常識の外にある舞台

 ペタンッ! とお尻に走る硬い衝撃で、私の意識ははっきりした。てゆーか、一瞬放心してたっぽい。マジで? と我ながら信じられない。けれど確かに、いまの私は床にすっかり座り込んでいる。まるで、腰を抜かしたみたいに。こんなの、漫画やアニメの中だけの話だと思ってたよ!

 何が起きたのかわからなくて、私は無意識に助けを求めていたらしい。それとも、ただ目を逸らしたかっただけか――右向いて、左向いて、どうにか別の何かを探していたら……タイツのふくらはぎが見えて、つい私は上を向く。すると、目が合った。あのスーツの女の人が、私をニヤニヤしながら見下ろしてる! まるで『ああ、これが見たかった』と言わんばかりのあの表情! この人、私にこの反応をさせたかったんだって、いまになってようやくわかった。悔しい! めちゃくちゃ悔しい! 恥ずかしすぎてもう顔から火が出そう! でもその瞬間、私の頭は今度こそバシッと明るくなった。いや、もう完全に状況を理解したよ!

 思い返してみれば、あの瞬間、私の中にも『うむむ?』っていう違和感は確かにあった。ここまであれだけ完璧なステージだったのに、唐突に舞先輩が下着姿のままで放置されるなんて普通あり得ないでしょ。舞台裏もフロアも誰も動揺してなかったし、逆に盛り上がってる感じだったし。おかしいよね、絶対。

 それにあのとき――舞先輩が自分で背中に手を回してたように見えたんだよね。なんでそれで気づかなかったんだろう、私。いや、かも。だって、ステージのど真ん中で、下着姿で、しかも自分でやってたなんて、信じられないでしょ。いくら舞先輩が不思議な人だとしても、そこまでするなんて想像もできなかったって!

 何しろ……ステージってそういう『特別な場所』なんだから。あんな明るいスポットライトに照らされて、フロアにはたくさんの人がいて、しかも男の人の歓声まで聞こえる……そんな舞台であんな大胆なことをするなんて、私の常識が全力で理解を拒んでいた。だけど、目の前に広がっている現実が私の常識をどんどん引き裂いていく。ストラップがスルッと肩から落ちていく瞬間、その違和感が加速して、あっという間に私の中で非常識が普通になっていった。そして――

 いま、私の目の前には信じられない光景が広がっている。あの舞先輩が――いまでも信じられないんだけど――まさかのパンツ一枚で、スポットライトを浴びながら堂々と歌って踊ってる! いやいや、厳密に言えば、ブーツはちゃんと履いてるし、長い手袋みたいなものもつけてるし、髪飾りだってバッチリ決まってる。だから、実際には『パンツ一枚』ってわけじゃないんだけど……でも、見た感じがそんなふうに思えるんだよね。

 それにしても、なんというか、この状況での舞先輩の姿……圧巻すぎて、目が離せない。私の脳内では、舞先輩がただの下着姿ってわけじゃないんだって気づいてる。むしろ、舞先輩は意図的に身体の一部をって感じ。それがまさに衣装の一部みたいに見えるのがまたスゴい!

 もちろん、胸なら私にもあるけど……ま、まぁ、先輩ほどじゃないにせよ。だからって、こんなに驚くなんて思わなかった。でも、これってただの“驚き”じゃないんだと思う。舞先輩の姿に衝撃を受けたのは、この環境――つまり舞台の上っていう特別な空間で繰り広げられているからこそ、そんなふうに感じるんだと実感した。だって、『ステージ』と『裸』って、どうやったって結びつかないじゃん! どっちかとゆーと、かなり遠い場所なはず。そこで、こんなことが起きるなんて……まるで別世界みたい。でも、そこで舞先輩は平然と歌っていて――その胸が、まるで躍動するようにリズムに乗って踊ってるのを目の当たりにして、本当に驚いた!

