15話・ロリコンバレ

「いやいや違うんです、これは決してやましい気持ちがあったとかそういうんじゃなくて、勿体ないなって思っただけで、SDGs的にけしからんって思っただけで、口噛み酒だなあって思っただけで、けっしてアイリちゃんのよだれ入りビールが飲みたいとかそんなふうに思ったわけじゃなくて――」


 馬鹿みたいに早口で、今にも土下座しそうな勢いでユイは言って。


「……ああ、やっぱりロリコンだったんですね」


 アイリの言葉で、ユイは何もかも詰んだと、そう思った。


 ※


『ここではなんなんで外でお話しましょう』


 ロリコンなことがバレて、次にそんなふうに切り出されるとは思いもしなかった。


 てっきり普通に叫ばれて警察のご厄介になるものだと思っていた。


 そういうわけで、ユイは今、アイリと電灯で照らされた夜道をともに歩いていた。


(……ロリコンだって分かってる相手と二人きりは危ないよ、アイリちゃん)


 思いながらも口に出さない。アイリは静かに自分の前を歩いていて、夜風が身に沁みた。


「もう一度確認なんですけど」


 突然アイリは振り返って、切り出した。


「ユイさんはロリコンなんですか?」


 いきなり名前で呼ばれて、びっくりする。


「……まあね」


 いくらでも誤魔化しは効くはずなのに、ユイはそれを認めてしまった。やけに落ち着いているアイリを前にして、つい口を滑らせてしまったのだろうか。


「私はまあ、ロリコンだよ。ロリコンっていうか、小児性愛者だよ」


 あるいは、自分を隠して生きていくことに飽いたのかもしれなかった。


「つまり、ユイさんは私みたいな小さい子が好きってことですよね? 恋愛対象的な意味で」


「……まあ、そうだけど」


「さっきも寝ている私のことジロジロ見てましたもんね」


「起きてたの」


「半覚醒状態でした。でもパンツ見なかったし偉いと思いますよ」


「呼吸してて偉いレベルだよ、それ」


「少なくとも私には、ユイさんは理性のある良識的なロリコンに見えますけど」


「わかんないよ。こんなやつと夜道を二人きりは危ないと思う」


「でも、さっきからめちゃくちゃ距離取ってるじゃないですか」


「一気に詰めてくるかも」


「そしたらこれ鳴らします」


 そう言ってアイリはポケットから防犯ブザーを取り出した。


「やめてね」


「ユイさんが変なことをしないなら何もしませんよ」


「……それで、なんで二人きりになりたがったのかな? そんなのまで用意して。実は私のことが好きで両想いでした……とかじゃないのは分かるけど」


「きっも」


「……割と堪えるからやめてそれ」


「喜ばないんですね」


「マゾではないからね。で、なんの用かな?」


「用はもう済みました」


「はい?」


「私はユイさんがロリコンだって分かれば、それでいいんです」


「意味分かんないんだけど」


「……せっかく秘密を話してくれましたし、私もひとつ秘密を教えてあげましょう。私は、お姉さんが、葵ゆかりさんが、恋愛的な意味で好きです」


 言われても、ああ、やっぱりそうなんだと思うくらいの衝撃度だった。


「だから、私はずっと不安だったんです。お姉さんを誘惑するにしても、そもそも私くらいの子に劣情を抱く大人の女性なんて存在するのかって」


「サンプル1だよ」


「サンプル1でも、十分です。0と1じゃ天と地の差があるじゃないですか」


「ゆかりちゃんがロリコンになるとは限らないけど。ていうか、多分ならないけど」


 ならないと信じたかった。


「ユイさんだってロリコンになる前はまともだったんでしょ? だったらお姉さんだって後天的にロリコンに出来ると思いますから」


「そりゃそうかもだけどさあ」


「ユイさんはどんなきっかけでこんなんになっちゃったんですか?」


「こんなん言わないでよ。好きでこうなったわけじゃないんだから」


 そう前置きしてから、ユイは続けた。


「……中3の夏に、従姉妹の小2女子にほっぺたにキスされて、こうなったんだ」


「小2て」


 普通にドン引きされた。


「子どもじゃないですか、そんなの」


「小5も子どもだよ」


「それ以来小学生の女の子にしか興味がなくなってしまったと」


「中1もイケるよ」


「キモ」


「さっきから口悪くない!?」


「だって実際気持ち悪いですし」


「……分かってるよ、そんなの」


 流石に2度も言われると凹む。


「さっきも言ったけど、私だって好きでこうなったわけじゃないんだってば。それに、なるべく人に迷惑かけないようにしてるし。イエスロリータ、ノータッチの精神で生きてるし」


「まあそれは普通な気がしますが」


「普通だよ。普通に生きるのも大変だってわけ。従姉妹ともなるべく距離を取ってるし」


「そういえば初対面のときそんな感じのこと言ってましたね」


「……うん、だからアイリちゃんがゆかりちゃんを誘惑するつもりなら、やめておいたほうがいいとしか言えないけど」


「そう言われて“はいそうですか”ってはなりませんよ」


「……だろうね。恋愛感情かはともかくとして、初対面のときから好き好きオーラ隠しきれてなかったし」


「私も頬にキスしてみましょうか」


「絶対やめたほうがいいよ」


 食い気味で言っていた。


「ロリコンは大変なんだ。誰かを好きになっても絶対報われないし、誰かが好きになってくれても好意に応えられないし」


 ゆかりちゃんの好意にだって当然気づいてるけど、それに応えられないわけだし――とは言えなかった。


 ものすごく、言うべきじゃないと思う。


(いや、アイリちゃんが何をしたところで、結局悪いのは誘いに応じた方になるんだろうけど)


