18話・おねロリが本当にやってくる
翌日、案の定ナナカは登校してこなかった。
だからアイリは放課後、ナナカの家を訪問した。手土産として駅前のケーキ屋で買ったガトーショコラケーキを持ってきて。アイリは味が濃厚すぎてあんまり好きじゃないが、ナナカの大好物なのだ。
「ごめんねえ、ナナカは会いたくないって」
しかし、やはりこれも案の定断られた。申し訳無さそうな顔をしているナナカの母に、ガトーショコラの入った箱を手渡した。
「あら、ありがとうね。高かったでしょ?」
「いえいえ、ナナカさんが少しでも元気になればそれでいいんです」
「神田さんもくださったし、あの子は本当に想われてるのねえ」
「……そうなんですか」
先を越されたと、少しだけ思った。でも、そのときはそう思っただけだった。
そんなことが、三日も続いた。土日を挟んで三日間である。……彼女が三日も休むことなんて、記憶にあるかぎり、初めてのことであった。
「……あの、せめてドア越しに話すとかは出来ないんですか?」
ケーキはアイリのお小遣いでは初日しか買えず、ただプリントを持ってくることしか出来なかったが、それでも心配なことには変わりなく、アイリはそう問うていた。
「ちょっと聞いてくるね」
そう言って彼女は、ドタドタと階段を上がっていって、すぐに戻ってきた。申し訳無さそうな顔をしながら。
「……ごめんなさいね、ダメだって」
「そうですか」
そんなにも、辛いのだろうか。やはり、初恋の相手があんなことをする人間だったことを受け入れるにはもっと時間が――
「……神田さんとは話せるのにねえ」
そんな思考は、何気ないナナカの母の呟きで、かき消された。
しまったという顔をする彼女に、アイリは謝りながらも階段を登っていた。
「――ナナカ」
そして、ナナカの部屋の前で、ドアをノックしていた。
何も返事は帰ってこないが、気にせずドア越しに続けた。
「……私、すごく心配してるんだ。ナナカが学校に来ないと、寂しいんだ」
やはり返事は帰ってこない。
「辛いことがあったのはわかってる。でも、一言だけ、一言だけでもいいから、声を聞かせてほしいの」
返事は来ない。
「……ねえ、なんで私じゃダメなのかな」
がさりと、ドアの向こうで物音がするのを感じた。
「おばさんから聞いたよ。マユリさんとは、ちゃんと話してるんだって。じゃあ、なんで私はダメなの」
ナナカが舌打ちするのが、確かに聞こえた。
「ねえ、私、何かしたかな。私だってナナカのこと心配してるのに、なんで――」
「――アイリちゃんは、何も悪くないよ」
やっと、ナナカの声が聞こえた。彼女の声を聞くのは、一体いつぶりだろうか。ひどく懐かしい感じがした。
「じゃあ、なんで」
「でも、アイリちゃんとは話したくないの」
「意味わかんない」
「……そういうところは、気に食わない」
「だから意味わかんないって」
アイリが言うと、しばしの沈黙を挟んで、ナナカがドア越しに言った。
「……だって、アイリちゃんは、失恋してないじゃん」
「は?」
「……失恋したっていいよ。でも、あんな形の失恋、最悪じゃん。なんで私、あんな最低な男好きになっちゃったんだろう。彼女がいたとか、そんな理由だったら良かったのに」
今にも泣き出しそうな声で、ナナカは言う。
「初めて本気で好きになった人が、痴漢と盗撮で捕まるって、アイリちゃんにはそんな気持ち、絶対わからないじゃん。……だってゆかりさんは、すごくいい人だもん」
「……それは」
「……私ね、言ったことないけど、昔、一回だけ痴漢にあったことがあるの。今年の春頃に、一回だけね」
「……言わなくていいよ」
「……怖かった、嫌だった、気持ち悪かった、もう電車には一人で乗らないことにした――あいつがそれをやったって知って、最初は嘘だと思ったけど、でも、家にまで警察が来てね――」
「――言わなくていい!」
震えるナナカの声に、気がつけばアイリは叫んでいた。
「言わなくていいから。そんな辛いこと、言わなくていい」
「……アイリちゃんは、優しいね。でも、優しくても、それでも、嫌なんだ、だって、ムカつくから。アイリちゃんが好きになった人はすごくまともで、なのに私が好きになったのはあんなクズで」
「……ごめん」
