここで夜白さんが――この人もわりと笑顔を絶やさない雰囲気だったけど、ちょっと陰のある微笑みを私に向ける。

「いま、ちょろっと口走ってたみたいだけど……ひょっとすると桜ちゃんって、ひとつのことを継続できないタイプ?」

 あ……確かに言ったかも。舞先輩“も”いろんなことを転々とするタイプなのかなー、と思ったら嬉しくて。

「は、はい……何か始めてもすぐ飽きちゃうというか……部活も二年続いたことがないんです」

「なんで?」

 夜白さんの調子は相変わらずで――けれど、何となく、すでに答えはわかっているような雰囲気で――それでも、私は思っている通りに説明する。

「え、だって……続けてても、同じことの繰り返しな気がして……」

 これに、乙比野さんが呆れて言う。

「一年目の自分と二年目の自分が同じなわけないでしょ。成長だってするし、後輩だってできるし」

 確かにそうなんだけれど、私にはそれが魅力的に感じられないんだよね。他の人はそうじゃないみたいなのが、ちょっと羨ましかったりする。

 私は他愛もない一般論を聞いただけだと思っていたんだけど――

「そういうこと、なんだよね」

 夜白さんは微笑みを作っているけれど心の内ではまったく笑っていない――そのくらい、私にもわかった。

「ん? 何?」

 きょとんとする乙比野さんを見ながら、夜白さんはため息をつく。

「杏佳がさ、舞をあたしに紹介してくれたときのこと、覚えてる?」

 その声は、妙に真面目なトーン。これには聞いている私も自然と背筋が伸びる。

 けれど、乙比野さんは相変わらずの調子だ。

「そりゃもう。スキルは高いのに、あんな“がらんどう”なダンス、初めて見たもの」

 え……? 乙比野さんはさらりと言ってのけたけど……舞先輩のダンスに……中身がない……? 私には全然そう見えなかったけど。

 夜白さんが私をじっと見て、少し気遣うように言う。

「桜ちゃん、さっき舞と自分が似たタイプ、って言いたそうだったけど」

 え、いやいや、まさかそんな……と動揺していると、操先生がバッサリ。

「とんでもないぞ。お前、舞とはだ」

「え……?」

 私は愕然とする。舞先輩と自分は同じタイプ……そう思って喜んでいた分、まるで地面がひっくり返ったみたいな感覚。

 それで、思わず口から反論がこぼれた。ろくに頭も働かないままに。

「い、いえいえ……そりゃー、人それぞれ個性はありますけど、ま、真逆だなんて……」

 すると夜白さんが、まるで諭すような柔らかい目で言う。

「桜ちゃん、どうして部活が長続きしないか。それ……ようするに、姿んだよね」

 成長した自分……その姿が見えないから、続かない……? そんなこと考えたこともなかった。けれど、言われてみればそうかも……。私、来年の自分が、十年後の自分が、いまより良くなってるだなんて……どうやったって想像できない……

 不安でいっぱいになっている私に、桑空先生がさらに真剣な表情で言葉を続ける。

「それでお前、如月に自分の成長した姿を重ねたか。でもな、ストリップってのは、“自己愛の極地”だぞ」

「え……?」

 思わず引き寄せられるように桑空先生の顔を見つめる。すると、先生は自分に言い聞かせるような、少し自虐的な笑みを浮かべてこう続けた。

「人前で無防備な自分をさらけ出すんだ。よっぽど自分が大好きでなきゃやってらんねーっての。何しろ“自分”そのものが武器なんだからな」

 そういうことだったのか――自分が本当に好きでなければ、あんなに胸を張って踊れない――だから舞先輩もそうやって踊っているんだ。私はただただ驚いて、じっと考え込んでしまう。

 ここで、乙比野さんが思い出したように言う。

「あのね、舞はリズム感も体幹もしっかりしてて。だけど、ぶっちゃけ踊りには興味がなかったの。それで、同じように中身がない夜白を紹介したってわけ」

「中身がない?」

 夜白さんまで? 私はつい尋ねてしまう。すると言われた方は、乙比野さんにちょっと拗ねるような素振りを見せる。

「失礼な言い方だなー。あたしは自分を捨てて、他人の動きを取り込むことで動きをコピーしてるんだよー。あえて自分を消して、他人を自分に映し出してるのさー」

 なんて、さらっと教えてくれたけれど……何気にすごいこと言ってるよね。

「ま、あたしにもひと目でわかったよー。舞も、ただ人から言われた動きを真似してるだけだって」

 けれど、やれやれと頭を振る。

「だから……試しに誘ってみたんだよねー。いやーはははー」

 ここ、笑うところなの……? 夜白さんは頭を掻きながら、ボソッと。

「やー……まー……ストリップに」

「試しで!?」

 それに乗っちゃう舞先輩もどうかと思うけど!

