第4章 女看守 4

 ちょうど読み終わった頃合いに、店の入口からこちらに向かって歩いてくる女性が目に止まった。

タイトな服の上から引き締まったしなやかな身体が想像できる。

膝頭から足首への流麗なラインと見事にくびれた腰の辺りが目を引いた。

うっすらと化粧を施した淑やかな顔立ち、

涼やかな切長の目元と茶色の瞳、

艶やかな栗色の長い髪、


 彼女が席に着いた途端、柑橘系の香りが私を包み込んだ。

洒脱な雰囲気を醸しつつも淡い色香を漂わせ、それでいて凛とした傲慢とは相反する気高さを湛えていた。

黄暖色の間接照明が彼女の端正な顔にほのかに憂いを与えていた。

 和やかで気張らない彼女の資質によるものだろうか、勧められた氷山で造ったという麦酒を飲み終わる頃には気の置けない友人と歓談しているかのような気分になってしまったのだ。

「あなた綺麗ね、こっちの世界でモデルでもしたら」

親し気な眼差しで彼女にそう言われると、お世辞半分とはいえ、お酒の力も相まって俄然気分が上がってしまう。

 すっかり意気投合した私と彼女は、趣味や出身地、食文化や芸術について話が弾み、お互いがワイン好きだと発覚した後は盛り上がりは頂点に達し、仕事抜きで気兼ねなく飲もうという彼女の誘いに私は応じた。

彼女が片手を上げ目配せをするとウェイターがワインのボトルをテーブルに運び、赤い液体を私のグラスに注いた。

「お口に合うか分からないけど」

「あなたに、と思って用意したの」

と彼女は言った。

お口に合いすぎだ……、私には熟成し過ぎかもしれないが……。

彼女も私と同じワインを飲んだ。

「革新的な試みもいいとは思うけど、やっぱり最後は伝統と格式だと思うわ」

きっぱりした口調で彼女はそう言いながら、目の前にかざしたワイングラスをゆらゆらと回した。

 話が一段落し、口元をナプキンで軽く拭き終えた彼女は、

「ちょっと失礼」

と言い残し、席を離れようとした。

 瞬間、その場の空気が変わった。

一瞬のことだったが私は見逃さなかった。  

その場に居た誰もが同時にピタッと会話を止めたのだ。

ほんの1秒くらい。

まるで機械仕掛けの人形たちの遠隔操作が一瞬だけ途切れたかのように……。

瞬きをしていたらまず見落としていただろう。

たまたま数組の客たちを視界の端に捉えていたからこそ違和感を感じることができたのだ。

席を立った彼女が優美な足取りで化粧室に向かう間も、彼女の挙動に全神経を集中させていた、私以外の店にいるすべての者がだ。

しかも無関心を装いながら……。


 危うく見誤るところだった。

この店は貸し切られている。

店内にいる全員が彼女の側近に違いなかった。

大勢に監視されていた……。

彼女は私に対して少しも好感など持ってはいない。

私は粗を探す内部監査員であり、彼女にとっては味方でも同志でもないのだ。

 その後、ニコチンの匂いと共に席に戻った彼女に対し急に手のひらを返すような態度をとるのも憚られ、なにくわぬ顔で会話を続けた。

表層では親睦を深め合う穏やかな時が流れ、水面下では互いの胸の内を探り合うかのような偽善的な会談は平穏無事に幕を閉じた。

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