第4章 女看守 3

 客たちの控えめな談笑、食器やグラスが触れ合う小気味よい音、店内のスピーカーから流れる歌劇の調べ、それらが渾然一体となり上品な空間を演出している。

……、上品。何故そう私は思うのだろう。

誰かに教わったわけでもないのに……。

副交感神経を刺激する音質や周波数のせいなのか……、

それとも単なる刷り込みによるもの……。

もし私の耳が聞こえなかったとしたら、音によるイメージは遮断される。

聴覚の代わりに、見た目で判断できる店内の壁の色や装飾品や小物類の飾り付けや椅子やテーブルの配置などに目が止まり、併せて空間に漂う紫煙の匂いや花の香りにもより敏感になるだろう。

その場合、この店は今とは違う別の空間になるのだ。

 

 店の入り口付近を一瞥する。

待ち人はまだ来ていないようだ。

約束の時間まで15分程ある。

グラスの中のまだ暖かい真紅の液体を一口喉に流し込み、再びテーブル上のパソコン画面に目を戻す。

 

          ☆       ☆        ☆


 誰の目にも物質面と精神面の双方共に満たされた楽園の生活に思われたが、平和な世に退屈し辟易する者も少なからずいたのだった。

そういった輩の中から至極当然のようにして、覇権主義に傾倒する権力志向の強い者が台頭した。

新し物好きの若者を中心に現体制に何かしらの不満を抱えた者たちが先導者の元に集い始め、政権転覆について熱く語り合うようになった。

次第に略奪行為や性犯罪が増加し、暴力の匂いがぷんぷん漂う狼藉者たちが気炎を揚げながら堂々と街を練り歩くようになった。

不穏な時代の到来に警鐘を鳴らす者もいたが、蛮勇たちの眼に宿る狂気の光を察知した途端尻込みしてしまい、その後の成り行きを諦観するしかない有様だった。

 やがて、3人の英雄まがいの親玉が楽園を3つの領土に分割した。

大手を振って殺戮兵器の生産が罷り通るようになり、軍需拡大の担い手として住民たちは武器の製造に強制的に駆り出されるようになった。

男も女も子供までもが火薬と鉄粉と油まみれの毎日となり、哲学的思想は頭から追い出され、入れ代わりに国粋主義を叩き込まれた。

また個人所有の長距離移動が可能な空間船艇や陸上の汎用車はすべて没収され、領地外に逃亡することはまず不可能だった。

街の境界線の各所に検問所が設置され、逃亡しようとする者は見せしめとしてその場で銃殺された。

銃器や弾薬よりもド派手な花火の製造に心血を注いだ指導者たちは、遂に壮絶な破壊力を秘めたミサイルの完成に漕ぎ着けた。

 未曾有の玩具の登場に感極まった彼らは、各々が一斉に大本営発表を高らかに響き渡らせ、待ち焦がれた戦いの火蓋が切られた。

為政者たちは三者三様の色違いの発射ボタンを押しまくり、わずか1ヶ月間で在庫品を吐き出すかのようにして撃ち尽くされ、生きとし生けるものの頭上にあられのように火の粉が降り注いだ。

数多の白い閃光は壮絶な破壊力で地上の生命を一瞬で刈り取り、大地を緑地から荒野へと変貌させた。

天を貫く荘厳とすら思える白い巨大樹が林立し、この世の終わりか始まりか分からない光景を作り出した。

策を講じた地上における白兵戦など皆無だった……。

戦略などまるで無かった……。

民衆が国威発揚に至る以前に事は始まり、事は終わったのである。

はなから勝ち負けなどどうでもよく世界を無に帰するのが目的の茶番劇だったのだ。

 裏で結託していた権力者たちの策略通りに、いとも簡単に数千年かけて築き上げた文明社会は終焉を迎えた。

まんまと謀略に担ぎ上げられた人々は自らこしらえた爆弾によって、楽園から奈落へと堕ちる羽目になったのである。

 その後、瓦礫だらけの黒い焦土で作物が獲れるわけもなく食糧の確保がままならなくなった。

かろうじて生き残った人間たちはその後も動物たちと行動を共にしていたが、食料が底を尽き始めると、その場凌ぎではあるが生き抜くために動物を殺して食べるという苦渋の選択を受け入れざるを得なくなった。

親愛の情を育んできた動物を食することで罪悪感と良心の呵責に苛まれ、精神が崩壊する者もいた。

だが、本当に悲惨だったのは加害者ではなく被害者である動物たちのほうだった。

殺される側にしてみれば、好き放題殺した後に頭を抱え塞ぎ込むなどご都合主義もいいところだった。

人間だけでなく動物たちもまた、身の振り方を変えざるを得ない過渡期を迎えた。

人間たちの常軌を逸した豹変ぶりに驚怖した動物たちは生存本能が促す内なる声に従い人里を離れた。

食糧源として真っ先に大型動物が標的にされたため、この時代に恐竜は絶滅危惧種となった。

 また水や大気中に拡散された大量の放射能によって死に至る病が蔓延し、右肩上がりに病人や死者数が増加しだした。

変わり果てた楽園を見限った住人たちは、新たな居住空間を求め疲弊した魂と憔悴しきった肉体を引き摺りながら東西南北に散り散りとなって移動した。

その後、数千年以上かけて失われた楽園の外側に幾つもの田園都市が建設された。

 楽園を廃墟へと貶めた重罪人たちは楽園跡地の周りに張り巡らされた氷の塀の内側に幽閉され、その地で果てた。

楽園から楽園跡地、その後、収容所と改名された。


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