 他の人たちは、これについてどう考えてたんだろう、と見回してみると……!

「舞ちゃん、無表情だったから……どうやったら恥ずかしがるかなぁ……って♡」

 ルミノさん、照れ照れしながらとんでもないこと言ってるよ! やっぱりこの人、性格悪いのかも!?

 一方、乙比野さんは一緒にするな、と言わんばかりに鼻を鳴らす。

「コイツらはさておき、私は真面目に捉えてたわよ。とにかく、感情の起伏というか、爆発というか、そういうのがあれば、何かのキッカケになるかと思ったから」

 乙比野さん、真面目だ……と感動していると、夜白さんが少し懐かしそうな微笑みを浮かべる。

「いまでも忘れらんないねぇ。鏡の前で裸になってポーズを決める舞の表情、なんかもうスゴかったよ」

 ど、どんな表情してたの……?

「あたし、顔真似も得意なんだけど、あの情報量はさすがに正確には記憶しきれなかったね」

 舞先輩がそんなナルシストなことを……? 意外だな、と思いたいところなのだけど……すんなりと想像できてしまって、そのとき――私の中で

 くらり、とよろめきかけたけど……乙比野さんはそんな私に気づかず深く頷く。

「でも、そこから舞は伸びたわよー!」

 そして、誇らしげに言葉を続ける。

「自分の身体をどうしたら綺麗に見せられるか、それだけに注力してね。どんどん振り付けも洗練されていったの」

「へぇ……」

 心無い返事に気づいたのか、桑空先生は心配そうに私に問いかける。

「お前、ストリップ続けていけるのか? これからもずっと、自分を晒していけるのか?」

「そ、それは……」

 思わず身がすくむ。無自覚な憧れを自覚したとき、それがすべて勘違いだったって気づいて――けれど、もう、みんなを巻き込んで事態は走り出してしまっていて――

「……わかりません」

 脱ぐことならできる。それを、人前で披露することもできるだろう。けれど――来年の自分どころか、来月の自分がそれをできるのか――そんな自信すら、私は失っていた。


       ***


 期末試験が近づくと部活動は一斉停止。もちろん同好会であるストリップ部も。あとは、舞先輩を五人目として誘って、みんなで全国大会を目指すだけ、って思ってたのに――いまの私には、舞先輩と向き合う勇気がない。怖いんだ――これまでは、ただ何となく舞先輩を追ってきた。不思議だな、綺麗だな――そんな安易な好奇心で。

 けれど、裸になったのは身体だけではなかった。私の深層心理まで丸裸にされてしまって――私は舞先輩にも何も無い、だなんて自分を重ねる失礼をしていて、だからこそ、自分にも何かあるんじゃないか、なんて都合のいい夢を見て――けど、舞先輩は私とは違うんだ。むしろ、何もないどころか溢れんばかりの自分があるからこそ、あのステージに立つことができて――

 試験週間に入ってくれて本当に助かった。少しだけ、自分の気持ちを整理する時間を作ることができたから。こんな状況じゃあ、机で勉強なんてする気にもなれない。ひとり静まり返った教室で、今日も密かに踊りの練習をしている。

 教室はがらんとして、私以外誰もいない。この状況、ある意味“使い放題”ともいえる。どうせ誰もいないし……なんて調子で、思い切って“脱ぐところまで”やってみている。トントントン……スッ。あのダンススクールのような鏡も何もないから、手元のスマホで自撮りするしかないけど、ま、ないよりマシってところかな。

 踊り終えて、息を整えながら動きの確認。これまでダンスは授業で習ってきたり、最近はそれこそ色んな人の踊りを見てきた。けれど――正直、自分のダンスが良いのか悪いのか、何がなんだかわからなくなってきている。そういうところも、私は舞先輩とは正反対。私は何をどう見せればいいのかなんて……まったく――

 ――ガラッ。

 控えめに扉を開く音が教室の静寂を破り、思い悩む私の思考を瞬時に寸断する。

「ひゃっ……!」

 思わず全身がビクンと反応して身体を腕で隠す。すると……そっと開いた隙間から、ちらりと覗く視線と目が合った。その瞬間、心臓が爆発する。その目が私をしっかり見据えてて、ああ、これはヤバいやつだと直感した!

