13話・先生
クリスマスが過ぎ、瞬く間に年が明けた。
明けてしまった。
今年はアイリにとって勝負の年である。ゆかりが20歳になり、さらに大学3年生になる年だからであった。
法的な成人年齢こそ18歳だが、やはりお酒を飲めるようになる20歳は特別な気がしたし、大学3年生といえば就職活動を始める人もいる(グーグル調べ)学年だった。
要するに、ただでさえ遠い距離がさらに遠くなるということで。
このまま何もできずに彼女が社会人になり、この街を出ていってしまえば、それこそ詰みだった。
その前に、なんとしてでも交際に漕ぎ着けねばならない。
そうでなければ、アイリは単なる近所の仲良しだった小さな子で終わってしまうのだから――
(……今年こそ、お姉さんとお付き合いできますように)
だからアイリは、初詣のお参りで、そんなことを願っていた。
お年玉の500円を投入した、大盤振る舞いである。
「ねえねえ、アイリちゃんは何願った?」
お参りが終わり、一緒に来ているナナカが近づいてくる。
「そういうナナカは?」
「えーーーー、言ったら叶わなくなるとかいうしなーーーーーー」
じゃあ訊くなよと思った。
「まあ、だいたい分かるけど」
どうせ塾の先生とお付き合いできますようにとか、そんなんだ。
「まあねー」
なんて言いながら、振袖姿でくるりと回る。
(……私もこれくらい気合を入れたら良かったのかなあ)
そうだ、振袖姿である。
ナナカは白地に桜をあしらった可愛らしい振り袖姿で、参拝に来ていた。
アイリたちは普通にダウンジャケットやコートなどを着込んでいたが、ナナカだけはやたらと気合を入れた格好をして、この人でごった返す神社に初詣にやってきていた。
さて、何故彼女がこんな格好をしているのかといえば、それは、
『やっぱりこれ先生に見せたら喜んでくれるよね!? ユイさんお墨付きだし!』
そんな理由のためだった。
無論、先生とやらがナナカとここで会う約束をしたわけではない。そんなことを教え子相手にやったらそれだけでクビになりかねないだろう。ただ、ナナカが日々の雑談の中で初詣はいつもこの神社に来ていると聞いたから、それだけの理由でこの格好をしているのだ。
まったくもって健気である。
ついでにいえば、ナナカの髪型がポニーテイルなのさえ先生由来であった。彼女は塾に入るまでは普通に髪を伸ばしていたが、先生のスマホのホーム画面がポニーテイルの有名アイドルだったために、彼女はこの髪型になったのである。
あるいは、自分もこれくらいすべきなのだろうかと、一緒に参拝に来たゆかりと(ついでにユイ)に視線を遣る。
(この場合ショートカットかあ、こっちのほうがいろんな髪型出来てうれしいんだけど)
「おや、私の願いが気になるのかい?」
なんて、こちらの視線に気づいたユイが言う。
「いや全然」
「私は来年もこのみんなで初詣に来たいって願ったよ」
「だから聞いてませんよ、キザったらしい」
「……ユイちゃん」
「感動しないでくださいよお姉さん。……そういうお姉さんは何を願ったんですか」
「わたしは、単位を取れますようにって。期末が近いから」
「……切実ですね」
「そういうアイリちゃんは何を願ったのかな?」
「私ですか? 私はですね、お姉さんとずっと一緒にいれますようにって願いました!」
嘘だった。でもこっちも本当だった。
「……アイリちゃん」
「感動ついでになにか出店で買ってください」
「……アイリちゃん」
冗談めかして言って、アイリはチーズホットクを手に入れた。
そうして出店を見つつ周囲を散策してると、ナナカから声が上がった。
「あ、先生、先生だ!」
「……え?」
どうせ会えないだろうと思っていた、件の先生がそこにはいた。
アイリは初対面である。メガネに顎髭の、優しそうな目元の短髪の背の高い男性だった。
「あ、楓さん。……あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございます! 先生、先生はお一人ですか!」
ぴょんぴょん跳ねながらナナカが言う。
「家族と来てるよ。今はたまたま一人だけど」
「えー、寂しいですね! 私は友達と来てます!」
なんて言いながらも、ナナカは嬉しそうだった。いかにも彼女と一緒じゃなくて良かった、みたいな顔だ。
「どうも、小日向アイリです」
ペコリと頭を下げる。
ちなみにゆかりといえば他人のふりをして出店のお面を見ていた。ユイもそれに追随してる。
「梶原太一です。楓さんの通ってる塾の講師をやってます」
「お噂はかねがね」
「……どんな噂かな」
梶原がナナカの方を見る。
「さあ?」
すっとぼけて目を逸らすナナカ。
「僕も小日向さんの話は楓さんからよく聞くよ。いい子だって」
「はあ、それはどうも」
……にしても、である。さっきからナナカが梶原の周りで彼女なりにしなを作りながらぴょんぴょん跳ねてるんだし、ここは一言くらいなにか言うべきじゃないのだろうか。
「太一ーっ」
なんて話をしていたら、彼の母親らしき人の声がかかる。
「ごめん、もう行かないと」
「えーっ」
露骨に残念がるナナカ。
そして梶原は最後にこう言い残して、その場をあとにした。
「その振り袖、よく似合ってるよ!」
「~~~~~~ッ!」
この上なく、ナナカの顔が真っ赤に染まってた。
「良かったね、ナナカちゃん」
「……うぅ」
