19話・これは私のクラスメイトのお姉さんの話なんですが
「これは私のクラスメイトのお姉さんの話なんですが――」
アイリは、未だに混乱していた。
『――私、マユリさんとお付き合いしてるんだ』
そんなこと言われたら、混乱するに決まっているだろう。
だって、12歳と25歳だ。普通、あり得ないだろう。
だけど、他ならぬアイリが、よりにもよってアイリが、ナナカに何か言えるわけもなくて。
「そのお姉さんは中学二年生で、大学生と交際してるらしいんです」
挙げ句、微妙にズレた例え話を、ゆかりに披露していた。いつもの、家庭教師の時間のことだった。アイリは課題を開きながらも、後ろのゆかりに話しかけている。
「へえ」
「……お姉さんは、どう思いますか?」
どういう意見を自分は求めているのだろうか。そもそも、12歳と25歳の交際の是非を知るために、14歳と20歳前後の人間の話を持ってくるのは不適当と言えるだろう。
それでも訊いているのは、自分ひとりで抱えるにはあまりに重たいことだったからで。
「……まあ、あんまり良くないとは思う」
しばらく考え込んだ末に、ゆかりは言った。
「少なくとも、その大学生はきっとろくなやつじゃないと思うな。だって大学生から見たら中学生なんて、ほんの子どもだし」
だったら、小学生なんてなおのことだろう。
「いるけどね、そういう子。周りの男子が子どもに見えるから、大人と付き合ってるとかいう子」
「お姉さんはちょうどその年頃は中二病真っ盛りだったのに、そういう子が見えてたんですか?」
「……あのねえ。……いや、ごめん、直接見たわけじゃなくて、ネットで読んだだけ。あの頃のわたしに、周りに目を配る余裕はなかったよ、うん」
「なんかすいません」
「でまあ、これもやっぱりネットの意見なんだけど、でもわたしも同意できたから言うけど、中学生に手を出す大学生が大人なわけないんだよね」
「そりゃ、そうですけど」
「……でも、だからって、一概に頭ごなしに否定するのもなあって考えてた。いろんな形があるじゃん、恋って」
「一端に恋を語りますか」
なんて言いながらも、少し安心している自分がいて。
ここで全否定を食らったら一番ダメージを負うのは自分で、だからこそおそらく全否定が返ってくると推定される『小学生と大学(院)生の恋愛』ではなく、もう少し現実味のある例え話をしたのだろう。
我ながら、馬鹿みたいだった。
何の意味もない会話だった。
「だってさあ、本当に好き合ってたら何も言えなくない? この場合、どっちから好きですって言ったのかも問題かも。大学生から言ってきたなら普通に捕まったほうが良いと思う、流石に」
「でもそれ言ったら中学生に告白されたら断るのが大人ってもんじゃないんですか」
「まあ、それはそうだけど。……う~ん」
本気で悩み始めてしまった。
こういう子どもの馬鹿みたいな質問に真剣になってくれるのも、彼女の美点だと思う。
「……そういうお姉さんは、いまユイさんとどうなってるんですか?」
煮詰まってしまいそうだったので、話を変える。
「……それが、全然」
予想通りの答えが帰ってくる。当たり前だ、帆山ユイはロリコンで自分の魅力にメロメロなのだから、ゆかり相手に何があるというわけでもないのである。
「そうなんですか」
「でも、でもね」
なのに声が急に上がり調子になって、アイリは嫌な予感を覚えて。
「今度、一緒にお酒飲みに行くことになったんだ」
バキリと、手元の鉛筆の芯が折れた。
「まあサシ飲みじゃなくてゼミの飲み会なんだけどね。……でも、もしかしたらここで進展があるかも」
「飲み会って、あのウェーイってやつですか? お姉さんが?」
「どこで覚えたのそんな言葉……」
「お姉さんはそういうの断固拒否する人だと思ってました」
「いやね、今までは断ってたんだけど、ユイちゃんからせっかく20歳になったんだし1回くらい来てみないかって言われてね」
「でもお姉さんお酒飲まないって言ってませんでしたか。あのとき私のこと抱きしめて――」
「わーっ、わーっ! あれは忘れてっていったじゃん! そうじゃなくてさ、飲む予定はないけど、ユイちゃんから誘われたからだよ! もしかしたらお酒に酔ったユイちゃんをわたしが介抱して……きゃー!」
「うざ」
「本音が出てる!」
「まあ別にいいですけど、お姉さんが飲み会行こうと行くまいと。私には関係ないですから。でも、飲み過ぎには注意してくださいね。……あとユイさんにも飲ませないほうが良いですよ」
ロリコンがバレるから。
「とにかくね、ゼミの人は相変わらず怖いけど、ユイちゃんと一緒なら大丈夫かなってそう思うんだよ」
「……お姉さん、変わりましたね。ちょっと前までは絵に描いたような陰キャだったのに」
自分としてはそっちのほうが好都合だったのに――とは言えなかった。
「まあね、恋は人を成長させるってやつかな。……って誰が陰キャだ!」
「そのノリツッコミも成長の証ですか」
「……ごめん、さっきのは忘れて」
ゆかりは顔を赤くして、目を逸らしながら言った。