 そもそも、ブラを外したまま飛んだり跳ねたり回ったりなんて普通しない。全部の支えがない状態であんなに激しく動くのを見たのは、正直言って、私には初めての経験だった。

 だから、最初にぶつかったのは、やっぱり『これ、あり得ないよね?』っていう常識からくる違和感。けれど、その枠さえ外せば芸術作品みたいに見えてくる。そう、これはまさに――壊された後にステージ上で何かが再構成されていくっていうか、舞台全体が完成されていく感じ。生の舞先輩が目の前で体現してるリアル――それが、まるで芸術家がキャンバスに描いている瞬間を目撃しているみたい。


 そのとき私の脳裏に――『ストリップ』――そんな単語がよぎった。


 もちろん、実物を見るのは初めてだし、ネットの動画でだって見たことない。ただ、なんとなく漠然と抱いていたイメージでは『金髪のおねーさんがステージの上で、登り棒みたいなポールに掴まりながらぐるぐる回って、少しずつ裸になっていく』というもの。あれ? 待って、それってポールダンス? ちょっとよくわかんなくなってきたかも。

 ともかく、きっとこの歌のステージは、別に脱がなくても成立するはず。それでも――

「この花の蕾はー、いまここで激しく美しく咲き誇る♪」

 舞先輩の歌を聴いて確信する。そうなんだ。やっぱり――脱ぐことで、このステージは完成されるんだ。だって、舞先輩の胸があってこそのパフォーマンス! これは舞先輩のための歌、舞先輩のための音楽、そして舞先輩のための光――すべてがひとつになって、ステージ全体を一気に盛り上げる相乗効果を生み出している。普通の振り付けだけじゃ、到底足りない。生肌を見せることでしか表現できない、あのリアルさ――それが、ここにある!

 でも、だからこそ――これで終わるはずがない! ……って私には思えた。まだ続きがあるんじゃないか? って。だって、舞先輩はブラを外したんだよ? その先があるはず、って感じがするじゃない? 常識に縛られちゃいけないって、私もわかってる。それでも、頭の中ではどうしても縛られちゃうのが現実。これ以上はマズイでしょ! って私の胸の中では激しく警鐘が鳴らされている。だってこんなこと、自分にできるかって聞かれたら、即答で『無理!』って言えるから。

 そもそもこの先どころか、いまの舞先輩と同じことさえできるかって考えたら……絶対無理! でも、それは私がこっち側――観客の立場だから。もし向こう側――ステージの上にいたら――そんなこと、考えるだけで頭がパンクしそう。だから、いま私の中で思い描いている舞先輩の姿は、あくまでファンからプロのアーティストに向ける気持ちとして――

 歌は二番を終えて、大サビに向けてどんどん盛り上がっていく――そこでつい気になってしまうのが、舞先輩がお尻に着けている真っ赤なレース。腰の両サイドには蝶結びが施されていて、まさにランジェリーって感じのデザイン。むむむ? 私、どっかでこういうの見たことあるぞ?

 ……って一瞬で思い出した。前に、千夏と一緒に渋谷のお店に行ったとき。『こんなの、誰が穿くんだろうね~』って冗談めかして笑い合った、あのレースの下着だよ!

 けれども、それを穿きこなす人がここにいた。そう、舞先輩が――私、目を疑ったよ。あの冗談みたいなランジェリーを、まさかこんな完璧に堂々と穿きこなすなんて。しかも、私が店で見た紐は縫い付けてあるだけでただの飾りだったのに、舞先輩のは本物。しっかりと結ばれていて、それがいま、するすると解けていく。

 左側の結び目がたらりと垂れて、舞先輩がそれを指先で摘んでいる。もう、それだけで心臓がバクバク。これが外れたらどうなるの? 右側の結び目もいまにも解けそうで――もう、緊張が止まらない!

 そして、舞先輩はついに――まさにその瞬間が訪れた。それは、私の予想通りだったというか、期待通りだったというか。胸だけじゃなく、お尻まで――ああ、もう本当に全部が! 舞先輩はブーツの踵を軸に、時々くるりと回って、そのたびに前も後ろも丸見えで。

 そんな舞先輩に見入っているうちに、私はまるで――踊る彫刻を見ているような感覚に陥っていた。だけどこれは、美術館に展示されている静かな芸術とは違う。リアルがゆえに放たれる、なんというか……ものすごい破壊力! こんな衝撃、いままで感じたことがない!

