TRK26 - To the next century 私立蒼暁院女子高等学校ストリップ部
@soekiba
22世紀の青春革命
教室の中は昼休みのざわつきがワッと急速に広がり、窓際からは外の柔らかな光が差し込んでくる。大きなホワイトボードには午前中の痕跡が。午後までに消しておけばいいや、と放置されているのだろう。
机の上にはまだ授業で使っていたタブレットが残っている席もあるランチタイム駆け出しの頃合い、窓際で机をくっつけて、私たち四人――
「ねえ、千夏! 昨日の
私はテンション高めに千夏に問いかける。
これに千夏はすぐに反応を返してくれる。
「ああ、見た見た!『ブラザー・コンプレックス』ってタイトルも攻めてるよね!」
そう、彼女の路線はどんどん大胆になっていく。なんか、私たちのノリにもピッタリだ。今日の千夏の高いところから結った大きな三つ編みは、未兎ちゃんのポニーテールを意識してるのかも。けど、純粋なポニテにしないのは、いつも私がポニテだからかぶらないよう気を使ってくれているかららしい。ちなみに千夏は、髪型は変えても、ミカンのついたヘアピンだけはお気に入りのようで、いつもどこかに付けている。あ、間違えた。ミカンじゃなくて夏ミカンだったか。そこ、千夏のこだわりみたいで。
そんな話をしながらふと目を向けた先、由香のお弁当がいつもの手作りおにぎりじゃなく、コンビニのサンドイッチだったのを見つけた。
「あれあれ由香、おにぎりどうしたの?」
千夏がそんな茶々を入れる。ちょっと疲れ気味な顔で、由香が切り揃えた前髪に手を当てながら答えた。
「
「さらっと重い話してるわね」
紗季がメガネをクイッと上げて冷静に突っ込む。
「由香の弟くんだっけ、正輝くんって?」
と私が確認すると、
「中三のくせに酒飲んで騒いだバカよ。もうほんとナニやってんだか」
「うわ、それはバカだねー。あと一年待てば普通に飲めるのにさ」
千夏は大笑い。けど、これには私も相槌を打つしかない。
「そうだよね、中学卒業したら成人だもん!」
けれど、由香はちょっと遠い目。
「ま、選挙権なんかは、私にはいらないけどね。面倒なだけだし」
「選挙権を勝ち取った過去の偉人たちに謝りなさい」
紗季のふたつのおさげが牙のように鋭く光った……ような気がする。こういう話になるとマジレスなんだよねー……
「むしろアタシは成人年齢を下げてくれた方の偉人たちに感謝したいわー!」
千夏は快活に笑ってそんなマジな空気を吹き飛ばしてくれた。
私たちが生まれる前の話だけれど――いまから三十年くらい前の二〇七〇年頃、義務教育を卒業すれば成人ってことになった……と、小学生の授業で習った。いまではそれが普通なので、むしろ高校生にもなってアレもダメ、コレもダメ、なんて言われたら、それこそ面倒くさい。
そんな二十二世紀を満喫する千夏に、由香は短い後ろ髪を指でくるくる巻きながら怪訝そうな目を向ける。
「何? 高校通いながら水商売でも始める気?」
これに千夏はウインクで返す。臆する様子は微塵もない。
「ほら、アタシの美貌とプロポーションがあれば? 夏休みの予定はこれでキマリじゃん☆」
「言ってろ」
と、由香は冷たくあしらう。なので、私がすかさずフォロー。
「実際、夜のお仕事してるコ多いよねぇ、この学校」
「割がいいから」
とか何とか、夜のお仕事に最も縁がなさそうな紗季が言ってる。
「ま、それが二十二世紀の過ごし方ってことよ。二十二世紀バンザイ!」
「アホはほっといて……と」
由香がさっきから塩対応なのは、本気にしてないからだろうな。千夏ならマジでやりかねない、と私は思ってるんだけど。
「夏休みの予定といえば、桜は?」
由香が華麗かつ露骨に話題を変えて、私に振ってきた。
「今年は従姉妹の家にお泊りかなー。従姉妹の家、旅館やってて」
「うん? てっきり紗季っちと一緒に合唱三昧かと思ってたけど」
千夏の一言で、紗季は不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
「こっちのアホはとっくに辞めたわよ、合唱部」
「そうなの? なんで?」
由香は心底意外そうな視線を私に送ってくるけど……うーん、そんなに複雑な理由はなくて。いや、ホントに。
入学して最初は、紗季に誘われて私も合唱部に入ってたんだよねー。歌うのって意外と楽しいし、みんなで声を合わせると結構感動的じゃん?
でも、いまは違う。何故かって? それは――……
私が合唱辞めてたのが本当に意外だったようで、由香なんて真顔だ。紗季はなんかちょっと根に持ってるみたいで、私に自分の口で答えろと無言のプレッシャー。
「え、えーっとねぇ、歌はさぁ、老後の楽しみに取っておこうかなーって!」
私は元気に笑いながら言ってみたけど、みんな全然笑ってくれない。うぅ、ハズしたー!
