10話・帆山ユイ②

 私に天使が舞い降りたと、帆山ユイはそう思った。


 小日向アイリは小学5年生で、11歳で、ローティーンで、幼女で、女児で、女子小学生で、ランドセルを背負ってる年代で、同世代の他の子と比べると落ち着いていて、大人びた印象の子だった。


 とても可愛い子だとゆかりから聞いていたが、想像以上に可愛い子で、本当に驚いた。


 初対面でこちらを拗ねた顔で見る彼女は、しかしそれさえも様になる美少女で。


 そうだ、小日向アイリは美少女だった。くりくりした大きな目に、整った目鼻立ち、白粉でも塗ってるみたいに白くてきめ細かい肌、艶めきながらもふわふわした黒髪、人形みたいに細くて薄い脂肪に包まれた手足、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。それこそ、そこらのキッズモデルなど目ではないだろう。


 学園祭で出会った楓ナナカちゃんも可愛かったが、こちらは本当に、すごい。


 平静を保つのに必死だった。


『可愛い子とはもれなく友達になる。それが私の流儀だから』


 平静を保ってたつもりなのに、気がつけばそんなことを言っていた。別にそんな流儀ないのに。


 ただ、目の前の少女と仲良くなりたかっただけだ。あるいはゆかりがいなければもっと危うい言動をしていたかもしれないと思うと、本当に恐ろしい。


 その日は負ければ負けるほど頬を膨らませていくアイリの可愛さにやられて、大人気なく勝負に全勝してしまった。踊るタイプの音ゲーをやろうと言い出したときはそのスカートで!? となって、太鼓を叩く方に全力で軌道修正させたのだが。


 そうして別れた後、ユイには矛盾するふたつの気持ちが生まれた。


 もうあの子とは会いたくないという気持ちと、またあの子に会いたいという気持ちが。


 本当に会いたくないなら、いっそのことゆかりとも疎遠になったほうが良いのだが、それは出来なかった。


(なんか私のこと好きみたいだし、いきなり拒否するのは可哀想だし)


 可哀想といえば、自分が懸想してる相手が好きなのが自分ではなく、一緒につれてきた小学生な方が可哀想なのだが。


 とはいってもしょせんは一期一会、アイリとはもう会うことはないと思っていた。それでいいと思っていた。そうじゃないと困ると思っていた。


 しかしそこで、これである。


『週末一緒に遊べませんか? アイリちゃんが遊びたいって言ってるんですが』


 心臓が爆発するかと思った。


 幻覚でも見たのかと思って目を擦ったが、何度読み直しても文面が変わることはなくて。


 断るべきだ――理性はそう言っていたが、しかしユイが選んだのは、そうではない選択肢であった。


 そこからは、社会的なフィルターがギリギリで自分を繋ぎ止めていたが、奇行ばかりしていたと思う。


『というわけで、記念に三人で写真を撮ろうか』


 そんなことを言って合法的にアイリの写真をゲットしたり。


『あれは有名なキッズブランドのお店だね。ちょっと見ていかないかな? きっとアイリちゃんに似合う服がたくさんあると思うんだ』


 アイリを着せ替え人形にして、写真を撮りまくったり。


『お金ないから買いませんけどね』


『ええ、もったいないよ!? わたしが出そうか!?』


 そんなゆかりの軽口に全力で便乗して、口座の中身をかなり減らしたり。


『ゆかりさんって呼んで良いかな? 私のことも出来れば名前で呼んでほしいんだけど』


 なんて、ゆかりのことを布石にして、アイリにユイお姉さんと呼ばれようと画策したり。


 ギリギリ常識の範囲で収まるが、かなりアレなことばかりしてしまったと思う。というか、自分の性別が女だからギリギリ許されてるが、男だったら事案になってただろう。


(でも男だったらもっと素直に警戒してもらえただろうし、そのほうが楽だった)


 そうだ、自分は子どもに近づいてはいけない人間だと、ユイはつくづく思う。


 見た目だけはやけに秀でいて、小さな子どもはきっとすぐに心を許してくれる。周りだって性別も相まってそこに邪な意図を感じることはまずないだろう。そんな状況で、ユイは自分を抑えきれる自信がなかった。


 両親が教員だったから自分もまた薄っすらとそうなることを期待されてはいるが、教員などもってのほかで、自分は子どもに関わる仕事にだけは就いていけないと強く考えていた。


『いいかい、アイリちゃん? こういうふざけた年上には捕まっちゃダメだよ。愛をいくら囁いたところで、全部欺瞞なんだ。こういう輩は単純にコントロールしやすいから年下が好きなだけなんだよ』


 いささか唐突にも思えた言葉は、自戒のための言葉だったのである。


 ユイは自分を許さないし、子どもに手を出すのを論外だと考える。古の言葉で言うところの『イエスロリータ、ノータッチ』であった。


(……まあ、これはノータッチだよな)