 曲は最高潮に達し、大サビが始まった。音楽は力強く、観客たちも沸き立ち、舞先輩はその中心に立っている。だけど……やっぱり私は正気と幻想の間で行ったり来たり。舞先輩すごい……とドキドキしてたと思えば、こんなところに裸の女の人がいるはずがない、って自分の目を疑い始めたり。あぁ……流れている曲がわざとらしいほどムーディーな感じなら――ぶっちゃけ、私がここに来るまで想像していた『登り棒みたいなポールに掴まってアレコレするダンス』なら、私だって納得できたんだと思う。けど、このステージはやっぱり『脱がなくても成立する』くらい、カッコイイライブなんだよ。これはまさに、戦場で旗を振っているのに何故か上半裸……みたいな。会場の雰囲気はまるで古典絵画に描かれた女神のようで、油絵ならば『これは美術だ』と簡単に納得できる。空想の芸術として受け入れるのはある意味簡単。でも、紛れもなく現実であって。手品でもなんでもなく、目の前で起きている奇跡を私はただ呆然と見つめるしかなかった。

 舞先輩は、自分の身体を使ってその場に神聖さを宿している。彼女はまさに 偶像アイドル――でも、これは普通のアイドルじゃない。『ストリップ・アイドル』――そんな言葉、いままで聞いたことがない。けれど、舞先輩のパフォーマンスを見ていると、それがしっくりきた。

 噂話で聞いた限り、私は『ストリップ』をただの男性向けのショーだと思っていた。恥ずかしながら、それは偏見だったらしい。だって、目の前の舞先輩は明らかに違う。裸になることは単なる見せ物じゃなくて、確固たる表現の一部として成立している。実際に、公園や美術館には裸の彫像だって普通に飾られているし。それって、芸術として成立しているからじゃない? 舞先輩のパフォーマンスもそれと同じなんだ。裸身は、ただの裸じゃなくて、芸術作品として私たちの目の前に存在しているんだって、強く感じた。


 そうだ、これが本当の“芸術”だ。


 ……ってのはちょっと言い過ぎかも、と前言撤回。目の前のステージでは、舞先輩が見事にY字バランスを決めている。その足が高々と上がって……正直、これってやっぱり、かなり際どい見世物だよね。ため息が出るのも仕方ない。でも、このため息、半分は男の人たちに対する呆れだし、もう半分は――なんて言うんだろう、ちょっとだけ自分が仲間外れにされたような気分もある。

 別に、何が何でも舞先輩のソコを見たい! というわけじゃない。でも、もし見たらどう思ったんだろう? とは気になる。それを私だけ見れなかったんだなー、というのが――なんか、ちょうどサラダのプチトマトがポロンと床に落ちちゃったみたいな、そんなガッカリ感。そのプチトマトをどうしても食べたかったわけじゃないんだけど、落ちた瞬間、『あっ、もったいない!』って思っちゃうでしょ? ここまでのステージが完璧だったからこそ、余計にそんな気持ちになる。

 いまさらながら、私はパンドラの箱の意味を思い出していた。そういえば、箱の底には希望が残っていたんだっけ。確かに、これは希望だったよ。なんだか、変わらない日常を変えてくれそうな、そんな希望。だからこそ、あの鍵は本当にパンドラの箱の鍵だったんだなって実感する。

「どうだったかしら? 初めて見る如月舞は」

 その声に、ふっと現実に引き戻された。スーツの女の人がニヤニヤしながら意地悪そうに訊いてくる。でも、不思議と私はその質問に心を乱されることはなかった。なんでかって? 頭の中がまだふわふわしてるからだよ! まるで夢見心地みたいに。だって、舞先輩はいまだにステージの上で踊り続けてるんだよ? 曲はまだ終わってないし、あの身体のライン――女としてのすべてを、余すことなくさらけ出しながら。その姿を見ていると、自分がどれだけいままで普通の世界にいたか、逆に実感してしまう。

 あんな舞先輩のステージを見ながら、フロアのみんなは何を感じているんだろう? ……なんて、私はぼんやりと考えていた。いや、私自身は正直、もう何も考えられないよ! もしこれが夢だったとしても、たぶん驚くこともなさそう。だって、あまりにも現実感がないんだもん。まるで、空想の世界を覗き見してるような気分。

 だってさ、あれは紛れもなく舞先輩なんだよ? なのに、全然舞先輩に見えないの! まるで、別人がそこに立ってるみたいに感じる。もう、舞先輩をモデルにした架空のキャラクターだって言われても……うん、納得しちゃう。

 それでも、あれもやっぱり舞先輩であってほしい! と私は強く思う。あの、謎めいた舞先輩の秘密――しかも、それはアイドルでしたー、なんて生ヌルいもんじゃない。だって、あの舞先輩なんだから。アイドルはアイドルでも、ここまでぶっ飛んだストリップ・アイドルだからこそ、秘密にしてた理由があったんだろうし、それこそ私がずっと知りたかった舞先輩の本当の姿だったんだって、そう確信できた。だって、あんな普通じゃない舞先輩だからこそ、私にとっての特別な存在なんだもん!


