17話・みんなは仲良しのお友達の初恋の人が痴漢と盗撮の容疑で捕まったらどうする?

『――今回電車内で女子中学生の下半身を触ったなどの疑いで逮捕されたのは、同市の学習塾に勤務している梶原太一容疑者で、男は罪状について概ね認めており、さらに男のスマートフォンからは盗撮されたと思しき女性の下半身等の画像が大量に発見されており――』


 もし初恋の相手が、痴漢と盗撮の容疑で捕まったら、どうなるだろう。


 ――お姉さんはそんなことしない。


 わかっているが、そうではない。


 アイリはいくら考えても結論に達することが出来ず、ただいつものように登校して、いつもの教室へやってきた。


「……うわ」


 ナナカは、いた。ただし、いつもの元気さはなくなり、ただただ、机に突っ伏していた。


「……」


 どう声をかければいいのか、全然わからなかった。


 下手に声をかけて、それでどうなるのか。


 それでもアイリは、何とか一歩を踏み出して、ナナカに挨拶した。……挨拶は帰ってこなかった。


「……どうしよ」


 自分の机に戻って、呟く。……どうしようもこうしようもなかった。


 友人の初恋相手が痴漢と盗撮で捕まったときどうすればいいのか。そんなことは女子小学生のアイリはおろか、大人だってわからないだろう。


『アイリちゃん、先生がね、先生がね――』


 ナナカの梶原への懐きぶりはすごいものがあった。こないだの初詣だって会えるかもわからないのに毎年来ているという言葉だけで振り袖でやってきていたし、いつもぴょんぴょん揺れているポニーテイルだって梶原のスマホのホーム画面が同じ髪型のアイドルだったからだった。


(……まあ、捕まってくれたのは安心だけど)


 別レイヤーで考えると、そうも思えた。中学生相手に痴漢をするような人間がナナカの近くにいてはほしくなかった。……しかし一方で、他の懸念もある。


(盗撮、かぁ)


『でも春休みは合宿したよ! 同じ屋根の下で寝たってわけ!』


 おそらく、ナナカも被害にあっているだろう。想像しただけで気持ち悪いが、実際に被害にあっているかもしれないナナカはもっと辛いだろう。もしかしたら、ネットにアップされてたり――


(……本当にどうしよう)


 普通に考えれば、励ますべきだった。辛かったねと言ってあげるべきだった。ただ塾の講師が痴漢で盗撮魔だったならそれで良かったかもしれないが、今回は場合が場合である。


 そうして頭を抱えてるあいだにもホームルームが始まった。そのまま授業が始まり、一応はノートを取ってる様子に安心し、次の休み時間、アイリがトイレで離席しているあいだに、事態は動いた。


「あの、先生。ナナカさんは?」


 ナナカは机から姿を消していて、そのまま次の授業が始まってしまった。アイリは授業の後に、担任に問うた。


「ああ、早退しました。体調が悪いと言われまして、親御さんにお迎えに来てもらうことに――」


「じゃあまだ保健室にいる可能性もありますよねっ」


 答えを聞くより早く、アイリは廊下を駆けて保健室へ向かったが、そこはもぬけの殻だった。


「……あの、ナナカは」


 肩で息をしながら、保健医に問う。

 

「さっき親御さんが迎えに来て、帰りましたよ」


「それっていつぐらい前のことですか!?」


 言いながらも、やはり答えを聞くよりも早く、保健室をあとにしていた。そのまま下駄箱を見たが、そこにはナナカの上履きがぽつんとあるだけで。


「……30分くらい前のことですよ、小日向さん」


「あの、ナナカの様子は、どうでしたか」


 ついてきた保健医に、アイリは問うた。


「熱はないようでしたが、とにかく表情が沈んでいて、……目元が腫れてました」


「……そうですか」


 そこで、次の授業を告げるチャイムが鳴った。


「すいません、私も体調悪いので保健室で休んでいいですか」


 やはり答えは聞いていなかった。


 保健室のベッド――先ほどまでナナカがいたせいか、ほんのり温かい――の中で、アイリはスマホをいじっていた。


 調べるのは、今朝見た事件。詳細に調べても、やはり見間違いということはなくて、間違いなく梶原太一(27)は痴漢と盗撮の容疑で逮捕されていた。顔写真はこないだ初詣で見た顔と間違いなく同一人物で、アイリは改めて頭を悩ます。よしんば痴漢が冤罪だったとしても、盗撮は誤魔化せないだろう。


(優しそうだったし、こういうことする人にはとても見えなかったけど)