 そんなことを考えながら、帰宅したユイはベッドに転がって、服屋で撮影したアイリの写真を見ていく。盗撮でもなく、本人の同意の上で撮影した画像なので合法だ。ノータッチだ。……本当に可愛くて、見ているだけで頬が緩む。


 やはり、この年頃の女の子が一番可愛いと、ユイは思う。


 まず手足のバランスが神がかっている。骨格の成長に筋肉がついていけてないからすらりと細長い。これ以上成長するとふっくらしてしまい、可愛くなくなってしまうのだ。特にふくらはぎなんて見てられない。この年頃の女の子はみんなスーパーモデルのようなのである。


 さらに髪の毛のキューティクルもこの年頃が一番だ。何も手を入れてないのにふわふわで、同時に絹のような触り心地でもある。こっから先は努力しないとパサパサになってしまうし、シャンプーやトリートメントなんてものは全部女児を目指してるだけに過ぎないのである。


 さらに、さらに、さらに――


 ユイはふと我に返って、自分の気持ち悪さに嫌気が差した。


 差してすぐに、そんなひと粒の正気は、アイリの写真の可愛さの洪水に流されていった。


 そもそもどうしてこんなに、このキッズブランドの服は可愛いのか。こんなの着てたら不審者に狙われるだけじゃないのか。頭がおかしくなりそうだった。もうおかしいのは重々承知だった。頭なんてずっとおかしいのだ。おかしくて悪いのか。


 そうしてねっとりと鑑賞していると、どうしても込み上げるものがあって。


 ……だけど流石に、アイリではしない。


 その代わりに、ユイはおもむろにベッドの下からそれを取り出した。


 今どき物理コンテンツをそんな場所に隠してるのは実にクラシックだと思われるかもしれないが、それも致し方ないのだ。


 そのDVDパッケージには、肌面積がかなり小さな、白ビキニを着た、10歳ほどの年頃の女児が映っていた。


 ジュニアアイドルのイメージビデオだった。


 かつての日本ではこの手のかなりグレーなものが大っぴらに流通していたのだが、今ではほとんど駆逐されていた。だからユイはこれのためにメルカリでDVDデッキを買ったし、古式ゆかしい方法で隠してもいた。一人暮らしだが、どこか後ろめたくて、こんなところにわざわざ隠しているのだ。


 いくつもあるコレクションの中で、ユイが選んだのは心なしかアイリに似ている女の子のもので。


 ユイだってわかってる。これを撮られた女の子たちの気持ちを考えれば、いかにグレーであったとしても、こんなモノ見るべきじゃないことくらい。だけどそれでも、実際に手を出すのと比べたら遥かにマシだろうと、自分に言い訳していた。


 かくしてユイはDVDをデッキに入れると、テレビの電源を入れて、入力1に移動すると、メニューが表示された。


 さあ、どれを見よう。おもむろにズボンを脱ぎながら考える。アイスを舐めてるところか、フラフープか、バランスボールか。


 そこまで考えたところで、スマホが鳴った。


『今日はありがとうございました』


「……アイリちゃん?」


 アイリから、そんなメッセージが来ていた。今日連絡先を交換したばかりである。


 そのまま通知をタップすると、そこでユイはハートを撃ち抜かれた。


 そこには、自撮りが表示されていた。


 今日ふたりでプレゼントした、子ども向けのハイブランドのセーラーワンピース。アイリはその華奢な体を紺色のシックなそれに包んで、鏡の前で自撮りをしていた。


 ……可愛い。可愛いが、なんてことはない。今日たくさん撮ったやつの仲間でしかない。だけど、それでも。


 それでもアイリは、自分が初めて見る微笑みを浮かべていて、それを他ならぬユイに向かって送ったのである。


 エロ(ではないが)自撮りの良さがイマイチわからなかったユイだったが、ここに来て真理に到達する。


 そうだ、好きな子が、自分のためだけに、こうして写真を送ってくれるのが何よりうれしいのである。


 死ぬかと思った。心臓が止まるかと思った。


『すいません、間違えました!』


 連投されたそんな言葉さえ、どこか遠くへ飛んでいってしまって。


 もはやDVDの偽物になんて、興味が完全に失せてしまって。


 ただ心臓が大人しくなるのを、深呼吸しながら待つことしか出来なかった。


 それからどれだけの時間が経っただろうか、 再びメッセージがやってきた。


 ただし、今回はアイリではなく、ゆかりだった。


『クリスマスイブの夜、予定ありますか? もし空いていたら、どうでしょうか』


 何がどうだというのだろうか。おそらく照れくさくてこんな文章になったのだろう。


 正直なところクリスマスの予定は他の友人との約束で埋まっていたが、そんなことはどうでもよくて。


 ユイは勢いのまま、返信した。


『空いてるよ。アイリちゃんと一緒にゆかりさんと遊びたいな』


 かくして、ユイはクリスマスイブをアイリと、ついでにゆかりとともに過ごすことになった。

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