そんなふうにバカバカしい会話をしてるだけでアイリの胸は軽くなって。
(……まあ、何も解決してないんだけど)
そうだ、友人が犯罪の域に達した年の差恋愛に巻き込まれているかもしれないのに、何も出来ずにいる。
そもそも、何かをするべきかすらも考えあぐねている。
(……そうだ、餅は餅屋だ)
アイリは次なる策を思いついた。
※
「何、クラスメイトで大学生と付き合ってる子がいる? ……何だそれは、うらやま……けしからんね」
次に相談した相手は、ユイだった。
「そういうと思いました」
「いきなり相談したいことがあるって言われたからドキドキしてたけど、なんともはや、最近のガキは進んでるねえ」
「なんでドキドキしてたんですか」
「そこはスルーしてほしいな」
ゆかりの相談した翌日、二人はドーナツショップの客席で向かい合い、軽口をたたき合っていた。コーヒカップ片手に長い足を組んで椅子に座る姿は、発言内容とは裏腹に絵になっている。
「ええ、相手は20歳の大学生で、クラスメイトは自慢げに付き合ってることを私に教えてくれました」
事実はもう少し歪なのだが、それでもナナカのプライバシーを尊重してぼかす。
「まあ、本当なら通報待ったなしだね」
「……ですよね」
「純愛だの何だのといくら当人が言おうと、子どもに手を出すようなやつはクズだからね。相手から告白されたとしても断るのが大人ってもんさ」
ユイの言葉は、どこまでも正論だった。あるいは、自分に言い聞かせてるのかもしれないが。
「……なんだけどまあ、すぐに通報するのもなあ」
そこで、ユイは言葉を濁した。
「だってさあ、11歳とか12歳なわけでしょ? クラスメイトってことは。ってことは、付き合ってると思ってるのはその子だけで、その大学生は近所の子と普通に遊んでるだけだと思ってるかもしれないわけだよ」
そうだ、それもまた、懸案事項もひとつだった。
「ですよね。私も、その子がどれだけ真面目に言ってるのか良く分かんなくて」
ただ、今日も今日とてナナカの機嫌が馬鹿みたいにいいのは事実だった。
「まあ、心配ではあるよね。だったら警察じゃなくて親なり先生なりに相談するのが良いと思うけど」
ロリコンのくせにどこまでも真っ当である。
「それはまあ、そうなんですけど」
それは、出来ればやりたくなかった。親も、教師も、ましてや警察なんて論外だ。
初恋の相手が警察のお世話になって、次もまたそうなってしまったら、今度こそナナカは再起不能になってしまうかもしれない。
「にしても、もしそれが本当だったなら、実にけしからんやつだよ。最悪だ、人として終わってるね」
「ユイさんが言うと説得力があるんだかないんだか」
「ありまくりだよ。昔の偉い人が言ったとおり、私はイエスロリータ、ノータッチを実践してるんだよ」
「はあ」
「何その気のない返事。いい、私はね、ロリコンの前に人としてね――」
「――例えば、ナナカがユイさんにガチ告白してきたら、どうしますか」
「は?」
ぽかんとした顔になる。
「なんでナナカちゃんがここで出るんだよ。だいたい、ナナカちゃんには他に好きな人が――あ」
「……知ってるんですか、ユイさんも」
「近隣のニュースは普通にフィードされてくるからね。塾講師って書いてあってまさかと思ったらドンピシャでびっくりしたよ。……ナナカちゃん、大丈夫?」
「……まあ、何とか落ち着いたとは思います」
落ち着いたが、しかしもっと面倒なことになっているのだ。むしろ前より元気なくらいだが、だからこそ恐ろしいのである。
「それは良かった。……ナナカちゃんは可愛いけど、それでも血涙流しながら振るのが大人ってもんだろ。さっきも言ったけどね」
「……まあ、ですよね」
問題はやはり、それがナナカが勝手に言ってることなのか、それとも本当のことなのかに集約された。
(……でも、本人に聞いてもなあ)
ナナカに訊ねたところで、どうにもならないだろう。
「……ところで、20歳と小学6年生ってまんま私とお姉さんなんですか、もし私たちが本当に付き合ってたらどうします?」
アイリは閑話休題的に思いつきをそのまま口に出して、
「……困るなあ」
長い沈黙の末に、ユイはそう漏らした。
「……困りますか」
「……アイリちゃんは面白いよね。自分はゆかりちゃんと付き合いたいって思ってるのに、いざクラスメイトが似たような状況になってたら普通に心配するから」
「……悪いですか」
「悪くないよ、全然。こうやって大人に相談するのは全然悪いことじゃない。……ただ、面白いなあって」
「……馬鹿にしてますよね?」
「してないって」
アイリはすっかり膨れてしまって、
「ごめんて、アイリちゃん――」
「コーヒーは奢ります。それじゃあ」
小銭を置いて、そのままドーナツショップをあとにした。
※
その日の翌日の昼休みのことである。
ナナカが頬を染めながら、アイリの耳元で、こう囁いたのは。
「……あのね、マユリさんと、キスしちゃった」
もう何もかも、面倒だった。
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