第10話
雨の日や風の強い日は一日中部屋と屋上庭園で過ごした。
最上階にある芝生の庭はテニスコートほどの面積があり、部屋に面したウッドデッキの上には大きな卵型の屋外ジャグジーとテラス席が配置され、7つのデッキチェアとウォールナットで造られた豪奢な長椅子なども置かれていた。
大空の下で気兼ねすることなく裸になって、ぬるめのお湯に浸かりながら遠くの海や街を一望することができた。
食事やお酒はすべてルームサービスで頼み、天蓋付きのテラス席で雨が降る屋上庭園を眺めながら食事を楽しんだりした。
部屋篭りの日はノート型のパソコンも大いに役立った。
部屋にある大画面のモニターに転送して映画やスポーツ、ニュース番組、コメディなどジャンルを問わず収容所の映像娯楽を一日中鑑賞した。
興味本位でポルノ映像も観た。
初めて目にする生々しい映像だった。
私の世界の人たちが観たら目を覆い隠すに違いない代物だった。
でも私は画面から目を離せなくなってしまった。
心に灯ったほのかな疾しさはあっという間に好奇心に吹き消された。
爬虫類のように艶かしく肢体をくねらせながら互いの汗と粘液を絡ませ合う男女の淫靡な交わりに釘付けになり、我を忘れて何時間も観入った。
牝の性ともいえる悦びの嗚咽と淫欲を掻き立てる露わな映像に論理的な思考は遮断され、今まで感じたことない淫楽と性の欲動が私の火照った身体を支配した。
泉のように湧き出る欲情と抑えきれない性欲は自慰行為で処理した。
看守の言っていたことを思い出した。
「ポルノが最も効果的に時間を浪費させることができる。左脳ではなく右脳に働きかける昔ながらの常套手段だ」
と彼は言っていた。
ただの画素の羅列でしかない動画が、視覚と聴覚のみで簡単に思考を遮断することが可能なのだ。
私は処女だ。
外の世界では婚前交渉はご法度だった。
誰もが律儀に規律を守っているとは思えないが、私の知る限りにおいてはそういった噂を耳にしたことはなかった。
キスの経験はある。
初めてのキスは15歳の時だった。
仲の良かった男の子と草原でじゃれあっている時に自然とそうなった。
互いを見つめ合いながら照れくさそうにする可愛い接吻だった。
2回目のキスはお互いの舌を絡ませ合った。
心臓の鼓動が高まり、首筋と耳たぶが急激に熱を帯び始め、全身に電気が走ったかのように身体が震えた。
それまで感じたことのない下半身の疼きに戸惑いながらも、貪り求めるかのような新たな接吻の虜になった。
それ以来そのことばかり考えるようになり、四六時中頭から離れなくなった。
暫くして一時的に問題を解消する方法を知った。
家族が寝静まったのを見計らい、禁断を犯しているかのような思いに駆られつつ声を押し殺して手淫に耽るようになった。
なぜか疾しさと羞恥心が伴う身体の異変について誰にも相談できなかった。
あの頃は不可解な肉体と精神の変容に怖じけづいてしまい、その後はそうしたことはなるべく避けるようにしてきたのだ。
とはいえ今の私は性行為をしてみたかった。
あの頃とは違うのだ。
出張旅行中しかチャンスはなかった。
なにせ結婚の予定もなく恋人もいないのだから。
処女喪失を夢想する私はゆきずりの相手とのセックスも視野に入れていた。
かといって、誰でもいいという訳ではない。
たとえ恋愛感情がなくても見た目の好みもあるし、生理的な相性もあるのだから。
知り合った幾人かは好感が持てる相手だった。
そう思えた男性にも勿論下心は察せられたが、それだけではない誠実さも感じられたのだ。
その中のひとりと良い雰囲気になり彼の家に誘われたものの、やはり直前で躊躇してしまうのだ。
踏み切れない理由は結婚前の厳格な戒律によるものではなかった。
ましてや囚人との過度の接触は避けるべしというお達しのせいなどでは毛頭ない。
問題となるのは、性行為の後に抑えきれない恋愛感情が私の中に湧き上がってしまった場合だ。
運良く相思相愛になったとしても私は外の世界に帰らなければならないのだ。
限られた時間内で逢瀬を重ねることなど到底無理な話だった。
次回の出張勤務を心待ちにして相手のことを想い悩み、泣き濡らした顔で過ごすなどまっぴら御免だった。
それでは蛇の生殺しではないか。
囚人相手の色恋沙汰の延長線上に結婚はなく、添い遂げることもできず、本当の自分を一生涯隠し通さなくてはいけないのだ。
もう朝だ。
開け放った窓から差し込む朝日を一瞥して、カーテンを閉めた。
テーブルの上のグラスに残ったワインを一息に飲み干し、目を擦りながら千鳥足で部屋の灯りを全部消した。
紺碧色のベッドに大の字に身を投げ出し、うつ伏せに突っ伏す私はまるで座礁した船のようだ。
眠りにいざなう虚脱感と抱き合いながら目を閉じると、そのままゆっくりと深い海の底に落ちていった。
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