16話・新学期

 ゆかりの誕生日が過ぎて、バレンタインデーが来て、アイリがゆかりのチョコに唾液を入れるか本気で悩んで(結局入れなかったが)、ついでにユイに作った義理チョコにユイが本気でドキドキしてて気持ち悪くて、まあそういう色々があった末に、アイリは新学期を迎えていた。


 小学6年生である。ちなみにゆかりもユイも無事に進級して、大学3年生だった。


 どちらも、区切りの年だった。


 目標は、ゆかりが大学を卒業するまでに彼女と交際すること。あと2年あるが、しかしこの1年を逃せば、就職活動などで忙しくなる大学4年は家庭教師なんかもしてもらえなくなるかもしれないので、やはりこの1年が一番大事だった。


(お姉さんが就活してる姿なんて想像つかないけど)


 でも、多分するのだろう。ちょっと前と比べると、ずいぶんと活動的で、社交的になったし。


「ねえアイリちゃん! 今日なんの日か知ってる!?」


 そんな新学期が始まって数日、今年も同じクラスになったナナカが朝から話しかけてくる。


「ええ、Get Wildの日?」


「違うよ、私の誕生日だよ!」


「Get Wildの日でもあるんだよ。今朝ネットニュースで見た」


「そうじゃなくて!」


「うんうん、分かってるよ。これ、プレゼント」


 アイリはこの日のために用意していたリボンの髪飾りをナナカに渡した。


「ありがと! つけてみるね!」


 そう言って彼女は自身のポニーテイルを結わえているそれを、アイリから貰った黒に金の縁取りがついたリボンの髪飾りに変える。


「どうかな!」


「可愛いよ。大人っぽい」


 スマホで写真を撮って見せる。


「ホントだ、大人っぽい! 12歳! って感じ!」


 12歳は大人なのかと思ったが、アイリは黙っておく。


「12歳って言ったらさあ、ほとんど中学生ってわけだよ。分かるアイリちゃん?」


「まあ、そうかもだね。実際はあと1年あるけど」


「中学生って言ったら大人なわけだよ」


「まあ、私たちと比べたら大人かもだね」


「大人ってことはさあ、今年こそ先生を射止められるってわけ!」


 ああ、やっぱりそう来たか。


 世間的に見たら中学生なんて全然子どもだよとは言わないでおく。


「まあ頑張ればいいと思うけど。なんか進展あったの?」


「そういうアイリちゃんは?」


「……全然」


 本当に、全然だった。


 ユイがロリコンだと分かったのは二重の意味で収穫だったが、だからといってアイリとゆかりの距離が劇的に縮まるわけでもない。


(相変わらずお姉さんはユイさんのこと好きみたいだし)


「安心して! 私もだから!」


 まあ、縮まってたらそれはそれで問題な気もするけど。


「でも春休みは合宿したよ! 同じ屋根の下で寝たってわけ!」


「塾の合宿でそんなに喜んでるのナナカくらいしかいないよ……」


「とにかくね、今年こそ先生のハートを射止めなきゃダメなんだよ! 今の塾小学生しか通えないし!」


 なにげに自分よりハードな時間制限があるにも関わらず、ナナカは明るくて。


(私も見習わないとダメかもだな)


 好きな人のスマホのホーム画面がポニテのアイドルだからって自分もポニテにしたり、会えるかもわからないのに初詣に振袖姿で来たり、その行動力は見習うべき点がいくつもあった。


「あれでも、たまに顔出して制服姿でドキってさせるのもありかな?」


 本当にたくましいことだと思う。


 だけどアイリの不用意な発言で、その笑顔は一気に沈んだ。


「……あの女子大生の先生、神田先生はどうなの?」


「あいつさあ、バイトのくせに合宿ついてくるし、なんかベタベタしてくるしさあ、ウザいんだよ」


「ウザいんだ」


「無駄にばいんばいんさせやがって、隣りにいると自分がちっぽけで貧相な子どもに思えてくるんだけど」


「まあこれからだよ」


 それにユイならこう言うだろう。その平坦な胸こそが正義だ! って。知らないが。


「そうだよね、これからだよね! これから成長期が来て、ぐーんと色んなところが大きくなって、先生をメロメロにできちゃうに違いない!」


「うんうん、違いないね」


 最高学年になっても、12歳になってもナナカは相変わらずだった。


「でも、ナナカは先生のどこがそんなに好きなの?」


「え~、いざ説明するってなるとけっこう恥ずかしいなあ」


 なんて頬を抑えてナナカは言う。


「先生……梶原先生はね、とにかく全部が最高なんだよ」


 アイリは思い出す。初詣で偶然出会った彼を。


『梶原太一です。楓さんの通ってる塾の講師をやってます』


 メガネに顎髭の、優しそうな目元の短髪の背の高い男性――それ以上の情報がアイリにはないが、これだけナナカが心酔してるんだから、まあいい人なのだろう。


 それに、恋というのは理不尽で、好きになってしまった相手のすべてが素敵に見えるものなのだから、当事者である彼女からどこがいいか聞いたところで、全部客観性を欠いた惚気話にしかならないのは当然だった。


(まあでも、楽しそうだしいいか)


 アイリはナナカの惚気トークを聞き流しながら、そんなことを考えていた。


 ※


 それは、いつもの退屈な朝のことだった。


 アイリはいつものように大変な苦労の末に布団から抜け出し、テレビのニュースをつけっぱなしにしながら朝食を食べる。


 そうはいってもテレビはBGM程度で、ろくに見ても聞いてもいないのだが、その時は偶然、自分たちが住んでいる市の名前が出てきたから、アイリはぼうっとした頭のまま、テレビに視線を注いだ。


『――本日電車内で女子中学生の下半身を触ったなどの疑いで逮捕されたのは、同市の学習塾に勤務している梶原太一容疑者で、梶原容疑者は罪状について概ね認めており、さらに容疑者のスマートフォンからは盗撮されたと思しき女性の下半身等の画像が大量に発見されており――』


「……は?」


 たまたま同姓同名で職業も同じで同じ市に住んでいる他人――という可能性は、テロップとともに表示された顔写真で丁寧に潰され、ご丁寧にも27歳という年齢も書いてあった。


 伏線もクソもない、唐突な展開だった。

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