第7章 深層心理 7

 私の世界の動物たちは人間に管理も保護もされない。

すべてを自然淘汰に委ねている。

生まれてすぐ死ぬ命もあれば、道端で野垂れ死んでいる幼い命もある。

仕方のないことだと割り切って動物たちと共存している。

 子供の頃、地面に放置された犬や猫やその他の動物の亡骸を目にした時、

どうして誰も手を差し伸べなかったのか、

何かできたはずだ、

助けることができたに違いない、

そう親に泣きじゃくりながら詰問したことがあった。

その後の数ヶ月間は、地面に横たわる瀕死の動物がいないかどうかに目を配らせながら俯き加減で歩くのが癖となっていた。

そんな陰鬱な表情で出歩く少女が目にしたものは耐え難い情景ばかりではなかった。

新しい命の息吹がそこかしこにあることに気付いたのだ。

(死)に目を配らせていると、否が応でも(生)が目に飛び込んできた。

死の傍には必ず生があり、死は生の糧となっていた。

地面に転がる動物たちの死骸には大量の蝿がたかり、湧いた蛆と小さな黒い虫が蠢き、空から舞い降りて来た猛禽類共々、腐臭を放つ死肉を貪っていた。

最初は惨たらしく吐き気を伴う、不快この上ない光景に見えた。

数日後に同じ場所を通ると、放置された屍はカラスや鳶に残らず食い尽くされていた。

後に残った白い骨は太陽と風雨に晒され、浸食作用が進むにつれ分解され、最後には白い欠片となり大地に吸収されていった。

 愛らしい小鳥たちは、嫌悪されがちな蛆や小さな虫たちをついばみ、同じく愛らしい猫たちは草木の影から鳥類に狙いを定め、飛びかかり、食らいつき死に至らしめ、自らの命を繋いでいた。

人間の手を借りることなく、すべてが循環していた。

 因みに外の世界には、火葬というものがない。

死後火葬にすることで自然界の命の循環が絶たれ、その上魂も無に帰してしまうと信じられているからだ。

だから、人間も動物も死んだ時はそのまま土の中に埋められる。

棺桶などというものもない。

亡骸が埋められた土の上には家族や親しかった友人が樹木の種を蒔き、その後成長する樹木を見守るのだ。

もし仮に、死肉を分解してくれる微生物や菌類や小さな虫や猛禽類が絶滅したとしたら、どこもかしこも悪臭に覆われた世界になるに違いない。


 私も他者の死というものにはあまり直面したくはない。

死を忌み嫌うことは至極当然のことだ。

本能的なことでもある。

けれども死を忌避することは生を忌避することになってしまう。

死は生きているかぎり避けることはできないのだから。

人間も動物も植物も皆、いずれ死ぬのだ。

生きている者からすれば悲壮感漂う最期だったとしても、死は生の延長線上にある自然の摂理だ。

自然界の淘汰という鉄則に従うことが善とまでは言わないけれど、悪ではないことは確かだ。

正真正銘の悪行とは頼みもしないのに安心安全な檻の中に幽閉することであり、望んでもいないのに子供を産めない身体にすることであり、逝きたいとも思わないのにガス室や毒針であの世送りにすることだ。

 そう思いはすれど、もし私が収容所内で生まれ育ち、この世界の教育を受け、そのまま大人になったとしたら、彼らと同じように何ら違和感も少しの罪悪感も感じないのだろう。

私も彼らと同じ遺伝子を受け継いだ人間なのだから……。

 


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