 相手もこちらと目が合っているのを察して……自白するように、ゆっくりと扉が開いていく。すると、そこに立っていたのは……小此木先生!? 今日の先生はジャケットなしで、柔らかな生地のブラウス姿。淡い色のブラウスがかすかにシルエットを浮かび上がらせ、先生の持つ雰囲気を柔らかく印象付けている。控えめな眼鏡の奥の瞳は驚き混じりで、少し頼りなさそうな視線をこちらに向けているけれど、その一方で、教師としての責任感もわずかながらに残されている。

「えーと……試験期間だから、早く帰ってもらいたいところなのだけど……」

 先生は、ちょっと戸惑ったように私を見つめながら控えめに言う。

「あ、はい、すみません……」

 小声で謝りながら、私はパンツを穿き直す。相手が女の人だとわかったので、私もすっかり落ち着きを取り戻していた。

 そんな私を見ながら、小此木先生はしみじみと呟く。

「本当にやってるのねぇ……ストリップ」

「それは、まあ……」

 先生はいまさらに感心している。顧問になったばかりということもあるけれど、活動を見に来てくれたことは一度もなかったから。

「こんな時期まで練習を続けてるなんて、何か思うところがあるのかなー……? なんて……」

 これまで部活に関わってこなかったことを、小此木先生自身も少し気にしていたらしい。どうにか笑顔を作ろうとしていたけれど、途端に困り顔に戻ってしまう。

「あっ、ごめんなさい。こんな先生になんて相談する気にはならないかもしれないけれど……」

 先生の言葉は優しげだけど、申し訳なさそうな響きも混ざっている。

「い、いえ、そういうわけではないんですが……」

 私は思わず誤魔化すように笑ってみせた。しかし、私の悩みはもう、部活の域を超えている。

「でも、これは……自分で解決しなきゃいけないことなので」

 私が決意を口にすると、小此木先生はハッとしたように頷いた。

「そっ、そうよね! 差し出がましいことを言ってごめんなさいっ」

 正直……早く帰ってほしいんだけど。何しろ、こっちは裸なわけだし。けれど、先生の方は話す気満々。どうやら、残っていることを咎めに来たわけではないらしい。

「実は先生もね、観に行ってみたのよ。如月さんの……ライブを」

 えっ、先生が舞先輩のライブに!? 驚いて見つめる私に微笑みだけ返して、先生は少し間を空けて話を続ける。

「桑空先生に教えてもらってね。如月さんのことはずっと気になっていたから……。それに、ストリップ部を立ち上げようとしているのも、如月さんのためなのでしょう?」

 その質問に思わずドキリとする。桑空先生からどんな風に話が伝わっているのか、私にもよくわからない。けれど、おおむね間違ってはいないから、私は黙って頷いた。

 小此木先生は、少し躊躇したようにため息をつくと、目を伏せてゆっくり話し始める。

「だからね、鈴木さんにだけは話しておいた方がいいと思って」

 それは多分、あの日の廊下で桑空先生に止められたこと――

「……如月さんね、そのー……実家の方から勘当、のような扱いを受けていて……」

「えっ……」

 まさか、舞先輩にそんなことが起きていたなんて。先生は一旦、言葉を探すように少し口を閉ざして、それからまた語り始める。

「如月さん、子どもの頃からずっとバレエの英才教育を受けててね」

「あ、はい」

 乙比野さんたちもそんなことを言っていた気がする。それで、バレエに行き詰まったから、いろんなダンスに精通している乙比野さんに相談することになったのだとか。けれど――

「でも、如月さんが見出した結論は、ストリップだったのよ」

「……はい」

 ストリップ・アイドルとして活躍している舞先輩の姿を実際に見ているからこそ、私にもわかる。もし、夜白さんたちが勧めなかったとしても、いつかはその道に行き着いただろうってことは。

「けれど、それがご両親の逆鱗に触れてね。『これまでバレエを習わせてきたのは裸踊りのためじゃない』と」

「酷い……」

 思わず声が漏れた。舞先輩の踊りには思い入れがあって、ただの『裸踊り』なんかじゃない。そこには、先輩ならではの意味が込められているって、あのステージを見ればわかるはずなのに。

「いま、如月さんはダンサー仲間の家を転々としながら、ときにはスタジオで寝泊まりしているみたいなの」

「そんな……」

 あまりの境遇に私は思わず悲嘆の声が出たけれど――それで、いまさらながら思い出す。舞先輩が落としたと思われるあの鍵のことを。

「先生、これなんですが……」

 私はいつか渡そうとずっとカバンに入れていた鍵を取り出した。先生はそれを見て、少し驚く。

「それ……如月さんの……」

 やっぱりひと目でわかってくれた。

「私、校門の前でこれを拾って、それで……」

 舞先輩と仲良くなるためのキッカケに、だなんて……いまとなっては自分の軽率さに後悔しかない。けれど、先生は私を慰めるように微笑みかける。

「受け取って、もらえなかったでしょう?」

 私には何も言えなかった。何しろ、曰く付きの一品である。もし、あのときすぐに返そうとしたところで、先生が言った通りの結果になっていたはず――それどころか、私と舞先輩の間に悪い亀裂が入っていたかもしれない。結果的に、私の行いは最善だった。けれど、その動機は決して褒められるものではなかったから……