「老後って、まだ高校生でしょ? しかも辞めたの全然最近でもないし」
紗季は本当にしっかりしてるんだから。三月の出来事なんて、私にはもう遠い昔だよ。
そこに、千夏が思い出したように、
「もしかして、憧れの舞先輩の部活がわかったん?」
それを聞いて、紗季のため息。
「まだ続けてたの? 舞先輩のストーカー」
「観察って言って!」
「昆虫?」
何その由香のツッコミ。
「確か、舞先輩の部活がわかったら合唱部辞めるって言ってたもんねー」
この手の話になると、千夏は面白おかしくノッてくれる。
「そうそう!」
と頷いてはみたものの……
「でも結局、何もわからなかったんだよー!」
だってさー、本当に謎なんだよ、舞先輩って! どこにでもいるようで、どこにもいないって感じ? スーッと現れて、サーッと消えちゃうの。まさに謎!
「帰宅部なんじゃない?」
由香がぽつりと呟く。
「いやいや、それはないでしょー!」
私は急いで否定する。舞先輩に限ってそんなわけない。絶対なんか秘密があるはず!
紗季が軽くメガネをクイッと上げながら私を睨む。
「それで、桜まで帰宅部ってわけ?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……」
だけど……実際、いまは帰宅部だと言われたら否定しきれない。私としては、部活と部活の間の検討期間、のつもりであって。
そんなこんなで話はうやむやになりつつ、お昼休みの時間も終わった。私たち四人、去年は同じクラスだったけど、今年はそれぞれ別のクラスに散らばっちゃってる。紗季と千夏は他のクラスだから、ゆるりと自分の教室へと戻っていく。
残された私と由香がふと窓の外を見ると、校庭では三年生が体育の授業を始めていた。私の目は当然、舞先輩を探しているけど、由香の目当ては別の人物みたい。
「ッシャー、オラー! 声出して行こうぜェーッ!」
体育の先生がめっちゃ気合い入れてる声が響いてきた。実習生らしいんだけど、やたらと熱血。えーと、なんて名前だったかなー……と困ってたら、由香がすかさず教えてくれた。
「
「あー、そうそう!」
ホント、元気いっぱいだー。むしろいっぱいすぎるくらい……
「もしかして、爪痕を残そうとしてんのかなぁ?」
「売れない芸人じゃないんだから」
由香が冷静にツッコミを入れてくるけど、キャラ作ってんのか、ってくらいにわかりやすい。桑空先生って、ほんと熱血漢だもん。けど、ただ厳しいだけじゃなくて……前に受けた授業でも、走れないコや体力がないコにはすぐに助け舟を出してくれてて、なんとも男気あふれてるよね。女の先生なのに。しかも短くてさっぱりした髪型に、キリッとした力強い眉毛。ほんと中性的な感じで、女子の中で早くも人気が出てきてる。特に、由香なんてもう大ファンみたい。前の体育の授業で、ランニングのフォームをすっごく丁寧に見てもらって『走るのが楽になった!』って感動してたんだよね。それ以来、桑空先生のことが気になってるらしい。
でも、私が探しているのは、もちろん舞先輩。三年生たちは集団で外周を走らされているけど、私はどんなに遠くても舞先輩を見逃さない。あの人の雰囲気はもう完璧に頭に入ってるから、すぐに見つけられる。
「いたいた、舞先輩!」
私は心の中でガッツポーズを決める。遠くからでも、あの飄々とした走り方は舞先輩に違いない。表情はさすがに見えないけど、絶対に涼しい顔してるんだろうなぁ。ほんと、舞先輩って何をしても格好いいんだから……!
私にとって、いま一番ホットな興味は
ひとつ上の三年生で、いつも何を見ているのか、何を考えているのかわからないぼんやりとした瞳。黒髪ロングサラサラ。誰かと仲良くしているところを見たことはないけど、嫌われたり避けられたりしている様子もない。どうやら成績は可も不可もないようで、これといった噂も聞かない謎の人。あまりに謎。ミステリアス&ビューティー。こんなの、自分が男だったら絶対コクってたね! ……多分。
そんなことを考えながら、気づけば放課後。部活もやっていない私は、早々に帰宅態勢。ひとりで。紗季は合唱部だし。
寄り道する先も思いつかず、私はひとり校門をくぐるところ。その向こう側には広々としたバス通りが横たわっていて、まばらに植えられた木々が軽い陰を伸ばしている。道幅こそ広いものの、まだ時間帯が浅いからか車の通りは少なく、わりと静かな雰囲気が広がっている。門の脇には小さな花壇があって、季節ごとに咲く花が植えられているけれど、いまは手入れがあまりされていないみたいで、ちょっと雑然。
『私立
放課後だけに、帰宅する生徒たちのざわめきが微かに聞こえ、友達同士で楽しそうに笑い合いながら、ゆっくりと校門を歩いていく生徒たちが夕暮れ時の空気に溶け込んでいく。けれど、その中に決して溶け込まない存在感――ビビっと私の舞先輩センサーに反応あり! ……いた! 舞先輩だ! チラホラと出ていく帰宅部の中に、舞先輩も混じっていた。
けど……むむむ? いま、何か落としたような……? 急いで駆け寄ってみると、これは……キーホルダー……? 鍵の方は普通の自宅用っぽいけど、ネームプレートによると……ぱ……『パンドラの箱』……? 世界中の不幸が詰まってるってアレ? 何でそんなものの鍵を舞先輩が? いや、ネームプレートにそう書いてあるだけだけど。
他にも人がいっぱい歩いてるし、舞先輩が落とした鍵だと断言できるほどしっかり目撃したわけでもないんだけど、このシュールさ……なーんか、舞先輩のっぽい気がするんだよなー……?