顔を抑えている。なんとも微笑ましかった。
「……お母さんに無理言って着せてもらった甲斐があったよ」
「へえ、なるほど、あの人がナナカちゃんの好きな人なんだ」
しれっと戻ってきていたユイが言う。ゆかりはプニキュアのお面を頭に斜めに被っていて、本当に心底興味なさそうだった。
「なななななな、そんなことないですっ」
なんて言いながら、照れ隠しするようにナナカはずんずんと歩き出して。
(……傍目から見たら私もあんなんなのかな)
アイリはそんなことを考えながら彼女に追いすがった。
少なくとも、まるで脈はないように見えた。
(まあ、脈も何も、子どもに手を出したら犯罪だし)
どの口が言うのか。さっき自分が何を願っていたのか、アイリはすっかり忘れていた。
「……げ」
そうしてナナカを追っていたら、急停止した彼女の背中にぶつかった。
「どうしたの、ナナカ」
「……神田先生だ」
「はい?」
ナナカの視線の先には、一人の女性が立っていた。
「あ、ナナカちゃん?」
神田先生――先ほどの梶原先生が鼻の下を伸ばしてるとか何とか言ってナナカが一方的にライバル視している、塾のバイト講師である。
なるほど、確かに美人だと思った。
腰まで伸ばした栗色の髪に、眼鏡の奥で優しそうに細められたまなじりの、背の高い女性。顔は色白で綺麗だし、何より――
(でっかいな、おっぱい)
胸が大きかった。なるほどこれは好きな人の間近にいてほしくない相手だ。コートを羽織った黒いセーターが、やけに胸を強調している。
「あけおめ。その振り袖似合ってるね、可愛いよお。そっちの子は?」
神田先生は屈んで視線をナナカに合わせると、そう言った。見た目通りの、おっとりとした口調だった。
「小日向アイリです。ナナカとは学校の友達です。……ええっと、ナナカの塾の先生、でしたっけ?」
「うん。塾でバイト講師をしてる、神田マユリです。ナナカちゃんは教え甲斐があるよ。こないだなんて全教科100点だったし、すごく頑張ってるんだ」
「すごいですよね、本当に」
「アイリちゃんも来る? わたし結構教えるの上手いって言われてるんだけど」
なんだかずいぶんグイグイ来るな。
「……新年早々営業ですか、バイトなのに」
ナナカがやっと口を開く。先ほどまでとはまるで別人のように口調が硬かった。
「人に教えるのって結構楽しいからね。特に、ナナカちゃんみたいな可愛い子が相手だと」
「相手で態度を変えるのは良くないんじゃないですか」
「それもそうだ。ナナカちゃんはいい子だね」
言いながら、マユリはナナカの頭を撫でた。
「……先生は、彼氏とですか?」
「彼氏? まさかあ。一人だよ」
「一人で初詣とか、寂しいですね」
「だね。近所だし、いつもはもうちょっと人が落ち着いてから来てるんだけど、今朝のニュースの占いで面白いこと言ってたから来ちゃった」
「……面白いこと?」
「ラッキースポットは神社で、会いたい人に会えるかもって」
「……会えたんですか」
「目の前にいるよ」
時間が、止まったかのようだった。
(いや、いやいやいやいや)
自分は何を見せられているんだろうか。
(いやいや、でも、ほら、ユイさんみたいなのは少数派で、これは普通に――)
「――マユリ、何してるの?」
マユリの背後から、声がかかった。
「あ、今塾で教えてる子に会ってね」
なんて彼女は立ち上がり、同年代と思しき女性に言う。
「全然ひとりじゃないじゃないですか!」
思わずアイリはツッコミを入れてた。
「あははは、ごめんごめん。じゃあ、友達待たせてるからまたね」
マユリはいたずらっぽく笑うと、こちらに手を振りながら、そのまま友人の方へ向かっていった。
「……神田先生はいつもこんな感じで適当なんだよ」
「高田純次みたいだね」
「誰それ」
「え」
存在しないはずのジェネレーションギャップに驚いてると、遠くの方から再びマユリの声がした。
「ナナカちゃん、その振り袖、本当に似合ってるよー!」
「……とにかくね」
ナナカは一度咳払いすると、続けた。
「あの人はいつもこんな感じで、適当なことしか言わないの。他の子もいつもこんな感じだって言ってたし。まあ、勉強教えるのだけは上手いんだけど」
「へえ」
傍目から見たら不安になるようなやり取りだったが、ナナカがそう言うならそうなのだろうと、アイリは納得する。
(……まあうん、気のせいでしょ)
「とにかくね、あんなのがいたら安心できないでしょ! 先生だっていつも見てるもん! あのばるんばるんしたやつを!」
「……男の性ってやつなんじゃないの。知らないけど」
「女子小学生が男の性とか言うな!」
そうして先生に会えてうれしかったというナナカの思い出は、変な女に会ったことで上書きされて、その日は解散となった。
(……にしても、単位が取れますように、か)
ゆかりの願いを思い出す。……あるいはゆかりが本当に留年してしまえば、猶予が一年伸びるわけで。
(えーと、何留すれば同じ大学に通えるのかな、私たち)
そんなことを指折り考えてるうちに、アイリは家について。
「じゃあまたね、アイリちゃん!」
ここまで一緒に来てくれたゆかりが笑顔で手を振って、アイリもそれに返した。
(……8留か)
流石にそれは、厳しそうだった。
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