 だが、現にこうして捕まっているし、どんな犯罪者も捕まえる前は一般市民だったのである。そもそも、犯罪を犯す人間がみな悪人面をしているのかといえば、きっとそんなことはない。そういう人たちだって職場や家庭では善人の仮面を被っているに違いなかった。


 そうだ、人は仮面を被るものだ。ただ悪いだけの人も、ただ善いだけの人も、きっといない。


(……でも、そんなの、外野の理屈だ)


 あの子にとっては、優しくてかっこいい、初恋のお兄さんのはずで。


 ……ナナカはどうするのだろうか。初恋の相手が、こんな性犯罪者だと分かって、立ち直るにどれだけの時間がかかるだろうか。


 そしてきっと、アイリに出来ることは少なかった。


 ※


 授業を一時間だけサボったあとは素直に授業に参加して、放課後になった。


 アイリは居ても立ってもいられず、ランドセルを背負ったままナナカの家の前までやってきた。木造二階建ての玄関チャイムの前で立ちすくみ、その指は虚空で止まっていた。


(……会ってどうするんだ)


 かける言葉が未だに見つかっていなかった。だけど、それでも、なにか言わないといけない気がした。


 そうして寒空のもと立ちすくみ続けていると、


「……あれ、アイリちゃん?」


 どういうわけか、神田マユリと鉢合わせた。


「押さないの? ならわたしが押すけど」


 同じくナナカの家に用事がある様子のマユリはそう言って、玄関チャイムを押した。


「ごめんください。わたしナナカさんの塾で講師をやっている神田マユリという者なのですが」


 そのままなし崩し的にアイリとマユリは一緒にナナカの家に入り――


「……ダメでしたね」


「うん、大丈夫かなあ、ナナカちゃん」


 アイリたちがナナカの母に応対されて入れたのはリビングまでで、ナナカは今は会いたくないの一点張りで、二人を門前払いにした。


「……あの、神田さんは、どこまで知ってるんですか」


 帰り道、アイリはトボトボと歩きながら、マユリに問うた。


「まあ、アイリちゃんが知ってることは知ってるかなあ」


「……じゃあ、ナナカが誰が好きだったのかも?」


「うん」


「その好きな誰かが逮捕されたのも?」


「うん。で、ライン何回か送っても反応なかったから、つい心配になってね」


「……随分行動が早いですね」


「だって、あの好き好きオーラは誰が見ても分かるし。そんな相手はこうなっちゃったら、ねえ……」


「……神田さんは、何もされなかったんですか」


 言って、後悔する。本当に何かされていたとしたら、無神経極まりなかった。


「うん、アイリちゃんが心配するようなことは何も。あとマユリでいいよ」


 そのまま、マユリは地味に衝撃の事実を告げた。


「わたし25だし、多分あの人の好みじゃなかったんじゃないの? 知らんけど」


「え、大学生じゃなかったんですか?」


「ううん、大学院生だよ? あ、大学院っていうのは、大学の次の学校みたいな感じのやつね。やることは勉強じゃなくて研究だけど」


 ゆかりたちでさえ十分大人に見えるのに、それより年上というのはイマイチ想像がつかなかった。


「ナナカが大学生だって言ってたから勘違いしてました」


「まあ、そういう勘違いはよくされるからねえ」


「……大人のマユリさんに聞きたいんですけど、良いですか?」


「言うほど大人じゃないけど、良いよ?」


「……その、私、どうしたらいいんでしょうか。ナナカがこんな目にあって、どう声をかけたらいいか分からなくて」


「それはわたしもわかんないかな。でも多分、何を言ってもダメなんだと思う。何を言っても、ナナカちゃんを傷つけてしまうと思うんだ。……だって、結局わたしたちは安全地帯にいて、ナナカちゃんの痛みを本当にわかってあげることは出来ないからね」


「……それは確かにそうですけど、じゃあどうすれば」


 そうだ、そんなことはアイリだってわかっていた。精一杯悩んで、だけど答えが一向に思い浮かばなかったのだ。


 そんなアイリに、マユリは答えた。


「何も言わずに、近くにいてあげればいいと思う。それで、話を聞いてほしそうだったら聞いてあげて、泣きたそうだったら泣かせてあげて、抱きしめてあげればいい。……それじゃ、ダメかな?」


「……マユリさんは大人ですね。そんなの、全然思いつきませんでした」


 アイリは目を丸くしていた。たしかに、マユリの言う通りだった。何も言えないなら、言わなければいいのだ。落ち込んでいるときには、何も言わずに近くでいてほしい――答えはそんな簡単なことで、だけどアイリはそんな簡単なことにも一人では気づくことが出来なかった。