 そして、ライブは終わった。……いや、正確には舞先輩の出番が終わっただけなんだけど。でも、もう、なんて言うか……私の中では『ライブ終了!』って気分。何しろ、あの舞先輩が、ステージであんなことを……うぁー、いまだに頭の中がグルグル回ってる!

 でも、そんな私に活を入れるように、背後からはピリピリとした緊張感が。振り返ると、スーツの女の人やスタッフとは違う雰囲気の人が衣装を整えてスマホで何かをじっと見ている。この感じ……間違いなく、次の演者さんだよね。

 もしこれが普通のライブだったら『最後まで観ていきたい!』ってなるところだろうけど、今日のはストリップだから。他の人のステージを観てしまったら、それは……舞先輩に対する浮気、な気がしてくる……なんて、そんなことを考えてしまう自分が恥ずかしい。

 で、改めて振り返ってみると、最初、私は普通のライブの感覚で見ちゃってたかも。そりゃあ、まさかの展開にビックリはしたけど、その直前までは『普通のステージ』の一部だと思ってたわけで。スーツの女の人が何も言わずにあの事実を伏せていてくれていたから、私、最高に驚けたんだと思う。サプライズ的には大成功。

 でも、ブラとパンツが出てきたときのことを思い出すと――ストリップってのは、まさにコース料理みたいなものじゃないかと。最初の方のスープをそれ一品だけで楽しむんじゃなくて、あとに続く料理も併せて味わってこそだって。もちろん、スープそのものも美味しかったけど、私、ちょっと雑に味わっちゃったかもしれない。そのあとにメインディッシュが待ってるって知ってたら、もっとその前の衣装や下着姿だって違った意味で受け取れたはずなのに。

 だから、いま強く思うのは、舞先輩の舞台をもう一度観たい! ってこと。あのステージの一瞬一瞬が、もっと深く味わえるものなんだって思うと、後悔がじわじわと……ぬぅ、無念。

 そして先輩は――そんな私の葛藤なんて知る由もなく、観客に向かって軽く頭を下げると、手を振りながらステージ脇へと歩いていく。そう、私がいる舞台袖の方へ。舞先輩は、どうやらステージに集中していたから私がここにいることには気づいてなかったみたい。でも、目の前には私がしっかりへたり込んでるっていうこの位置関係。これ、完全にアウトじゃない? 舞先輩のこと、正面からバッチリ見えてしまうなんて――もうどうしていいのかわからない!

 ああ、言葉にできないこの気不味さ。何とかしたいけど、どうにもできない。何というか、これはもう……目のやり場にマジ困る! これまではずっと覗き見みたいな角度だったから、多少距離が近くてもなんとか耐えられた。でも、顔も身体も突き合わせるだなんて……学校でだって一度もなかったし!

 私を包む非現実感はまだまだ終わっていない。例えここが舞台袖というバックヤードだったとしても――いや、普通に更衣室での着替え中でも、あんな姿で堂々と歩き回ってる光景、なかなかお目にかかれない。靴とか手袋とかその他もろもろは着けてるのに、肝心なところを何も隠してないなんて! なのに、なんでこんなに自然体なの!? しかも、それが全然見苦しいとか思えないのがさらに不思議だ。

 それは、さっきのステージを観てたから? いや、違う。観てなくても、私はこの舞先輩の姿を『もっと明るい場所で、もっと派手に観たい!』って感じたに違いない。こんな薄暗い倉庫みたいなところじゃなくて、スポットライトが当たって、きらびやかな舞台の上でこそ、先輩は映えるんだ――そう、もっと鮮やかに、胸を張って。ここではなく、もっと輝くべきだって思えるはず。

