11話・カスのクリスマスイブ

『空いてるよ。アイリちゃんと一緒にゆかりさんと遊びたいな』


 こいつは何を考えてるんだろう――それが、ゆかりからユイの提案を聞いたときのアイリの反応だった。


 良い歳した大学生が、どうして小学生とそんなに遊びたがるのか。それも、クリスマスに。はっきり言って謎だった。意味不明である。


(……まあ、好都合ではあるけど)


 例えば、ゆかりとユイが二人きりでクリスマスを過ごす――想像するだけで吐きそうになった。


(って言ってもまあ、そんなのあり得ないだろうけど)


 クリスマスに一緒に遊ばない? ただし、小学生の子と一緒に。


 脈がないなんてレベルではなく、逆にゆかりのことが心配になるくらいだった。


(……いや本当に、気の毒だよ)


 ユイはユイで自分のどこをそこまで気に入ったのだろうか。ロリコンなのだろうか。こないだの服屋では中々に危ない人感があったが、おそらくはゆかりと同類に違いなかった。


(ちっちゃい子に可愛い可愛い言いまくるファッションロリコン)


 おそらくゆかりはユイに仲間認定されてしまったのだろう。それは友情の延長線上としては実に喜ばしいことかもしれないが、恋愛対象としては有り得ないと言って差し支えなかった。


(ロリで繋がる友情はあってもロリで繋がる恋はないよなあ)


 喜ぶべきなのだろうが、やっぱり気の毒で。


 だからって応援できるわけもなくて。


「――楓ナナカさん」


 別の意味で応援できない恋をしている友人が教卓の担任に呼ばれている。思考の世界の飛んでるあいだに、ホームルームはテストの返却の時間になっていたようだった。


「楓さん、すごいです! 全教科100点ですよ!」


 担任がそう言うと、歓声が上がった。


(……すごいな、あのナナカがこれとか)


 そもそもナナカが塾に入ったのは今年の4月のことで、親にあまりの成績不振(30点や40点が日常)を心配されて入ったのである。当時は本当に嫌そうだったナナカだったが、塾の男性講師に恋をして以来成績が爆上がりしていた。


(恋っていうのはやっぱりすごいな)


 なんて思いながら、楓ナナカの次に小日向アイリが呼ばれて、まずまずの点数を確認した。自分もゆかりに勉強を教えてもらってるのにこの違いは何なんだろう。


「すごいね、ナナカ。点数が3倍になってるじゃん」


 次の休み時間、アイリは彼女に話しかけていた。だけど、ナナカはどこか浮かない表情をしていた。


「どしたの?」


「……いやね、うちの塾って基本的に自習方式でね、ドリル渡されて、分からないところを先生に教えてもらうんだけどね」


「うん」


「私、ちょっと前まではよくて80点とかだったんだよ。まあそれでも昔は30点とかだったからすごい進歩だと思うんだけどね」


「私より全然いいじゃん」


「ていうかなんで大好きなお姉さんに勉強教わってんのにそれなの」


「なんでだろね」


「でね、私が勉強を頑張るモチベーションはもちろん、先生に褒めてもらうためだったんだけど」


「じゃあ良いじゃん。めっちゃ褒めてもらえるんじゃないのこれ?」


「……うん、それはそうなんだけどね」


 そこでナナカは、声を潜めて言った。


「実はこれ、先生のおかげじゃないんだよ」


「はい?」


「いや、先生は先生なんだけどね、例の神田先生に教わるようになってから急に成績が上がっちゃって……」


 苦虫を噛み潰すような顔で、ナナカは言った。


 神田先生とは、ナナカが勝手にライバル視している、塾のバイト講師の女子大生のことだった。曰くめちゃくちゃ美人ではあるが、先生(ナナカが好きな方の27歳男性講師)に色目を使っててムカつくとのことであった。


「まあ100点は100点だし良いじゃん。たくさん褒めてもらいなよ」


「でも、ライバルの力を借りてこれとか」


 そもそもバイト講師が正社員より教えるのが上手いのはどうなんだろうと思ったが、面倒なので言及しない。


 そうだ、もしかしてその先生って教えるの下手なんじゃないの? とか言っても絶対いいことはなかった。


(……ああ、もしかして普通にお姉さんの教え方が下手なだけなのかも)


 アイリは最高でも68点の答案を正当化しながら、そんなことを考えた。


 ※


 そういうわけで、あっという間にクリスマスイブになった。


 ライバルの力で100点事件はナナカの中ですっかり風化して、先生にたくさん褒めてもらえてうれしかったという感情だけが残っているようだった。


 そうしてナナカは『神田先生が休みだったら良いなあ』とか思いながら塾主催のクリスマス会に出かけていき、当然のようにいる彼女に舌打ちしたあと、先生が出てきて全部どうでも良くなってしまったという。


 一方のアイリといえば、


「わあ、綺麗だね、アイリちゃん!」


 ゆかりと一緒に、イルミネーションを見ていた。夕方5時過ぎ、キラキラとクリスマスカラーに輝く街並みを、残念ながら三人で歩いている。


 ちなみにさっきの呼びかけはゆかりではなく、ユイのものであった。


(本当になんなんだよこいつ……)


 改めて考えると、やっぱりおかしかった。なんでつい最近仲良くなった小学生とクリスマスイブを一緒に過ごしているのだろうか、この女は。


 そして『アイリちゃんと一緒がいい!』とかいう要求を飲んでしまうゆかりもゆかりだった。そこは一念発起して二人きりがいいとか言えないのか。言われたら困るのは自分なのだけれど。