ここで、ビビっとひらめいた! あ、いや、舞先輩センサーの方ではなく。このまま舞先輩を尾行して……もし、自宅前で鍵がないことに気づけば困るはず。そこで颯爽と『落としましたよー』って渡してあげれば舞先輩との接点ができる! しかも、どんな家に住んでるかもわかる! 一石二鳥! ……で、普通に鍵を開けて家に入っていったら、落とし物として生徒会室にでも届けとけばいいや。
そんな邪な理由で、私の尾行計画はスタート! 家だけでなく、お店とかに寄っていってくれても舞先輩の生活が知れて嬉しいんだけどなー。
私たちが歩いているのは、バス通りに面した歩道の片隅。道路の向こうには軽く車が行き交い、ビルの窓ガラスが太陽の光を反射してキラキラと光っている。いまのところ、舞先輩はどこかに立ち寄る気配もなく……けど……むっ、立ち止まった……? 何かをじっと見て……黒猫……?
舞先輩の目線の先にいる黒猫はじっと舞先輩を見つめ返しているみたい。街路樹がさわさわと風に揺れている。初夏の爽やかな風が舞先輩の長い黒髪をやさしく撫で、日差しがそのシルエットをやわらかく照らし出している。
猫との間に何か通じ合うものがあるのか、舞先輩はゆっくりと膝を折り、猫の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。まるで静かに何かを語り合っているみたいで、私は思わず息をのむ。車の音も風の音も、この瞬間だけ切り離されているみたい。黒猫はちょっと戸惑いながらも、舞先輩に向かって小さく「ニャー」と鳴く。その声に微笑みながら「ニャー」と返す舞先輩。もしかして……意思の疎通、できてるの? ま、舞先輩だけに、もしかしたら……? 一先ずいまのところは、舞先輩は猫好き、とだけ覚えておこう。
猫がするすると去っていったので舞先輩は立ち上がり、駅の方へと歩き出す。そして私はその少し後ろからついていく。
舞先輩は自動改札を通り抜け、まっすぐホームへと向かっていた。私もまた同じように改札を抜けてから、さりげなく距離を取って追いかける。
ホームに着くと、電車待ちの人たちがちらほらと並んでいる。電光掲示板には次の電車の到着まであと三分と表示されていた。ホームには列車を待つ人々の静かなざわめきがあり、頭上のスピーカーからは女性のアナウンスが響いている。電子ポスター板には、次の行楽シーズンのイベント案内や、地域の広告なんかが代わる代わる、ペラペラと。夏祭りねー……。駅前の広場で毎年やってるけど、結局近所の商店街が自分のとこの屋台を出してるだけで、あんまり風情がないんだよなぁ……。まだ花火大会の方がいいかも。
やがて電車が到着。舞先輩はスムーズに車内へと乗り込み、私は少し遅れて同じ車両へ。車内は空いていて、いくつかのシートがまだ埋まっていない。舞先輩はドア付近の席に座り、私はちょっと離れたところに座る。電車の中は、通学帰りの学生や少し疲れた表情のサラリーマンがちらほら。窓の外はまだ威勢のよい青色の空。夏が近づいてきてるんだなー、と実感させられる。
舞先輩はイヤホンをしていて、何かを聴いている様子。目を閉じてリラックスしているようにも見えるし、何か考え事をしているようにも見える。む、むぅ……隣に座っていたら、音漏れで聴いているものがわかったかもしれないのに! 音楽かもしれないし、トーク番組かも、はたまた落語とか……? ぐぬぬ……口惜しい!
そんな中、さり気なく長くてサラサラな髪をすっとかき上げる。その仕草は私も好きで、時々真似したくなるんだけど……私の髪はふわっふわでねぇ……。だからこうしてポニテにしてるんだけど。だからきっと、下ろしても舞先輩のように様にはならないんだろうなぁ。
さてさて、電車に揺られること二十分弱。到着したのは……新宿駅! ここで舞先輩が降りたので、私もすぐさま続いて降りる。けど……こ、この人混みはヤバイ……! さすが日本一の利用者数を誇る駅だけに、ホームはまるで人の川! 電車から降りた瞬間、四方八方から人が押し寄せてきて、立ち止まることさえ許されない。いくつあるんだ? って感じのホームにひっきりなしに出たり入ったりしていく電車のアナウンスが響き渡り、通路の天井には大きな案内板が数え切れないほどぶら下がっている。豆文字のような細かい文字がギッシリ詰まった乗り換え路線や出口の表示があちこちに散らばっていて、ここで迷わない人なんているのかな? なんて思っちゃう。
こうなったら……私の舞先輩センサー出力全開! この人混みの中でターゲットを見失わないようにするのは至難の技。海外からの旅行者も多くて、駅のどこかで多言語の会話が飛び交っている。新宿駅って、世界中の人たちが集まってるんじゃないかってくらい、すごいグローバルな感じ。さあ、次はどれに乗る!?