 実際そうだろう。未熟な子どもではなく、判断力のある大人にこそ責任はある。あいつが誘惑したのが悪いだなんて、おそらく世界で一番情けのない言い訳だ。


「私もやめておきます。今やって効果出るかわかんないし、ファーストキスは大事にしたいですからね」


「そうしておくのがいいよ」


 ユイは思い出す。あの衝撃的なキスを。


 ただ、ほっぺたにキスをされただけだった。普通の人間ならば簡単に流すことだろう。


 だけど、ユイは全身の細胞を作り替えられ、まったく別の生き物に生まれ変わったような衝撃を受けたのである。


 それは過言ではなくて、本当にユイは生まれ変わってしまったのだ。


 あの夏以来、ユイはまったく別の生き物になってしまって。


 好きだったはずの同級生の男子はただのゴリラにしか見えなくなって。


 小学校の集団下校は天使の集団に見えるようになった。


「……とにかく、私は二人が億が一にでも付き合ったとしても、積極的に応援は出来ないよ」


「別に応援してくれなんて言ってませんよ。そもそも、ユイさんはただそこにいるだけで応援になりますし」


「存在自体が不健全って言われてるみたいだ」


「褒めてるんですよ」


「……あっそう」


 言ってるあいだにも、二人はコンビニの前にたどり着いて。


「ロリコンだってバラしてほしくなかったらアイスでも奢ってください」


「こんなに寒いのに?」


「ハーゲンダッツです」


 そういうわけで、ユイはアイリにハーゲンダッツのクリスピーサンドを奢って。


「お酒ってそんなに良いんですか?」


「まあ、大人になったら分かるんじゃないかな。子どもは味蕾が鈍ってないから苦いのが苦手とか言うし」


「じゃあ大人が馬鹿舌なだけじゃないですか」


「あは、まあそうかもだね」


 帰り道、そんな他愛のない会話をする。


 はっきり言うと、安心した。


 ずっと隠していたことが受け入れられて。


 自分がこうであると知ってもなお、彼女は笑顔で。


(でもきっと、この子も大人になったら、私のこと頭のおかしい大人だったって振り返るんだろうな)


 小学5年生が思ってるよりも、小児性愛者の世間評は悪い。自分がいかに危険な橋を渡っていたのか、きっといつか気づくのだろう。


「今回は私みたいな比較的まともなのが相手だったから良いけど、ロリコンの人について行っちゃダメだよ?」


「ロリコンの人は自分のことロリコンって言わないと思いますが」


「それはそうだけど」


「……それに、私だって相手を選んでますから。ユイさんなら大丈夫だって、そう思ったからこうしてるんです。今までだって、私に直接変なことするタイミングはあったはずなのに、しなかったじゃないですか。私のこと、一度も触ったことないし」


 その一言に、心臓が高鳴って。


「……そういうこと、言わないほうがいいよ。勘違いさせるから」


「きも」


 今回3度目のそれに、ユイはやけに安心した。


 そのまま、アイリたちは自宅にたどり着く。


 たどり着いて、玄関に足を踏み入れた瞬間、


「アっイリちゃーん!」


 何故か急に、アイリは抱きしめられた。


「なななななな、なんですかっ」


 相手は先ほどまで寝ていたはずのゆかりで。


 その顔は真っ赤で、間違いなく酔っ払っていた。


「どこ行ってたのぉ、寂しかったよぉ」


 そのまま、頬をスリスリされる。酒臭かった。


「いや、ちょっとユイさんと散歩に」


「ええ~、ズルい! なんでわたしも呼んでくれなかったの!?」


「だって寝てたじゃないですか!」


「嘘だ、本当は怒ってるんだ!」


「ええ、なんでですか!」


「だってアイリちゃんほっぽって酒盛りしてたもん、わたし!」


「ユイさんもそうじゃないですか!」


「でもわたしはさあ、わたしなんだよ!」


「急に哲学的なこと言わないでください!」


「わたしはねえ、アイリちゃんのお姉ちゃんなんだよ!」


「そうだったんですか!?」


「血は繋がってないけど、お姉ちゃんなんだよ!」


 そう言って、ゆかりはダバダバと滂沱の涙を流した。


「……泣き上戸ってやつですか?」


「だね」


 ずっと事の推移を見守っていたユイが言う。


「……ところで、いい加減暑いんで離してもらいたいんですが」


「やだ、離さない! 君が全てだもん!」


「……これ、脈アリですかね?」


「そんな曲があるんだよ」


 ……言いながらも、この距離感はちとまずいかもしれないなんて思うユイもいて。


「ちゅきっ! アイリちゃんのことがちゅきっ!」


 酔っ払ったときこそ本心が露わになるなんて話に照らしわせると、目の前の状況はけっこうヤバくて。


「うわあ、全然うれしくない! やっぱ嘘、ちょっと、いやかなりうれしいです! でも離してください!」


(なんだろ、これ)


 アイリがゆかりに抱きつかれているのを見ると、胸がチクリとして。


(……そっか、私、失恋したんだ)


 ユイは今さらに、自分が失恋したことを自覚したのであった。

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