 ただし、それはすべて私の脳内で勝手に作り上げた理想像に過ぎない。現実はもっと生々しく、もっとリアルな迫力がある。温泉とかなら気にしないだろうけど、ここはそうじゃない。機材が並ぶ作業場みたいな場所だ。そんなところで、舞先輩がまっすぐ私に向かってくる。

 黒い髪がふわりと舞い、豊かな胸も一緒にふわっと揺れて――けれど、先輩の姿は制服を着ているときと同じくらいいつも通り。どこを見ているのか、何を考えているのか――まったくわからない。さっき歌ってたときの方が、まだしっかりした意思が感じられた。ステージ仕様のスイッチが、プツンと切れて日常モードに入ってる感じ。いつものミステリアスな舞先輩――いまの姿は、そのミステリアスっぷりをさらに際立たせている感じがする。ほんと、舞先輩ってすごい!

 あまりにも恥ずかしくて……もう無理! 舞先輩を直視なんてできない! 頭が熱くなって、つい俯いちゃう。心臓バクバクだし、呼吸も浅くなってきてる。何か……何かを伝えたいんだけど……言葉が出てこない。こんな状況でどうしたらいいの? 勇気を振り絞って顔を上げるけど、舞先輩の顔を見た瞬間、私の息が止まった。

 えっ……?

 舞先輩、そんな顔……?

 いままで見たことのない、悲しそうな瞳――

 あのいつもクールで何考えてるかわからない舞先輩が、こんな感情を隠さずに……

 私にはもう、何も言えない。いや、言えないじゃない。言葉が消えちゃったんだ。舞先輩のその表情に圧倒されて、立ち上がることさえできない。気づけば、私はただ、その場に座り込んだままだった。


 それから。

 舞先輩の姿が見えなくなったという現実を把握してなお、私の心はまだあの異次元のようなステージに縛られていた。何もかもが空想的で、まるで夢の中にいるようだった。だけど、我に返ったときには、舞先輩はもういなかった。どこに行っちゃったんだろう? スーツの女の人曰く『舞はいつもあんな調子よ』あんな素晴らしいステージを魅せた後に、ふっと姿を消すなんて、そこも舞先輩らしい。

 でも、その背中を追いかけることもできず、他の出演者のステージを観るもことなく、私は会場を離れることにした。だって、あれ以上のものなんてきっとないし、他の人のステージを観る気分でもなかった。

 外に出ると、新歌舞伎町の灯りが無駄に私の目に飛び込んでくる。街の冷たい風が肌に触れると、ようやく現実が戻ってきた気がした。けど、心の中にはまだ舞先輩の姿が鮮烈に焼き付いてて、どうしても忘れられない。身体も正直で、家に着くと、もう限界って感じ。着替えることもできず、糸が切れたようにスーツのまま布団に倒れ込んだ。

 もし、家族にスーツの寝姿を見られたら、絶対に『何事!?』って驚かれてたところだったけど、幸い誰にも気づかれずに済んだみたい。それだけはラッキーだったかも。けど、スーツも制服もしわしわにしちゃって、朝になって後悔した。こればかりは、どうにもならないアンラッキーだなって。

 一晩泥のように寝たし、これで少しは気持ちも切り替わってくれたら良かったんだけど……ダメだった。舞先輩のステージがまだ頭の中でリピートされてて、まったく消えてくれない。朝食を前にしても、お箸が全然進まなくて、食欲もない。いつも食べるのは遅い方だけだけど、今日は本当にダメ。

 家を出て、登校途中に紗季と合流したんだけど、すぐに『お腹でも痛いの?』って心配されちゃった。顔に出てたんだね、私のモヤモヤが。けれど、自分でもうまく説明できないのが申し訳ない。

 教室に着いたら、今度は由香から『体調悪いの?』って訊かれた。由香って普段あんまり自分から話しかけてこないタイプだから、今日は特別心配してくれたんだと思う。それがちょっと嬉しかった。でも、私の頭の中はやっぱり昨日のステージのことでいっぱいで、授業中も全然集中できない。先生が何を話してるかも聞こえてなくて、タブレットを開いても画面が全然目に入ってこない。

 ふと窓の外を見ると、校庭で体育の授業中の一年生たちがランニングをしてる。それを見ただけで、また舞先輩を思い出しちゃった。昨日の体育の授業もあんな感じで、きっと舞先輩はふわふわとこなしてたんだろうなぁって。普通の表情で、普通に振る舞う舞先輩。でも、昨日のステージだけは普通じゃなかった。普通以上だった。