「うん、綺麗だね、ユイさん」


 宙に浮いたユイの言葉を、ゆかりが引き取る。いい加減100年の恋も醒めたのではないだろうか。


 だけど相変わらず、ゆかりはちゃんとおしゃれをしていて、とても綺麗で、だけどその視線はまっすぐユイの方へ向かっていて。


「……お姉さんのほうが綺麗ですよ」


「ん? なんか言った?」


「……なんでもないです」


 心底バカバカしかった。アイリはゆかりのことしか見ていないが、そのゆかりはユイのことしか見ていない。


(……あんなバカの何がいいんだろう)


 なぜかやたらとはしゃいでいる、無駄に手足が長く、無駄に美形な女を見る。寒さのせいか頬がやけに赤くて、妙に艶めかしかった。


 やっぱり顔なのだろうか。あるいは、初めての同世代の友達というのがプレミア感を出してるのだろうか。


 なんにせよ、ゆかりの初恋はおそらく成就しなくて。


(恋が破れたあとも良い友達のままでいてあげてください)


 そんなことばかり考えてしまう自分が、嫌になった。


「テンション低いねアイリちゃん! こんなに綺麗なのに!」


「別に趣味じゃないので」


「ひねてるねえ、最近の子どもは」


「まあ誰といっしょに見るかも問題なんじゃないですか」


「またまた~。こないだの自撮り可愛かったよ?」


 本当になんなんだよこいつ。


「何回も言ってますけど、あれは間違いで、お姉さんに送ろうと思ってたんです」


「それが本当だとしたら、うらやましい限りだね、ゆかりさん」


「へ? なんですか?」


 ボーっとしていた様子のゆかりが、いきなり話を振られて驚いている。


「こないだアイリちゃんにプレゼントした服の自撮りを貰っただろう? 私には送る予定じゃなかったらしいんだ」


「ああ、あれだね。すっごい可愛かったよ、アイリちゃん」


「……ありがとうございます」


 本当はゆかりにしか見せる予定がなかったのに、完全に失敗した。


 あるいはこの女はそれを可愛い言い訳だと思っていて、このツンデレめとか考えているのだろうか。キモい。


「自撮りといえばですね、こないだのハロウィンの――」


「ちょっ、お姉さん!?」


 ゆかりはこともあろうかハロウィンの時の赤ずきんコスをユイに見せて、


「うっっっっっっわ、ちょっとあり得ないくらい可愛いじゃん……」


 彼女は目を輝かせて感嘆の声をあげていた。


「本物の天使だよ、これ。ゆかりさんはこれを生で見たんでしょ? それでこんなツーショット撮っちゃってさあ~」


(あ、私が一人で撮った自撮りのほうじゃないんだ)


 ならいいか――とはならない。


「……よし、言い値で買おう!」


「いや、お金はとりませんけど」


「じゃあ一万円で」


「一万、一万かぁ~」


 アイリの冗談に本気でユイが唸る。


「よし、出そう!」


 そう言ってユイは財布から渋沢栄一を取り出して。


(……なんか様子おかしくない、この人?)


「ねえ、ユイさん、さっきからいくらクリスマスイブだからって浮かれすぎ――うわ、酒臭っ!?」


 ユイに近づいたゆかりが仰け反った。


「え、この人酔っ払ってるんですか!? なんで!?」


「酔ってないよぉ~」


 一万円札で顔を仰ぎながら、ユイが言う。頬がやけに赤いのは寒さのせいだと思っていたが、まさか酔っ払っていたせいだったとは。


「午前中にね、パパとママからワインが送られてきたんだ。二十歳のクリスマスプレゼントだって~。で、ちょっと飲んでみた」


 その結果がこれか。


「小学生相手に往来で醜態さらして恥ずかしくないんですか。なんですか一万円って」


「一万円は君が言ったんだろ。これあげるから赤ずきんコスしてよ」


「しませんよ」


「じゃあ三万」


「しないって言ってるでしょうが」


「じゃあ五万~」


「絶対しません」


「ゆ、ユイさん、警察呼ばれるからこれくらいにしておきましょう!? ね?」


「いいじゃん、いいじゃん、ズルいよね、ゆかりちゃんは! タダでアイリちゃんの赤ずきんコス見たんでしょ!? それでお菓子じゃなくていたずらでとか言ったんだ! そうに決まってる!」


「言ってませんよ! ていうか今ゆかりちゃんって言いました!?」


 こんなときに何を言ってるのか。


「いーや言ったね! 絶対言うよ! こんな可愛い子がトリックオアトリートつったら言うに決まってるね!」


「これからもそう呼んでくれたらこの写真あげてもいいですけど!」


「それは本当かい!? じゃあいくらでも呼ぶよ、ゆかりちゃんゆかりちゃんゆかりちゃんゆかりちゃん――」


「わわわ、わたしもユイちゃんってお呼びしていいですか――」


「――くだらない痴話喧嘩してないで行きますよ!」


 周囲の視線から二人を引き剥がすように、アイリは彼女たちの手を引く。


 二人とも別の理由で顔を赤らめていて、何もかも嫌になった。


(酔っ払って女子小学生に万札出しながらコスプレ要求するやつだぞ!? こんなの100年どころか億年の恋も醒めるだろ普通!?)


 いやでもゆかりが同じことしてたら――そんなことを考えながら、アイリはイルミネーションの間を駆けていく。


 おそらく、この広い世間を見渡しても、クリスマスイブに酔っぱらいと色ボケの手を引いて走っている小学生はアイリくらいのものだった。

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