と構えていたけれど……あ、あれ……? 改札をくぐって……ってことは、ここが目的地? 新宿って人が住む場所ってイメージないんだけど。もしこんなところに家を構えてるのだとしたら、ものすごい社長の一人娘なんじゃない? あくまでイメージだけど。
地下道にもいろんなお店が軒を連ねていたけれど、舞先輩はすぐ地上に出た。私もそれに続くと、目の前に新宿の街並みが現れた。平日の夕方だから、オフィスビルに挟まれた道はまだ比較的空いていて、ビジネス街の雰囲気が漂ってる。道行く人たちは、スーツ姿の会社員や、制服姿の学生たち。けど、さすがターミナル駅って感じで、本当に多種多様の制服たちが色とりどり。歩道の端っこにはコーヒーチェーン店が並んでいて、テラス席に座っている人たちは、仕事の合間に一息ついているって雰囲気。
大通りの向こう側には巨大なデジタル広告がきらびやかに光り、乗用車やバスが次々と走り抜けていく。高層ビルが空を覆い尽くすようにそびえ立ち、まるでガラスと鋼鉄の森みたい。私が歩いている歩道脇も、商店やレストランがずらりと並んでいて、独特な活気がある。いまはまだ控えめだけど、陽が暮れたら、きっとこの通りも一気に賑わいを見せて、すごいことになるんだろうなー……
舞先輩は相変わらずふわふわした雰囲気だけど、足取りだけは確か。何の店に用があるのかなー……と思っていたら……ぐぇ。さすがにコレは……この先は……!
頭上の真っ赤なアーチには――『新歌舞伎町』――! 何でこんなところに舞先輩が!?
新歌舞伎町といえば、それはもう治安が悪いことで有名。そういえば、今日のお昼にも話題に挙がっていた成人年齢のこと。引き下げと一緒に色々と規制が緩和されて、そのひとつとして、一度は滅んでいた歌舞伎町は蘇ったのである。“新”歌舞伎町として。しかも、それまで以上の極悪さで! いまでは警察さえも手が出せないと聞いている。女子高生がひとりで入っていい
とはいえ、私を取り巻く状況もヤバイ。進むは地獄、戻ると何しにここまで来たんだ感満載。けど……何でよりにもよってココー!? 私なんて完全に場違い。緊張で心臓バクバクだし、汗が止まらないし、もう逃げたいよーっ!
すると、背後から突然!
「こんなところで何をしているの?」
って声が。びくっとして振り返ると、そこには黒いスーツに身を包んだ女性が立っていた。ボブカットにサングラスで、明らかに普通の会社員じゃない雰囲気。というか繁華街でサングラスって……怪しすぎるでしょ! 完全に裏社会の人間じゃん!
「えっ……あの……」
なんて、震えながら言い訳を探す私。もうダメだ、涙目になっちゃってる。だけど、その女性は私が怖がっているのに気づいたのか、ゆっくりとサングラスを外した。その鋭い目つきは……よく見たら凛々しくて、雰囲気もどこか落ち着いている。
「そんなあからさまに挙動不審だと、警察じゃない人にも捕まっちゃうわよ」
女性が小さく笑った瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。あ、ちょっと安心していいのかな?
「私、舞先輩の……」
なんてつい口走っちゃったけど、この人が舞先輩を知ってるわけないよね、冷静に考えたら。何言ってるんだか、私。
だけど、驚いたことにその女性は私の制服をじっと見て言う。
「もしかして……如月舞の後輩かしら?」
は!? なんで舞先輩の名前を知ってるの!? もう頭の中がパニック状態。
「え、ええっと……はい」
しどろもどろに答える私。舞先輩がこんな人と知り合いなんて、全然知らなかったよ。
女の人はちらっと手首の時計を見て、フッと微笑む。
「二時間ほど時間を潰して、またここに来なさい。舞に会わせてあげるわ」
え、こんな映画みたいな展開ってある? でも、この人の笑顔、なんか悪い予感しかしない……
心の中ではすぐにでも逃げ出したい! でも舞先輩に会えるって言われたら、それも気になる! 私の尾行はとっくに失敗してるし。どうしよう!? やっぱり行くしかない……怖いけど。あぁ、これ、絶対面接より緊張してるって! きっと、就職の面接でもこんなにドキドキしないんだろうなぁ……。だって、企業は社員を取って食ったりしないから。あ、ブラック企業だったら食われちゃうかも……!? なんてどんどん悪い方向に考えちゃう。
とにかく、私に残された選択肢は、この約束を守ることだけ。頑張れ、桜! 頑張れ、私……!
