24話・大人と子ども

『ねえ、お姉さん。今度の土曜日、私とデートしませんか』


 ナナカの恋を終わらせ、ゴールデンウィークが明けた翌日の家庭教師の時間、アイリはそんなことを言って。


『……いいよ』


 ゆかりはそれを二つ返事で承諾した。


 ナナカは露骨に様子がおかしかったが、それでも学校に来ていて、アイリは何も言えることはなくて。


 あっという間に、土曜日がやってきた。


 ゆかりは一昔前ならまずありえないおしゃれな格好をしていて、だけどきっと、そこに深い意図はなくて。


 アイリもまた、この前の戦いと同じく、二人に買ってもらったセーラーワンピースとゆかりにプレゼントされた星の髪飾りであった。


「お姉さん、今日も可愛いですね」


「アイリちゃんも可愛いよ」


 なんて言葉もひどく空疎に感じられて。


 それでも、二人はデートへ出かけた。


 ショッピングセンターに入って、色々なお店を見ていく。


 だけど、アイリはそれを楽しむ余裕もなく、ただ義務的に見て回るだけで。


「……どうしたの、アイリちゃん? お腹痛い?」


「なんでもないです」


 言いながらも、アイリの顔色は優れなかった。


 それもそうだ。アイリの今回の目的は、自らの恋を終わらせることにあったのだから。


『……アイリちゃんは面白いよね。自分はゆかりちゃんと付き合いたいって思ってるのに、いざクラスメイトが似たような状況になってたら普通に心配するから』


『大人と子どもじゃ、力がぜんぜん違うんですよ。今みたいに上手く行ってるならまだいいですけど、もしも関係が拗れたとき、痛みを伴うのは間違いなくナナカの方です。大人は子どもよりずっと物知りだし、お金も持っているし、身体的な力も強ければ、社会的にだってずっと強い。そうなれば、強い側が弱い側をいじめることになる。支配することになる。そのキツい勾配が、傾斜が、そのままナナカへの痛みになる』


『そうだ、目の前で行われてることと、その人の過去は関係ない。……だからわたしも言っていいかな? アイリちゃんは本当に可愛いからその気になればイケると思うけど、でもそのお姉さんと付き合わないほうが良いよ。お姉さんと君が実際に対等だったとしても、世間は絶対にそう見てくれないから』


