8話・再戦前夜
12月に入り、街の装いにも赤と緑が増え、クリスマスが近づいているのを感じた。
つまり、帆山ユイに8連敗して、電車の中でゆかりを可愛い可愛いと褒めまくってから、3週間ほどが経ったということである。
あれからアイリとゆかりの関係がなにか進展したということはなく、しかしそれでも、アイリは電車でのゆかりの反応を励みにして生活していた。
それこそ、ゆかりがユイのことを好きだと言ったことなんて、忘れてしまいそうなくらいに。
無論、ゆかりとユイの関係にだって注視はしている。とはいっても、あまりに状況は芳しくないようだが。
もちろんそれはゆかりにとってのことで、アイリにとっては諸手を上げるくらいに万々歳な状況だった。
「ねえねえ、アイリちゃん! アイリちゃん! そろそろクリスマスだね!」
そして相変わらず、ナナカは元気だった。
「そうだね」
この子は未だにサンタクロースでも信じてるんだろうか――そんなことを思う。
ちなみに、ナナカと塾の先生の仲も進展してはいなかった。
(……まあ、進展しても困るんだけど)
「何その馬鹿にした顔。サンタクロースとか信じてそうとか思ってそう」
「……なんでわかったの」
「分かるよ! クリスマスなんかではしゃいで子どもだなあみたいな顔してたもん!」
「じゃあ何がそんなに楽しみなの。プレゼント? なにか欲しいものがあるの」
「先生!」
即答された。無理だよ。
「あ、無理だよって思ったでしょ。それがねえ、違うんだよなあ」
無駄に得意げな顔で、人差し指を振るナナカ。
「それがねえ、今年のクリスマスは先生といっしょに過ごせるのです!」
「クリスマス会?」
「なんでわかったの!?」
「いやだって、それしかなくない?」
「いや、もしかしたら先生と私が二人っきりで――」
「それはないから」
そしたら通報する他なかった――とまで考えて、アイリは思う。例えば、自分とゆかりがクリスマスに二人きりだったら通報されるだろうか。
多分、されない。非対称的だった。だからこそ一緒にいれるのかもしれないが、だからこそ気持ちに気づいてもらえもしない。
「とにかく、クリスマス会だろうがなんだろうが、先生といっしょにクリスマスを過ごせるんだよ! こんなに嬉しいことないよ!」
「そうなんだ。でもクリスマス会ってことは例の人も来るってことでしょ?」
「……う」
例の人――最近塾にバイトとして入ったという、なんか美人らしい女子大生。確か名前は――
「神田先生は教えるの上手いし、可愛いし、人気もあるけどさあ……でも私は認めないよ!」
「認める認めないとかじゃないと思うけど」
「なんか先生にも信頼されてるみたいでさ、よく楽しそうにおしゃべりしてるけどさあ、でもね、私のほうが可愛いし!」
「大した自信だね」
「大した自信だよ!」
微笑ましいと思う。塾の先生を好きになって、同僚の女子大生に嫉妬する女子小学生――あれ?
(……傍目から見たら、私も大差ないんじゃないの、これ)
※
今日は週に一回の勉強会で、アイリはゆかりに勉強を教えてもらっていた。もっとも、勉強会という体裁はほとんど建前で、実際はゆかりの動向を探る会となっているのだが。
「お姉さんは、クリスマスの予定とかないんですか」
アイリが漢字ドリルに向かいながら問う。
「あると思う?」
いつものカジュアルな格好――パーカーにジーンズのゆかりが言う。
「去年までならともかく、今年はわからないじゃないですか」
「……んー、それがねえ、怖くて切り出せないんだ」
主語のない会話。もちろん、お相手はユイなのだろうが。
「まあ、友達たくさんなら早く切り出さないと埋まっちゃってそうですけど」
「そうなんだよ。でもさあ、勇気がね、出ないんだよ」
「私が会いたいって言ったときはすぐに手筈を整えてたじゃないですか」
「それはまあ、アイリちゃんたっての願いだったわけだし」
おそらく自分はあの時ダシにされたのだろうが、もはや過ぎたことだった。
「誰とも過ごす予定がないなら、今年も私と一緒じゃだめですか?」
「……いいけど、いいけどさあ」
そこで彼女は、大きくため息を付いた。そうしたいのはアイリも同じだった。
「こないだも大学で他の子と歩いててさあ、よくお昼は一緒に食べるけどやっぱり誘えないよ」
なんで好きな女のそんな話を聞かされねばならないのか。
「実はもう誰かと付き合ってたりして」
「……! 怖いこと言わないでよ!」
「だって帆山さんってあれだけ美人なわけですから、相手には困らないわけじゃないですか」
「いやでも、こないだ勇気出して聞いてみたらいないって言ってたし……」
「……へえ」
そういうことをゆかりがあの女に聞いていると思うだけで、苛立ちが募っていく。
「ほしいのが彼氏なのか彼女なのかもわかりませんけどね」
「……なんか今日のアイリちゃん当たりキツくない?」
「別に。ただ二人きりなのに他の人の話ばかりされたらあまり愉快じゃないですから」
「アイリちゃんから聞いてきたくせに」
「だって気になるじゃないですか」
気になりはするが、聞きたくはない。
「……アイリちゃんはさあ、ぶっちゃけ脈あると思う?」
「小学生相手にそんなこと聞いてどうするんですか」
「でもわたしより大人っぽいし」
大人なら付き合ってくれてもよくないですか?
「……まあ、厳しいんじゃないでしょうか」
気がつけば、そんな大人げないことを言っていた。
「こないだだって、お姉さんのこと放って私とずっと遊んでたわけですしね。お姉さんのこと褒めてましたけれど、あれだって言い慣れてるというか、他の子にも言ってるんだろうなあという感じというか」
「……だよねえ」
二度目のため息を漏らす。
このまま諦めてくれればいいのにと思う一方で、こうして真剣に悩んでいる横顔を見ていると、つい余計なことを言ってしまいたくなる。
アイリは、好きな人が苦しんでるのを放っておけるほど、大人ではなくて。
「……また誘ってみたらどうですか。クリスマスはハードルが高くても、ただ一緒に出かけるだけなら。それで、そこでクリスマスも誘ってみたら良いんですよ。二人っきりが気まずいなら、私も一緒だって言えば良いですし。そうすれば、お姉さんも誘いやすいでしょう? 私も負けっぱなしは嫌ですし」
だけど、ゆかりとユイを二人きりにさせるほど、大人ではなかった。
「……いいね、それ。わたしも二人きりは流石に緊張しちゃうし、ちょうどいいかも。それに、よくアイリちゃんの話するし」
しかし、自分で言っておいてなんだが、ゆかりはこれで良いのだろうか。
だけど想像以上に乗り気な彼女はすぐさまスマホでメッセージを送り、思いのほか早く帰ってきた返信によって、日曜日の予定は決定した。
つまり、またアイリとゆかりと、ついでに帆山ユイのデートが決定したのである。
(……自分で言った手前あれだけど、嫌だなあ)
あの女の憎たらしい笑顔は、できればそう何回も見たいものではなかった。
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