と、意気込んでみたところで。
新歌舞伎町はさておき、そこを除けば新宿の街自体は別段普通。デートスポットでもあるしね。百貨店とか駅ビルとか、私みたいな小市民でも気軽に入れそうな感じでそこは安心。
ということで、一番近くに見つけたカフェに入ってみた。店内はおしゃれだけど、ちょっと高級感が漂う感じ。壁はナチュラルな木目調で、シンプルだけど落ち着いた雰囲気。テーブルは白っぽい色合いで、椅子もクッションがついてて座り心地がいい。でも、なんかこの雰囲気、ちょっと背筋が伸びる感じ。
周りを見回すと、ビジネス帰りっぽいスーツ姿の人とか、ちょっとおしゃれな服を着た女性がパソコンを広げて作業してたり、ゆったりとお茶してる。カウンターの上には大きなガラスのディスプレイにケーキが並んでて、どれも美味しそうだけど、どれもいいお値段しそう……
すると案の定というべきか。メニュー見た瞬間びっくり! スイーツはもとより、カップ一杯のコーヒーがお値段四桁!? いやいや、高すぎでしょ! ハンバーガーのお供なら何杯飲める価格よ!? なんでこんなに高級なの……! 私、場違いすぎる?
ブルっちゃってなかなか注文できずにメニューとにらめっこの私。いや、ここで粘ってもお店側は困るよね。お冷一杯で時間稼ぎとか絶対無理だろうなー……って、考えてたら、さっそく店員さんが話しかけてきた! お店の制服はシンプルでありながら、どこかスタイリッシュ。黒いシャツに、落ち着いた色味のエプロンが巻かれていて、まるで雑誌の一ページから抜け出してきたかのような印象。シャツの袖口にはさりげないロゴが入っていて、店のこだわりを感じる。全体的にカジュアルすぎず、でも堅苦しすぎない感じが絶妙で、このカフェの雰囲気にぴったり。
そんな店員さんは、焦ってメニューパッドを握りしめる私に、容赦なく先を急がせる。
「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」
「ひゃっ!」
変な声出しちゃった! 謎の罪悪感でアワアワしてたら……うわっ、援軍!? もうひとりの店員さんがのんびりした感じでやってきた。
けど、新手の店員さんは私に話しかけることなく。
「まあまあ、お客そんにはゆっくり考えてもろても大丈夫だべよ」
ん? 訛ってる? まさか、このメガネのオバチャン、田舎から出てきたばっかり?
けど。
「
先に話しかけた店員さんはあっさりと引き下がってくれた。もしかして、意外とベテランさん? そして方言、どこか優しい感じするけど……新宿でこのイントネーションは違和感バリバリ。それでも、助かったことには違いない。思わず『ありがとうございました』とか変なお礼を言いかけてしまった。
「迷っとるんねぇ……」
オバチャンが小さく呟いた。そりゃ迷ってるよ! コーヒー一杯に千円以上払う覚悟なんてできてないもん! ってそっちじゃないか。オバチャンは私の方じゃなくて、新歌舞伎町のアーチを見ながら言ってるし。まるで心の内を見透かしてるみたいで、私はちょっとドキッとした。
「あの街、怖い雰囲気あるけンど、あの街にしかないものもあるんよねぇ。オバチャン、このお店で迷ってる女のコ、いっぱい見てきたんよ」
どこか優しい目で言うオバチャン。え、そんな経験豊富なの!? 案外田舎から出てきたばっかじゃなかったよ。
「このお店、長いんですか?」
なんて、思わず訊いてしまった。なんか、このオバチャン、不思議な感じするなぁ。方言全開で、新宿の洗練された空気とはちょっと違う。でも、だからこそ何だか落ち着く。
オバチャンは、やっぱりすべてを見透かしている。私が失礼なことを考えていたのも、多分。それでも、ふふっ、と可愛らしく笑いかけてくれる。
「あたすの喋り方は、この街では個性やと思っとん。不思議だべなぁ。オバチャンの地元じゃ、みんなこーして話してたんに」
オバチャンの表情は柔らかい。てか、よく見たらそんなにオバチャンじゃない。多分、三十前後かな。しかも、シニヨン結ってるし。こんな手の込んだ髪型するくらいオシャレだし、やっぱり都会人じゃん!
「大人やったら、自分のことは自分で決めんとねぇ。それが、『自己責任社会』やかん」
オバチャンは優しく微笑んで言った。その瞬間、私はハッとする。そうだ、もう決めるべきことは決まってたんだ。ただ、踏み出す勇気がなかっただけで。やるべきことはわかってたのに。
前を向いて進まなきゃ……そう思った瞬間、心が軽くなった。オバチャン、ありがとう! って言いたい気持ちでいっぱいになった。もう悩む必要はない。
「あらあら、もうええの?」
オバチャンが驚いた顔をしながらも嬉しそうに問いかける。
「ごめんなさい! 私、行かなくちゃ!」
私は勢いよく立ち上がると、お礼を言いながらお店を飛び出していく。オバチャンが快く送り出してくれたのは、私が笑顔だったからかな? よし、私はもう大丈夫!