 アイリは、自らの心を削りながら、マユリとナナカの恋を終わらせた。


 その結果やってきたのは、凄まじい自己嫌悪と、ゆかりやナナカへのどうしようもない申し訳なさだった。


 本当は、こうして一緒に歩いているだけでも、自分を許すことが出来ない。


 ナナカの恋を終わらせておいて、自分は好きな人と並んで歩いている――とんだ厚顔無恥だった。


 あんな屁理屈を並べておきながら、自分は好きな人と並んで歩いている――もはや救いようのない愚かさだった。


 そうだ、自分の気持ちは間違っていると、アイリは気づいてしまったのである。


 自分のゆかりへの想いは、迷惑でしかない。


 もしも、もしもまかり間違ってこの想いが遂げられてしまったとしたら、ゆかりは皆に糾弾されるに違いなかった。


 そんなのは嫌だった。


 傍目には、自分とゆかりも、ナナカとマユリも変わらない。


 悪い大人が、無知な子どもを搾取している――そんなふうに思われるのは、絶対に嫌だった。


 だからアイリは、このデートを最後にして、この恋を終わらせる――そのつもりだった。


 かくして、ショッピングセンターでのデートは、粛々と行われる。


 これが本当に最後でいいのかというくらいに、それはお通夜めいていて。


 だけど、ナナカの気持ちを思えば、はしゃげるわけもなくて。


 気がつけば、ショッピングセンターの外に出て、電車を乗り継いで、自宅近くの公園を通りかかっていた。


「……あ、ここ、昔良く遊んだ公園だね」


 ゆかりが公園を指差して言う。


「……そうですね」


 すでに日が沈み始めてるからか、土曜だと言うのに人はほとんどいなかった。


「ちょっと寄っていこうか」


 ゆかりが言うから、アイリもその背を追う。


 昔良く遊んだ公園――そうだ、アイリはこの街に両親の離婚をきっかけに小学2年生のときにやってきた。


 そして、母の友人であるという女性と、その一人娘であるゆかりに出会った。


 高校2年生の彼女は、今よりよっぽど口数が少なくて、だけどアイリの母が一人で働く手前、一緒になることが多かった。


 そして幼いアイリとゆかりはこの公園で良く遊んだのである。


『おねーさん同世代のともだち全然いないでしょ』


『は? いるけど?』


『いるならなんでいっつも私と遊んでるの』


『それはお母さんが言うから仕方なく……』


『じゃあなんでそんなにプニキュアに詳しいの。クラスの子が言ってたよ。高校生は普通見ないって』


『……そ、それは』


 夕焼けに染まった遊具はあの頃と何も変わらないはずなのに、自分が成長したせいかとても小さく見えて、まるで別の空間のようだった。


「お姉さん、4年経ってもプニキュア全然卒業してませんね」


 あの頃のことを思い出して、アイリは言う。アイリはとっくに卒業したが、ゆかりは全然現役だった。


「いいじゃん別に。ユイちゃんも見てるって言ってたし。大人はそういうの気にせずに見るんだよ。今年のやつは面白いよ、百合だしね」


「……なるほど」


 プニキュアのキャラは基本中学生で、ユイの好みからは外れそうだが――くだらないことを考える。


「アイリちゃんもどうせまた見始めるよ。わー懐かしいーって。この公園みたいにさ」


「……それもそうかもですね」


 言いながらブランコに腰掛けて、ゆかりも隣に腰掛けた。


「あの頃のアイリちゃんはすんごいトゲトゲしてたよね。可愛かった」


「今も可愛いでしょう?」


 なんてふざけてみて。


「……うん、今もアイリちゃんは可愛いよ」


 しみじみ言われてしまうものだから、顔が熱くなるのを感じた。


「わたしはあの頃本当に友達が一人もいなかったから、アイリちゃんに救われてたんだ」


「クソガキだったのに」


 まあそれは今も変わらないけれど――アイリは自虐的にそう思う。


「確かに生意気な子どもだったけど、それでも救われたんだよ。何より、アニメの話が出来たしね」


「そこですか」


「あの頃のわたしは痛々しかったかもだけど、でも充実してたと思う。……まあ今とあんま変わらないけれどね。同世代の友達が一人出来ただけで、後はほとんど変わってない」


「……私もお姉さんに救われました。親の離婚とか色々あって、大人は汚いってあの頃の私は思ってたんです。大人になんて絶対なりたくないって。だけど、お姉さんみたいな子どもみたいな大人のおかげで、大人もそう悪くないかもって思えました」


「それ、褒めてる?」


「褒めてますよ。お姉さんは大人にならないところが素敵です」


 嘘だ。ゆかりは少しずつかもしれないが、確かに大人になっていっている。恋を知り、おしゃれを知り、お酒の飲める年齢になった。


 間違いなく、アイリとゆかりの距離は昔よりも離れていっている。


 アイリは今しばらく子どもでいるだろうが、すでにゆかりはほとんど大人だった。


 あと2年もしないうちに、ゆかりは大学を卒業して、どこか遠くへ行ってしまう――少し前までは想像もできなかったはずのそれが、にわかにリアリティを帯びて来て。


(……だから私は、急いでいたんだろうな)


 だけど、急いだ結果がこれである。


 急いで自分も大人になろうとして、挙げ句、自分のやろうとしてることがいかに子どもじみているか気づいてしまう。


 ……ひどく愚かしかった。


「そういえば、ユイさんとはどうなってるんですか」


 アイリはやっと、自分の愚かしさに始末を付けるために口を開く。


 アイリは決めていた。


 ゆかりとユイの関係を応援しようと。もちろん、ユイはゆかりに興味などないと分かっている。ユイは救いようのないロリコンで、ゆかりなど興味の外にいる。


 だけど、それでも応援するのだ。そして恋が破れて、きっとまた、ユイと似たタイプの背が高くて美形の、それこそアイリとは真逆の相手に恋をする。


 それでいいと、思った。


 少なくともアイリは、今ゆかりを射止めることを、完全に諦めていた。


 自分にはその資格がない。自分にはその能力がない。……自分にはなにもない。


 億が一にでも結ばれてしまったとしても、ゆかりに迷惑をかけることしかできない。


 だからアイリは、身を引くことを決めた。


 思えば、ユイを見てゆかりもロリコンになるかもしれないなんてはしゃいでいたのは、あまりにも浅慮な願いだった。


 ユイも、マユリも、つらそうだった。


 自分の気持ちが、自分の想いが、自分の好きが世間から糾弾されるなんて、苦しいに決まっている。


 だから彼女たちは道化の仮面を被って、その嵐を必死でやり過ごしているのだろう。


 なのに、そうやって自分が覚悟をせっかく決めたというのに、


「……それなんだけどね、こないだの飲み会で、振られちゃったんだ」


 ゆかりは、寂しそうな横顔で、そんなことを言った。


「ユイさんに、ですか?」


「……うん」


 あの馬鹿――なんで、このタイミングでそんなことをするんだ。


(……そんなこと言われたら、諦められないじゃん)


 恋に一番有利なのは、好きな相手が失恋したときに違いなくて。


 だけど、アイリは動くことができなくて。


 だからって、何を言うこともできなくて。


「――アイリちゃん、ごめんっ!」


 そんなアイリの唇に、ゆかりの唇が触れた。


「――ッ!?」


 あまりにも唐突な展開に、アイリはついて行くことが出来なかった。

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