「アイリちゃんは何も悪くないよ。でも、ダメなの。アイリちゃんの恋が続いてることが、許せないの」
「……ごめん」
「謝らないで、余計惨めになるから」
「……わかったよ、じゃあ、もう来ない」
アイリは、気がつけばそんなことを言っていた。
「……ごめん」
だけど、それだけで終わりじゃない。アイリは続ける。自分の柔らかい部分を、ナナカが晒したように、無防備に晒していく。
「その代わり、絶対戻ってきて。ナナカがいない学校はすごくつまらないから。だから、そんなやつのこと忘れて、戻ってきて」
「……うん、いつになるかわかんないけど、戻ってくるよ」
「私も、謝らないといけないことがあるの。……ぶっちゃけ、叶わない恋だと思ってた。その、あのクズと、ナナカの恋は。内心、叶わない恋で浮かれてるナナカを小馬鹿にしてた」
「……ひどいね。でも、気づいてたよ。でも、楽しかったし、見返してやるって思ってた」
少しだけ笑いながら、ナナカは言って。
「……そっか」
アイリも笑って、こう告げた。
「じゃあ、またね」
そう言うと、アイリはナナカの家をあとにした。
アイリはナナカが休んでいるあいだ毎日、プリントを持っていって、ノートのコピーを渡した。ノートなんて自分が読めればいいかと普段は適当に書いていたが、とても真面目にとるようになった。
そうして土日を挟んで、月曜日。ついにナナカは学校に来た。
「おはよう、アイリちゃん!」
ナナカは、笑顔でアイリに挨拶して。それはいつもの笑顔と、何ら変わらなくて。
変わったことはひとつだけ――髪型がポニーテイルからツインテールになっていたことくらいであった。
ポニーテイルはやめるとは思っていた。元々、あのクズがスマホを待ち受けをポニーテイルのアイドルにしていたから彼女もそうしただけなのだから。
「それ、似合ってるね」
ナナカの子どもらしい活発さに、そのツインテールはとても似合っていた。
「えへへ、でしょ~」
にへらと、ナナカが笑う。
「マユリさんも褒めてくれたんだ~」
「……そうなんだ」
名前で呼ぶほど、仲が深まったのかと思う。実のところ、会わないと決めてからはマユリのサポートを心のなかで当てにしていた。
「いやでも本当に似合ってるね。可愛い。私もツインテールにしようかな」
「無敵ツインテールズだ!」
そんな与太話をする。まるで不登校の期間なんてなかったみたいに。
その日、本当にアイリはナナカと一緒にずっとツインテールで過ごし、ナナカは二週間休んでたとは思えないくらい積極的に授業で手を挙げていて、体育の授業のときもドッジボールで当てまくっていた。
本当に良かったと、アイリは思う。
おそらく完全に立ち直ったわけではないのだろうが、それでもこうして学校に来て普通に過ごしている――それはとても、奇跡的なことに思えた。
(一体、どんな魔法をマユリさんは使ったんだろう)
初詣のときの塩対応を思い出せば、これは文字通りの奇跡ではないのか。
そうして、あっという間に一日は過ぎて、放課後、帰り道のことである。
「ねえナナカ。今日どうだった?」
「楽しかったよ! 勉強もアイリちゃんのお陰でついてけたし! やっぱり引きこもってるより学校のほうが楽しいや! アイリちゃんもいるしね!」
笑顔で言う。本当に、どんな魔法をマユリは使ったのだろう。
「もしかして、マユリさんと何かあった?」
その時、アイリはナナカにつられて浮かれていた。親友が楽しそうにしてるのだ、自分も楽しくなるのは当たり前だった。
だから、そんなことを軽々しく聞いてしまったのだ。
今思えば、なんでそんなこと聞いてしまったのか、本気で後悔せざるを得ないのだけれど。
だけどそれでも、アイリは聞いてしまったし、過去を変えることは出来なくて。
そうしてナナカは、とても大切な、だけどひどく脆い宝物を披露するみたいにして、アイリの耳元で静かに囁いた。
「……他のみんなには秘密だよ?」
そんな前置きとともに続いた言葉は、アイリの想像の斜め上のことで。
「――私、マユリさんとお付き合いしてるんだ」
「……は?」
ただただ、間抜けな声が出た。
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