 それにしても、あのステージはまるで異世界だったなぁ。舞先輩は本当に異世界から来た人みたいで、そんな舞先輩が私たちの世界に合わせようとしてるから、かえって違和感があるのかも、とさえ思えた。

 でも、あの舞先輩が見せた悲しい表情は、いまでも忘れられない。本当は、すぐにでも舞先輩に会いに行って、昨日のお礼を言いたいのに、どうしていいかわからない。あんな顔されちゃったら、私、どうやって会いに行けばいいかもわからないよ……

 ひとつ、ふたつ、淡々と進んでいく授業。いつもなら、午前中がすべて済んだら『やったー! ごはんだー!』と心躍るはずなのに、今日の私はまったく違う。心ここにあらず状態。いまだに舞先輩のことが頭から離れない。ぼんやりとスマホを手に取り、いつもの習慣で何となくSNSをチェックしようとしたそのとき、見慣れないアドレスからの新着メッセージが目に入った。

「ん? なにこれ?」

 件名は『昨日の件』。その文字を見ただけで、私の心の中に期待と不安が急速に渦巻き始める。え、ナニコレ、もしかして何かやばいこと書いてある? いやいや、そんなことより、舞先輩のことだったらどうしよう!? ああ、やっぱり気になる。こういうのって脅迫文とか、大抵悪いことが書いてあるものなのに、私の好奇心が勝っている。ついつい、メッセージをタップしてしまった。


『今日の昼休み、話がある。M.K.』


 ああああああっ!!! これって、舞先輩!? どうしよう、どうしよう!! 私、思わず席から立ち上がって、そのまま教室から飛び出していた。

「桜っ!?」

 廊下に出た瞬間、後ろから由香の驚いた声が聞こえたけど、そんなの気にしていられない!

「ごめんっ、先食べてて!」

 それよりもいまは舞先輩だ。三年生の教室は三階だから……私は走る。まっすぐ、三年C組へ。

 教室内での机の位置はもう調べ済み。舞先輩は席は後ろの方だから、私がどこに行けばいいかなんてわかってる。けど、教壇から遠い方のドアの前に立つと、やっぱりドキドキしてしまう。いやいや、こんなことで緊張してどうする! 舞先輩の方から呼んだんだから、堂々としてればいいんだ!

「行くぞ、私!」

 と、気合を入れて……そーっと覗き込んでみる。教室の中は結構ざわついていて、何人かが出たり入ったりしてる。えーっと、舞先輩は……どこ!? コソコソ顔を出してる私、絶対不審者っぽいな、これ。先輩たちがチラチラと見ながらの傍を通り過ぎていくけど、私は心を強く持つ。

 舞先輩は昼休みに教室にいないことも少なくない。例えば、校内をフラフラしていたり。だから、もしかしたら……とは思ったけど……ホワイトボードの方をじっと見つめてる舞先輩を発見! 何もせずに、膝に手を置いて、ぼーっとしてる。授業もとっくに終わってるのに。そして、私のことに気づいているのかいないのか……まるで、無視されてるみたい。でも、それが舞先輩らしいっていうか、何考えてるか本当にわからない。

 自分で呼び出しておいて無視とかありえないでしょ! 舞先輩がこうして静かにしているのには理由があるのかもしれない。もしかすると、舞先輩にだって切り出しづらいことがあるのかな。

 けど、ここまで来たんだし、こっちから話しかけないと! 私は教室の敷居を力強く一歩跨ぐ。そしたら……え――舞先輩!? 次の瞬間、まるで私の登場を待っていたかのように舞先輩が――スッと立ち上がった。その動きがまあ滑らかで、まるでダンスを見ているかのよう。

 けど……え? 背中を向けた? そしてそのまま、外に向かって――ええぇ!? 窓を開けたと思ったら、軽々と窓枠を飛び越えて――!

 教室内は一時騒然。誰もが状況を把握できずに硬直。舞先輩! ここ三階ですよ!? あまりに自然で躊躇なく、流れるような動きだったから、誰ひとり止めるタイミングすらなかった。え、ちょっと待って――舞先輩、何してるのー!? これはやばい、ヤバすぎる!