店員さんの言葉には、すごいヒントが隠されていた。
“オバチャンの地元じゃ、みんなこーして話してたんに”
――ようするに、その環境に馴染むには、その環境に合わせなきゃダメなんだ。
ということで、私が入ったのはスーツ屋さん! よし、これだ! そうだよ、ビジネスマンっぽく決めれば、私もあの街の一員っぽく見えるかもしれないし。そしたら、堂々と舞先輩に会いに行けそうな気がする。
でも……スーツってめちゃくちゃ高いのね……。値札を見て思わずぐえぇ……って呻きが出ちゃいそうになったけど、もう覚悟を決めるしかない。一番安い上下をなんとか選んで、支払いはカードで。次の請求額が頭にちらつくけど、これは必要経費! よし、これで何とかなる……はずだよね?
約束の時間が一八時二六分。私はそれよりちょっと早めにアーチの下に戻ってきた。それはもう、背筋をピンッと伸ばしたビジネスマンスタイルで! ……なんて思ってたけど、内心ドキドキが止まらない。
そもそも、あのサングラスの女の人、どっから現れるんだろう。当然、新歌舞伎町の奥からだよねぇ。でも、そっちをジロジロ見るのも怖くて、私はあえて後ろを向く。おどろおどろしい気配を背中でバリバリに受け止めながら。
すると。
「気合入ってるわね」
突然、街の方から声がして……けど、今回はさすがに驚かない。こっちだって覚悟してたんだから!
「ええ、まぁ…この街に馴染む努力くらいはしようと思いまして」
と答える私。学生服から着替えてきたし、これで少しはカッコついてる……はず!
でも女の人、ちょっとつまらなそう。なんだろう? もしかして、この人……私を怖がらせて楽しんでた?
「さ、行きましょうか。この街での如月舞と会いに」
またこの街でのって、何その強調。私にプレッシャー与えてるんだろうなー。まぁいいや、私だってこの街での桜になったわけだし! 自分を奮い立たせて、ついていくしかない!
で、案内されているのは、細くて暗い繁華街の裏路地……。新歌舞伎町にだって明るい大通りはあるのに、なんでこんなルートを選ぶかなぁ。こっちは街灯もまばらで、古びた看板やシャッターが閉まったままの店舗が並んでる。壁にはちょっと怪しい落書きもちらほら。せっかく買ったスーツの効果もみるみる萎んでいくような気がする。
ゴミ袋が端に積まれていて、湿った空気がなんとなく重い。通りすがりの人もほとんどいないし、歩いていると足音だけがやけに響く。ここ、まだそんなに時間が遅くないからいいけど、もっと深夜になったら絶対にやばいよね。どうにか気を張りながら、私は女の人の後ろを黙々とついていく。
やがて、女の人の足が止まった場所は、何かのビルの裏口っぽい。錆びた看板がうっすら見えるけど、何の建物かは全然わからない。ただ、重そうな扉を開けると、向こう側から賑やかな音楽が漏れ出してきてるから、工場とかそういう場所じゃないみたい。
その中へ入ると、濃厚な鉄の板がドスンと閉まる。すると、外の喧騒が一気に消えて、建物内の音楽が響いてきた。鼓動に合わせて感じるような低音。ここってライブハウスかな? 行ったことないから、正直なところよくわかんないけど、雰囲気はそれっぽい。
廊下を進んでいくと、壁に敷き詰められるように飾られたポスターが何度も貼り直された跡がある。上から重ねられた紙の端っこがめくれていて、過去のイベントやアーティストの痕跡が見え隠れしてる。くすんだ壁の色は、年月を感じさせるもので、まるでこの場所が何年も前からここに存在していた証みたい。
足元には、ところどころに剥がれた床のタイルが見え隠れして、注意しないと躓きそう。隅の方にはアンプやケーブルが無造作に置かれている。その雑然とした雰囲気が、何となく緊張感を漂わせているように思えた。
音楽はどんどん大きくなってきて……聞いたことない曲だけど、激しくてエネルギッシュなロック調。低音が身体にまで響いてきて、気持ちが少しだけ強くなる……とはいえ、やっぱりまだ怖い!
するとそのとき、突然後ろから声がかかって――! さすがに今度は心臓が飛び出そうになった! けど、そこにいたのは……え?
「ちょっと! まーたアンタ勝手に部外者連れ込んで!」
ビクッ! 思わず振り返った私は、その声の主に驚愕する。なんと、そこにはピンクのフリフリミニスカートを着たツインテールの女性が立っていた! え、これアニメのキャラクター? そんな感じの見た目だけど、明らかに実在している。
けれど、アニメさんの方も驚いてるみたいで。
「おっ……おま……っ!」
声が突然低くなる。何この違和感。けど、そっちの地声で私はその正体に気づいてしまった。
「桑空先生!?」
と思わず叫ぶ私。ええっ、嘘でしょ? このピンクのフリフリ女が、あの体育の桑空先生!? 信じられない!
