21話・二人が真剣でも、二人が幸せでも、二人の愛が本当でも
『……もうちょっと詳しく、話を聞かせてくれない? これからの参考にしたいから』
『えー、恥ずかしいなあ』
『そこをなんとか! この通り!』
『……そこまで言うなら、教えてあげるよ。アイリちゃんだってそりゃ気になるもんね。――さんのこともあるし。……え、馴れ初めから? まったく、しょうがないなあ。うんうん、気になるもんね』
『アイリちゃんも知ってのとおり、私はちょっと前まで引きこもってた。梶原太一に手ひどく裏切られて、もう何も信じられなくて不登校してた。……そんな顔しなくていいよ、もう過ぎたことだからさ』
『それで、誰のことも拒否してたときに、マユリさんが訪ねてきたんだ。当然、あの頃の私にとってマユリさんは汚い嘘つきの大人の一人で、門前払いする以外なかったんだけど、でも先生は無理やり私の部屋の前に来たの。……ちょうど、引きこもり生活1日目のことだったかな』
『前日も断ったから、なんてしつこいやつなんだろうと思って、ドア越しになんか言ってるマユリさんを徹底的に無視したんだ。……でも、最後の一言で、ちょっと、いやかなり、クラっときちゃった』
『「駅前のケーキ屋さんのガトーショコラ買ってきたから、よかったら食べてね。……ナナカちゃんが何が好きか分からないから、私の好きなやつを選んできたんだけど」って。アイリちゃんも知ってのとおり、私はあの店のガトーショコラケーキが大好きなんだよね。で、マユリさんも同じなんだって思うと、それだけで今まで最底辺にあったマユリさんの好感度がちょっとだけ上がってね。でもそれ以上何を言うわけでもなく、その日マユリさんは帰ったんだ』
『……で、下に降りてみたらガトーショコラがあって、食べたの。ずっと食欲がなくて何も食べてなかったから、泣けるくらい美味しかった。……アイリちゃんも買ってきてくれたよね。ありがと。あのときは本当にごめんね』
『次の日も、その次の日も、さらにその次の日も、マユリさんは来て、やっぱりドア越しに一方的に話をするの。すごいよね、土日もだよ? でも、そこには私を慰めようとかそういう優しい言葉はなくて、ただ本当になんでもないような雑談だけを一方的にしてくれてね。……それが、心地よかったんだ。アイリちゃんはさ、ただそこにいるだけで失恋を思い出しちゃうから、それで上がってもらうの止めてたんだけど、……マユリさんは、その無関係さがすごく心地よかったんだ』
『……うん、わかってる。アイリちゃんは悪くないよ。とにかく、あの頃の私には、マユリさんの無関係さが一番良くて、それでマユリさんが訪ねてくるようになってから4日めの日曜日に、私は言ったんだ。……「ガトーショコラ、ありがとうございました。美味しかったです」って』
『うん、それがはじめてドア越しに私がマユリさんに言ったことだった。それで、「マユリさんもこれ好きなんですか」って言ったら、そこから初めてちゃんとした会話が始まったの。なんてことのない会話だったけど、ずっと誰とも話してなかったから、ただそれだけなのに、ポロポロ涙が出てきてね』
『そこから私たちはドア越しに話すようになったの。他愛ない雑談。マユリさんが面白い冗談を言って、私が笑うだけの、それだけの時間。でもそれが良かったんだ。マユリさんは学校に行けとも、立ち直れとも言わなくてね。……それで、その日の金曜日に私は自分から勇気を出して、訊ねたんだ』
『「先生はどうなりましたか」って。……マユリさんは正直に、「あの性犯罪者なら逮捕されたよ」って、そう言ったの。涙が出てきてね、なんでそんなひどいこと言うんですかって、子どもみたいにわんわん泣いてね。そしたら、マユリさんがドアを開け放って、泣いてる私を、何も言わずに抱きしめてくれて』
『……それでしばらく、私はマユリさんの胸の中で泣きじゃくったんだ。柔らかい感触と甘い匂いに包まれながら、私はとにかく、泣いたの。それでね、私が泣き止んだら、言ったの。「梶原先生の代わりに、わたしがなるから」って」
『「あんなやつの代わりなんて、いらないです」って、私が言ったら、マユリさんはそれもそうだって笑って、私のことをひときわ強く抱きしめて、「あんなやつより、もっと深い関係になろう」って耳元で囁いたの。……直感的に、私はその意味に気づいてね、でもそんなことしたら、塾クビになっちゃうんじゃないですかって言うとね、マユリさんは笑いながら言ったの。「そんなに心臓バクバクさせながら言うことじゃないよ」って』
『……うん、私の心臓は、これまでにないくらいバクバクしてたの。今にも爆発しそうなくらい、バクバクしてた。梶原太一に笑いかけられたときなんて比じゃないくらい、バクバクしてた。それで、私はマユリさんの手を握って、こう返したんだ。「……なっちゃいましょう、あんなやつより、よっぽど深い関係に」って。……ねえ、いま顔真っ赤になってるよね、私?』