 私は、誰よりも早く窓際に飛びついて地上を見下ろした。そして、ドキドキしながら覗き込むと……え、マジで? ちょうど舞先輩が立ち上がってるところだった。無傷!? いやいや、よく見たら雨樋の近くにいるから、もしかしてこれをポールダンスみたいに使って降りたの? 舞先輩、やっぱり普通じゃない……。知ってたけど! 知ってたけどね!! けど、舞先輩のそういうところを見る度に、私の胸はマックスハート!

 教室のざわめきが耳に入ってこないほど、私はただただ舞先輩の勇姿に見惚れていた。はぁぁ……やっぱり舞先輩、すごすぎる。何でもさらっとやっちゃう感じ、それにめちゃくちゃ痺れるし憧れるんだよなぁ……。そして、髪を風になびかせながら、颯爽とどこかへ消えていく後ろ姿。あぁ、かっこいい……

 ――でも、ここで見惚れてる場合じゃない! 追いかけなくちゃ! 気を取り直してすぐに教室を飛び出したとき、私を待ち構えていたのは――


「おいおい、オレのメールを無視するたぁ、どういう了見だコラ」


 ……え? 三年C組の教室の前にはジャージ姿の――……ん? オレのメール……? M.K. ……まさか……もしかして……!?

「M.K.って Misaミサ Kawaiカワイ!?」

Misaoミサオ Kuwasoraクワソラだッ!」

 おおおおぉおぉー!? マジでか!? そういうことか! わかった、理解した! けれどそれを噛みしめる間もなく、ミサ先生が私の口を押さえて、ものすごい勢いで――波にさらわれるように――後ろの方に押し込まれて……!? え、どこに連れて行かれるの私!? って、ドンッ!?

 ――あれ? 背中から壁に叩きつけられるかと思ったけど、ふんわり抱きしめられてる!? え、どういうこと? その上で、きちんと壁ドンキメてくれるとか、何この王子様フルコース。寄せ集め感は拭いきれないけど。

「学校では桑空先生! 覚えとけ!」

「……あー、桑空先生ってミサオって名前だったんですねー……」

 なるほどー、ミサオだからミサって芸名かー……って安直すぎない!?

 ともあれ、気づけば桑空先生と私、ふたりっきり。ここは三階の廊下の隅。横は物理室で、昼休みに誰かが居残っている様子もなし。やんわりとふたりの空間! って、なんでちょっとドキドキしてるんだ、私。

 それでも、桑空先生はなんだかキョロキョロと周りを見渡して、咳払いまでして――なんか、いきなり真面目モード? って思ったら。

「昨日は……双子の妹が世話になったみたいで」

「ウソつけーーーッ!?」

 まだその言い訳で通そうとしてたんかい! って今度はさすがに内心で留めておけなかった。

「お? 教師に向かってその口の利き方か?」

 逆に睨まれて言い返された。ちょっと待って、なんでそんな強気なの?

「だ、だったら教師がボケないでください!」

「ボケてねぇよ」

「まさかの本気!?」

 これにはさすがの先生も口ごもる。さすがに無理がある言い訳だって自覚してるっぽい。

「ともあれ、学校では秘密にしておけばいいんですよね?」

 私としては、昨日のライブの話はもうこの場で終わり。舞先輩のあの姿は、ふたりだけの秘密にしたいって思ってたところだし。けど……ここで私は、ふと気づいちゃったんだ。

「代わりに、舞先輩のこと教えてくださいよ!」

 そう、当然、学校での舞先輩じゃなくて、アイドルとしての如月舞のことを! 同じライブに出てたってことは知り合いかもだし。

 ところが、桑空先生の顔色が一瞬でバツの悪い感じに。あれ? なんか言いにくいことでもあるの?

「あー……アイツは色々事情が入り組んでてなぁ……」

 いやいや、そんなの完全に言い逃れでしょ。ケチケチしないで教えてくださいよ! 私には限界があって、学校の外のことをこれ以上自力で調べるのは難しいのに――!

「真実ってのは自分の手で見つけるもんだ!」

 とか、もっともらしく肩を抱いてくるけど、これってただのごまかしだよね、先生……。でも、私は決めた。もう状況は変わったんだから! 私の舞先輩への想いは、もう、学校の中だけじゃ収まらない。だから――

「なら……私もなります!」

「何にだ?」

 当然、ストリップ・アイドルに決まってるでしょ!

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