先生は明らかに気まずそうな顔をしてもごもごしている。すると、スーツの女の人が冷静に説明を始めた。
「彼女はね――」
スッと先生の方に手を差し出し、
「――
嘘つけーーーーー!! どう見ても桑空先生じゃん!!_! ……ああ、いや、ここライブハウスっぽいし、『河合ミサ』という名前で活動しているのかもしれない。
しかし、桑空先生は断固としてここでのキャラを通そうとする。
「河合ミサでーす。今日は、ミサのライブに来てくれてありがとー!」
ぶりっ子を続けようとするが「引いてんじゃねーぞコラ」と続けざまに低い声で威嚇してくる。ダメじゃん。
さすがの私でも、このテンションにはついていけない。ライブハウスでこんな姿の桑空先生に会うなんて、何がどうなってるの?
スーツの人は先生に向けてヤレヤレとため息をつく。
「ワタシがフォローしてあげてるんだから、地を出さないで」
ふたりのやり取りを見ながら、私はただただ呆然としていた。
「ちょっと考えがあってね。このことは内密に頼むわ」
スーツの女の人は桑空先生に目配せする。
「はいはい、アンタに関わるとロクなことないからねぇ……」
と桑空先生――いや、河合ミサさん(?)が答える。ふたりの間には複雑な事情があるらしいけど……どうやらこのスーツの人は何かと厄介事を持ち込んでくるタイプらしい。……ん? 厄介事ってもしかして私? 桑空先生からすればまさにそうなのだろうけど。
「ふたりのことは見なかったことにしとくから……」
桑空先生がギロリと私を睨む。先生からも逆に私に対して『ここでのことは見なかったことにしろ』という無言の圧力をかけてきているようだ。なので、私も無言で『わかりました』みたいな顔をした。どんな顔? と聞かれても困るけど。とにかく、伝わってくれたと信じたい。
「ミサ、控えで振り付けの最終確認しとこーっと」
桑空先生は大きな独り言を残して、さっさと来た道を引き返していった。……何だったの、いまのは。桑空先生が、あんなクネクネしながら去っていくなんて、まだ信じられないんだけど。
心の中で驚きと混乱を抱えながら、私はスーツの女の人と共に裏方の廊下を進んでいく。まるでドラマみたいな出来事の連続に、頭がついていかない。でも、本来の目的に集中しよう。私は、舞先輩に会うためにここまで来たんだから!
そのとき、扉の向こうから流れていた音楽がスッと止まった。「ありがとー!」というボーカルの声と、それに続く拍手の音が会場全体を揺らす。ちょうど一曲終わったみたい。
「少し待ってて」
スーツの女の人が私の前に立ちはだかり、制止の合図を送ってくる。私は頷くしかない。だってこの人、なんだかんだで怖いし。
きっと……次は舞先輩の出番なんだろうな……。私は興奮と緊張で心臓がバクバクしている。スーツの女の人の言葉と表情から、彼女が何かを企んでいるのは明らかだ。多分、私が来たことを舞先輩に知らせていないんだろう。で、舞先輩がステージに上がった後で、こっそり覗かせるつもりに違いない。私としても、そっちの方がいいな。私が見たいのは、後輩が来ていると意識している舞先輩ではないから。
舞先輩の素の姿を見られるかもしれない……。そう思うだけで、私の期待は膨らむばかり。舞先輩って、普段はどこを見てるのかもよくわからないぼんやりした表情をしてるけど、実はきっとすごい人なんだよね。だからこそ、その本当の姿を見てみたいって思っちゃう。
壁の向こうから次の曲が流れ始め、スーツの女の人が私を促して扉を開ける。そこから見えたのは、まさに舞台の裏側――普段は見ることのできない、ステージを支える人たちの忙しい姿。音響のスタッフさんは大きなミキサー卓を前に、まるで機械と対話するかのように指をすべらせ、照明担当者さんは複数のモニターに映るステージを真剣な表情で見つめている。彼らの動きは無駄がなく、舞台の裏側ってこんなにも緊張感がある場所なんだ、と初めて知った。
天井からは何本ものケーブルがぶら下がっていて、所々にセットの一部が置かれている。照明機材やスピーカーが整然と配置されているけれど、舞台袖特有の暗がりの中でその影が不気味に揺れる。ステージ上の華やかさとは対照的な、無骨な空間。それでも、この陰の部分がステージの輝きを支えているんだと感じられる場所だった。
そんなスタッフさんたちに囲まれながら、私の目は舞先輩に釘付け。袖からステージをじっと見つめる舞先輩の背中は、いつもより大きく見える気がする。黒い衣装がステージの照明を浴びて妖しく輝き、身体の動きとともに生地がなびく。それはまるで、影が踊っているようだった。徐々に高まっていくリズムに合わせて舞先輩もステップを強く刻んでいく。先輩が放つ圧倒的な存在感に、私は言葉を失っていた。
照明が暗くなると、先輩の白い肌がさらに映えて見える。光と影のコントラストが、主役の立ち姿を強調している。歌声は、低音から高音へとスムーズに移行していき、繊細でありながら力強さも感じさせる。その声に、私は驚きと感動で胸がいっぱいになった。普段のあのぼんやりした舞先輩と同一人物とは思えない。彼女の声には、確かに観客全員を引き込む何かがあった。