『やっぱ恥ずかしいね、こういうの人に語るのって。……それで、マユリさんは私に言ったの。「ナナカちゃんが好き」って。そしたら、私も返すしかないよね。「私も、マユリさんが好きです」って。……あー、やっぱこれ恥ずかしい。なんで私こんなに詳細に語ってるんだろ。アイリちゃんも――さんと付き合ったらこれくらい教えてよね?』
『……とにかく、これで私たちの交際はスタートして、私は学校にも行くようになったんだ。塾にも行くようになったんだけどね、あんな事があったから当然塾生も激減しちゃってね、ほとんど私と、もっと低学年の子の数人しかいなくなっちゃったんだよね。私の塾は自習型で、わからないことがあったら教卓の先生のもとに教材もって行くんだけど、それでマユリさんのところへ行って、周りのみんなが集中してるのを確認したらね、……そこでほっぺたにチューしちゃったの』
『……顔真っ赤にしちゃってね、本当に可愛かったな。私よりずっと年上のお姉さんが、こんなに可愛く照れちゃうなんて。それで思ったの、やっぱり私はマユリさんが好きだって。世間の人たちは後ろ指を指すかもしれないけど、でもやっぱり好きだって思ったの。私にはマユリさんしかいないって、改めて思ったんだ』
『でもマユリさんは顔を真っ赤にしながら、このあと覚えとくようにって言ってね、ちょっとやり過ぎたかなってビビりながら塾の勉強を真面目に進めたの。それで、塾終わりにマユリさん、なんて言ったと思う? ……マユリさんは、「罰として土曜日に先生とデートしなさい」なんていたずらっぽく笑ってね、やっぱ勝てないなって思ったよ』
『それで、二人でデートに出かけたんだ。服を見たり映画を見たりゲームセンターで遊んだり、すごく楽しかった。きっと周りの人たちは私達のことを仲のいい年の離れた姉妹とかだと思ってたと思うんだけど、でも本当は恋人同士で、そのことがなんだか無性にうれしかったの。……でも、ひとつだけ気になることがあってね』
『なんでもない雑談の中で、マユリさんが言ったの。「わたしの初恋相手は小学校の女の先生だった」って。当然、そんなこと言われたらいい気持ちはしないよね。「単なるあこがれみたいなものだし気にしなくて大丈夫」なんて笑うけど、やっぱり気になってね。それでしばらく膨れてたら、マユリさんがカラオケに入らないかって言い出して、私は特に反対する理由もなくて一緒にカラオケに入ったんだ』
『入ってから今更気づいたんだ、これ二人きりの密室だって。そうやって私がドキドキしてる中でもマユリさんはマイペースに歌を歌って、私もそれに乗せられて色々歌ったんだ。それでしばらく歌って小休憩ってときに、マユリさんがこっちに手招きしてね、私が無防備に近づいてったら――』
『――そこで、キスされちゃったんだ。うん、抱きしめられて、口と口で、唇と唇で。マユリさんの柔らかい唇が、私の唇とくっついてるの。当然びっくりするけど、でもそこで私の脳裏によぎったのは、さっきのマユリさんの初恋の話だったんだ。それを思い出した私はね、キスを積極的に受け入れて、マユリさんを抱きしめ返したの。だって、あこがれでこんなこと、出来ないでしょ? 私はちゃんとマユリさんのことが好きなんだ――ってキスをしてね……あー、自分で言ってて恥ずかしくなってきた』
『……しかも、それだけじゃ終わらなかったんだよ。……ええっと、これも言わなきゃだよね? そんな興味津々な顔されたらしょうがないよね? ……うん、マユリさんはそのまま唇の中に舌を入れてきてね――ああ、これ漫画で見たやつだって、私も舌を出したの。それで、お互いの舌と舌をくっつけてね、マユリさんの舌ってすごく長くてね、なんとも言えない味でね、なんだかくすぐったくてね……うん、すんごく大人なやつだった。すんごくドキドキした。こんなの、あこがれで出来るわけがないって、クラスのみんなより早く大人になれた気がして、すごくうれしかった』
『それで、お姉さんはキスが終わったあと、いたずらっぽい笑顔で言ったんだ。「こないだのほっぺたちゅーのお返しだよ」って。……やっぱり大人って、すごいよね』
『……あ、これは当然だけど秘密だからね? マユリさんからも絶対誰にも言うなって言われててさ、私もアイリちゃんが相手じゃなかったらこんなこと絶対言わなかったからね――』
アイリはナナカの話を、約束通り秘密にするつもりだった。……少なくとも、今は。
「……それで、この話を聴いて、どう思いました、マユリさん?」
それは、かつてアイリがマユリにパフェを奢られた喫茶店の、窓際の席で。
「……わたしにどうしてもらいたいのかな、アイリちゃん?」
マユリはこわばった笑顔のままワイヤレスイヤホンを片耳につけて、アイリと対峙していて。
「簡単な話です。これを警察に提出されたくなかったら、ナナカと今すぐ別れてください、性犯罪者野郎」
アイリは、不敵な笑みを浮かべ、マユリにそう言った。
二人が真剣でも、二人が幸せでも、二人の愛が本当でも――アイリは、それを許すつもりは毛頭なかった。
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