「伊達に年は食ってないってことかな」


 マユリはそう言っていたずらっぽく笑って。


(……この人がナナカの近くにいて、良かったな)


 アイリは、そんなことを思った。


「そう言えばわたし、全然ナナカちゃんのこと知らないな。アイリちゃんはあの子とは長いの?」


「一応、小2の頃からずっと同じクラスです」


「……そっか、それはいいね。じゃあ、ナナカちゃんのこともっと知りたいからあそこで話そうか」


「え? はい?」


 そう言って彼女が指差したのは、近くのチェーンの喫茶店で。


 流石にほぼ初対面の相手と二人きりというのは流石に――


「パフェ奢るよ?」


 アイリは、割と簡単に傾いた。


「なるほど、ナナカちゃんはアイリちゃんが引っ越してきてから初めて出来た学校の友達なんだね。しかも小学2年生から今までずっと同じクラスとか、いいなあ」


 マユリが誘った喫茶店。ガラス張りで外の通りが一望できる席で、アイリは彼女と相対していた。アイリの目の前には約束通りのパフェがあって、そのお値段はアイリのお小遣いではなかなか厳しいものだった。


「はい。まあクラスも3クラスしかないので、そんなにすごいことでもないと思いますが」


「そうでもないよ。3分の1の確率が5回連続したら243分の1だからね。これって結構すごくない?」


「まあ、ランダムで選ばれてたらそうかもですが」


 言いながらパフェを食べる。美味しいが、夜ご飯が食べれなくなってしまいそうだった。


「それで、ナナカちゃんは何が好きなのかな? 仲良くなるの参考にしたいんだけど」


「……そうですね」


 いの一番に思いついたのは、先生――梶原太一だった。


 おそらく過去形のそれ。そうでなかったら流石に困る。


「あの子は、ここ1年、5年生になって塾に入ってから、ずっと梶原先生の話ばっかりしてました」


「……そっか。まあ、気持ちはわからないでもないかな。わたしも昔、学校の先生のことが好きだったもの。それこそ、初恋だったね」


「そうなんですか」


 やはり、年上にあこがれるのは普遍的な感情なのだろうか――


「まあ先生は産休に入っちゃったんだけどね」


「……ええとその、それは」


「女の人だったんだよ。それくらい普通でしょ? 結婚してたのも知らなかったからショックでさあ、そりゃ落ち込んだよ。まあ、妊娠と性犯罪で捕まるんじゃぜんぜん違うと思うけど」


「……それは、そうですね」


 改めて、ナナカを取り巻く状況に胸がズシンと重くなる。ありえない仮定だが、もしゆかりがこんなふうになってしまったら、それこそ耐えられないだろう。


「私やっぱり、こんなところでパフェ食べてる場合じゃなくて――」


「――だからってさっき断られたのにまた行くの? 流石に鬱陶しがられるだけじゃない?」


「……う、それはそうですけど」


「せめて明日まで待ってみたらどうかなと思う。わたしも行っておいてなんだけど、気持ちを整理する時間必要なんじゃないかな」


 マユリの言う通りだった。


「……もしかしたら、明日には意外とケロッとしてるかもですしね」


 自分でも信じてないことを言って、お茶を濁す。


 そこで、スマホが鳴った。


「……あ」


 すっかり忘れていた。スマホに表示されているのはゆかりの名前で。


(今日家庭教師の日だった!)


「すいませんお姉さん、忘れてましたっ!」


 すぐさま電話に出て、頭を下げ、一方的にまくし立てた。


「今行くので、ちょっと待っててください!」


 そのままランドセルを背負って、席から立ち上がる。


「パフェ残ってるよ!?」


「すいません、食べてください! 家庭教師があるの忘れてたのでっ! 今日はありがとうございましたっ!」


 言いながらもアイリはすでに席から離れていって。


「あの、最後にひとつ聞いていいかな!」


 その背中に、マユリが問う。


「ナナカちゃんって何が好きなの!? 食べ物とか!」


「――駅前のケーキ屋さんのガトーショコラケーキが好きですっ」


 アイリはそう言うと、そのまま喫茶店をあとにしていった。


 アイリはこの時の行動を激しく後悔することになるのだが、そんなことは今の彼女には知ったことではなくて。


 今のアイリには、ゆかりを待たせてしまっていることしか頭になかった。


 ※


 目の前に、とんでもない美少女の使ったスプーンがあった。


 マユリはしばらくそれを手にして見つめていたが、ようやっと首を振ると紙ナプキンの上に置いて、新しいスプーンを用意した。


「……わたしにはナナカちゃんがいるもんね」


 そんなことを、小さな声で呟きながら。

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