ステージの上で、舞先輩は笑顔を見せながら観客たちと視線を交わし、一人ひとりに語りかけるような表情をしている。まさに、舞先輩は学校とは完全に別人だった。普段の控えめで静かでいるんだかいないんだかよくわからない雰囲気とはまったく違う。まさに、スポットライトに照らされて、その存在すべてが輝いている。
ダンスもキレがあり、まるで身体の隅々まで音楽と一体化しているようだった。動きのひとつひとつが美しく、無駄がない。それに合わせて客席からも歓声が上がる。舞先輩の一挙手一投足に、みんなが夢中になっているのが伝わってきた。
けど、なんだろう……この感動がみるみる薄れていく感じ。舞先輩の歌は本当に上手いし、ステップも綺麗。でも、それだけなんだ。
私は去年の合唱部のことを思い出す。みんなで初めてハーモニーを合わせたときの感動――それは、確かにすごかったには違いない。でも、練習を重ねるたび、その感動はこんなふうに薄れていった。そして、もっと上手くなるために続けてはいたけれど、その先に求めているものがある気がしなくて……それと同じことを、いまの舞先輩に感じてしまう。
私はどうしてこんなところに来てしまったんだろう――スーツの女の人に誘われたから? そもそも、私が勝手についてきただけだけど。そして、そのキッカケとなったのは――
あの鍵――私はまさにパンドラの箱を開けてしまったんだ。開けなければよかった、なんて、ちょっと後悔。そうすれば、ずっとワクワクした気持ちを抱えたままでいられたのに。
なんて言うんだろう……『舞先輩が実はロックシンガー』って……誤解を恐れずに言えば、普通すぎて少し拍子抜け。だって、隠してる意味が全然わからないし。いや、まぁ、舞先輩って自分からあんまり話さないタイプだから、そういうことなだけかもしれないけど。
舞先輩の歌声、やっぱりすごい。儚さもあるけど、力強さも感じられて、生歌ならではの迫力もある。ダンスも曲とぴったり合っていて、見ているこっちが引き込まれちゃう。正直、いいもの見せてもらった。これは間違いなく、特別なステージ。けれど、私の中で、舞先輩の存在がどんどん消えていく。過去の思い出として、どこか遠くへ――
曲の構成とか詳しいことはよくわからないけど、多分いま、一番が終わったところなんだと思う。照明も、最初は真っ白だったけど、だんだん赤っぽく変わってきてるみたいだし。振り付けもずっと優雅で――でも、どこかで変化が起きている感じがする。
その『変化』は、いわゆる味変ってやつなのかもしれない。舞先輩のステージには色んな工夫が詰まってるんだ。まだ一曲の途中なのに、もう衣装替えが始まって、ふわっとしたドレスが肩から滑り落ちた。そして――バッと、力強くその衣装を頭上に放り投げる。すると、天井裏で待機していたスタッフが何か棒のようなものでひょいっと生地を引っ掛けて回収してくれた。舞台袖から鑑賞していた私だから、その息がピッタリ合っているのがよく見える。でもフロアの人たちの目には、きっと違った風に映っていたはず。まるで、舞先輩の服が空に吸い込まれていくように見えたんじゃないかな。
でも、ここで何かがおかしくなってきた。アクシデントが起きたみたい。次の衣装がすぐにでも下りてくるはずなのに……何をモタモタしてるの? インナーのままでステージが進行してるなんて、ありえないでしょ。でも、あんまりジロジロ見るのもどうかと思いつつ……結局私は、舞先輩の下着姿にすっかり見入ってしまっていた。うーん、見方によってはこれも一種の衣装替えかもね。ドレスもかっこよかったけど、これはこれでセクシーだなって思えた。だって、真っ黒い服の下に隠れてたのは真っ赤な下着だったんだよ! 黒いブーツと合わせて、なんていうか、毒々しい感じすらする。
「艶やかな胸元に、流れる汗が輝いて……白い肌に、星々の光が宿る~♪」
もう、まさにその歌詞通りって感じ。舞先輩の汗がキラキラしてて、なんだか幻想的だった。
それにしても、舞先輩は全然動揺してない。普通、下着のまま衣装が来なかったらマジで焦るはずなのに、それでも堂々と歌い続けてる。そこに私は、舞先輩のアーティストとしての信念を見た。歌うことだけにこれだけ全力集中できるなんて尋常な精神力じゃない。こうなってくると、むしろ下着じゃなくて本当に水着とか衣装の一部に見えてくる。むしろ、これが予定通りなのかもって錯覚しそう。
けれど、あとになって振り返ってみると――舞先輩のステージばかりに夢中になっていたのは我ながら油断していたかもしれない。もし、隣に立つスーツの女の人の表情に気づいていたら――さぞ楽しそうな笑みを浮かべていただろうから。
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