 私の自己嫌悪の表情を、小此木先生は肯定の返事として受け止めてくれた。

「それはね、如月さんのお家の鍵なの。お母様から預かっていたのだけど、彼女に渡すことができなくて……」

「実家の……鍵、ですか?」

 言われて初めて意味が飲み込めてきた。そして、小此木先生はため息混じりに話し始める。

「如月さんね、ずっと『そんな鍵は知らない』って言い続けて、どうしても受け取ろうとしなかったのよ。それで先生、もう……こっそりと、如月さんのカバンに入れてみたの」

「こっそり……ですか?」

 私は思わず突っ込んでしまった。そんな大胆な行動、もはや“こっそり”とは呼べない気がするけど。

 先生は苦笑いを浮かべながら続ける。

「でね、次の日にはその鍵が……落とし物として生徒会室に届けられてたわ」

「ええっ、そんな! 舞先輩、捨てちゃったってことですか!?」

 私が驚くと、先生は――肯定とも否定とも取れない複雑な表情を見せる。けれど、その声はどことなく落ち着いていた。

「そうともいえるし、違うともいえるけど……ただ、その鍵が如月さんのだと先生にはすぐわかったの。お母様から受け取って、職員室預かりになったとき、先生が自分でキーホルダーを付けたから」

 ただの事務用品と言われたらそうなのだけど、と小此木先生は自嘲気味に笑う。確かに、家の鍵なんてどれも似たり寄ったりだし、キーホルダー自体にも特徴はないけれど……ただ、その色や鍵の形状の雰囲気を、小此木先生は覚えていたのだろう。とても、舞先輩のことを心配していたみたいだから。

 そして、先生はいまでもこの鍵のことを気にかけている。

「職員室のところに戻ってきたとき、そのキーホルダーにはね、そう書かれてたのよ。『パンドラの箱』って」

「……あー」

 私は思わず声を漏らした。まさに舞先輩らしい。本人にとって、家は不幸が閉じ込められたパンドラの箱みたいなものだったんだろうな。

 先生は少し寂しそうに微笑んで話を続ける。

「どうやら、如月さんはカバンの中に鍵を見つけると、いつもすぐにカバンの端に引っかけておくみたいなの。わざと落としやすくするように、ね。それを誰かが拾って、生徒会室に届けてくれて……」

 それが職員室を経て小此木先生のところに戻って来る、ということか。けれど、舞先輩が本当にご両親と縁を切りたいのなら、ゴミ箱にでも捨ててしまえばいい。なのに、それをしないのは――家に対する情が残っているからか。それとも、気にかけてくれた小此木先生に対する義理か。何にせよ、舞先輩の中の複雑な心情が伝わってくる。

「如月さんのことはね……先生が先生になってから初めての大事件だったの」

 先生は少し項垂れながらも話を続ける。

「だから、どうしても助けてあげたくて、如月さんのご両親の家に行って、お話を聞いてみたり」

 ここまでくると、桑空先生でなくても深入りしすぎではないかとちょっと心配になってくる。小学生ならともかく、高校生ともなったら成人――それが『自己責任社会』なのだから。

「如月さん、いまも全然心を開いてくれないけど、もし、先生がもっと近づけるなら……」

 先生は少し照れくさそうに頬を赤らめながらも続ける。

「でね、そのー……先生もほら、ストリップ部の顧問だから……。それで、桑空先生にも教わって、少し練習してみたの。こういうことを話すのは、正直恥ずかしいけれど……」

 あまりの意外さに、私は思わず息を呑む。まさか先生が練習まで……? これまで、関心があるのは舞先輩のことだけで、私たちの活動に興味なんてないのかと思っていた。……ううん、いまでもすべては舞先輩のためで、私たちのことはついでなのかもしれない。

 だとしても。

「先生の踊り、もし良ければ、見せていただけませんか?」

 私がそう頼むと、先生は目を丸くして、それから嬉しそうに頷いた。

「ええ、見てもらえたら嬉しいわ。鈴木さんにとっても、何かの参考になるかもしれないし」

 先生がどんな風に踊るのか、私はドキドキしながら見守っている。部員だけじゃなくて、先生までこんなに頑張ってくれているなんて――!

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