第3章 欲望 5
約1ヶ月間続いた放蕩生活に見切りをつけることにした。
際限のない物欲と安っぽい承認欲求に程々満たされた私は、次なる変化を求めた。
さしあたっては、愛すべき堕落の街を出る。
今とは違う環境に身を置くことにした。
この1ヶ月の間に6kgも体重が増えた。
削ぎ落としたい……。
必要のなくなった服や小物類は宿泊しているホテルや贔屓にしてもらった高級サロンやお気に入りの料理店などにすべて寄贈した。
手放したものと入れ替わりに銃器取り扱い店で護身用の銃を購入した。
危急に備えて銃器の取り扱いにも慣れておいた方がいいと思ったのだ。
郊外にある射撃場に通い詰め、自分の銃が手に馴染むまで射撃訓練に明け暮れた。
銃器の扱いに熟知した元軍人から個別講習を受けたりもした。
自分なりにしっくりいくまで2週間を要した。
射撃の腕前に関しては、私は筋がいいそうだ。
私に付いたトレーナーは皆口を揃えてこう言った。
「天性のものだろう」
街を出る1週間前、郊外の自動車販売店で無骨な面構えの頑強そうな四輪駆動車を購入した。
ダッシュボードの中に小型の護身用の銃を忍ばせ、すっかり身軽になった所持品と共にキャンプ道具一式を積み込み都市部を離れた。
街道沿いの食堂やモーテルに寄りながら、大自然の真っ只中を目指しひたすらハイウェイを疾走した。
大陸横断5日目には赤茶色の大平原を抜け、水源豊かな分水嶺地帯へ。
景色は同じ国とは思えないほど、がらりと様変わりした。
頼もしい相棒は強力な駆動力を披露するかのように、くねくねした坂道をぐんぐんと駆け上がる。
万端過ぎる標準装備と屈強な足回りが未舗装の悪路を難なく走破していく。
走行中の振動はショックアブソーバーに吸収され、舗装路とほぼ変わらない。
大した奴だ。
乾いた熱風が涼やかな緑風へと変わる。
途中、丸太小屋がやたらと目に付く町の釣具店で釣竿と釣り糸とリールと擬似餌を購入した。
店の入り口付近で、ご当地ワインの直売店を見つけた。
赤と白のボトルを1本ずつ購入し、併せて大きめのワイングラスも一対買った。
目的地もなく車を走らせていると、みずみずしい濃緑に縁取られた山上湖の明媚な風景が目の前に広がり、私と相棒の足を立ち止まらせた。
誰もいない静かな湖畔に車を停め、傍にカーキ色のテントを張る。
湖に突き出した木製の桟橋が100mほど先に見える。
あそこから獲物を狙うつもりだ。
濃いめのコーヒーを淹れ、一息つく。
静かだ……。
風のざわめきや鳥のさえずりは聞こえるが、人の気配はどこにもない。
釣り道具一式を手に持ち、桟橋へと歩く。
桟橋の突端まで行き、水面下を覗き込む。
湖底まで見透かせるうっすらと青い湖水と魚影の濃さに心が浮き立つ。
竿を一旦後方に振り仰ぎ、竿のしなりを利用して銀色に鈍く光るルアーを沖に向けて飛ばす。
リールに巻き付いていた糸はルアーの重みで解放され、遠くに向かって伸びていく。
軽やかに宙を舞い、ぽちゃんと20m程先の沖合にルアーが着水。
ゆっくりと湖底に沈んでいく。
狙い定めた深度を想定しながら、リールをゆっくり巻き上げる。
それの繰り返しだ。
陽が傾くまで食料調達に奮闘した。
晴れて、白銀にうっすらと桃色がさした淡水魚を2匹釣り上げることができた。
まだ陽が明るいうちに、白ワインをお供に炭火で焼いて食べた。
澄んだ空気と透き通った湖水と風に乗る植物の匂いが故郷を想起させた。
湖面を撫でる柔らかな風を肌で感じ、清澄な山鳥のさえずりに耳を傾け、焚き火の焔に見入っていると、五感が研ぎ澄まされ澱んだ魂が浄化されているかのような気分になる。
稜線の裏に太陽が隠れ、うっすらと空が赤く染まり始める。
赤はいつも通りの慣れた手つきで群青色にバトンを手渡し、徐々に天空の照明が灯り始める。
そう、この世界では星と呼ばれている点状の灯りだ。
数万光年も離れていることになっている。
そんな話、一体誰が信じるのだろうか。
月のない空には群青色のカンヴァスに描かれた大パノラマが拡がっている。
精緻精巧な天体図を地上から眺める私には、あの光の粒がどう見れば星だと思えるのか、どういった解釈で宇宙に浮かぶ巨大な星だと信じきれるのか、
どうして宇宙空間があると思えるのか、
どうしてこの場所が青い星だと思えるのか、
どうしても理解できなかった。
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