第9話
私は走りだしたら止まれない暴走機関車だった。
自分でも驚きだったが、こういう性質だったのだ。
ただ単に私の世界には欲望を発散する場所が無かっただけなのだ。
この街は堕落するには恰好の場所だった。
頭の隅の方でかすかに警笛が聞こえていた。
そうかと言って下手に急ブレーキを踏むのも危険に思えた。
取り返しのつかない脱線事故に繋がるかも知れなかった。
色々と考えては見たものの、最終的には突っ走るだけ突っ走ればそのうち燃料が切れるだろうという楽観的思考に帰結した。
華やかな賭博場に飽きた私は視察の場所を変えた。
この街にすっかり感化された私は来る日も来る日も際限なく使える出張経費を専用口座から引き落とした。
晴れた日の昼間は海辺の町へ出かけ散歩がてらの買い物を楽しんだ。
桟橋近くにある小洒落たレストランでワインを飲みながらピッツァや海鮮料理を食べるのが日課になった。
食後は華やかな水着に着替え、浜辺の日傘の下でデッキチェアに寝そべりながら本を読んだり、まどろんだり、暑くなったら泳いだりして午後の優雅な時間を過ごした。
不思議なことに物欲と比例して食欲も増進した。
美食で名を馳せている料理店を調べ上げ、ホテルの部屋から毎日予約を入れるようになった。
あまりの美味しさに1日に3食も食べてしまう日もあった。
食べ慣れない肉料理や魚貝類と一緒にワインを飲み、デザートにはどっさりと砂糖が入った洋菓子を食べた。
今までに体験したことのない濃厚な味わいだった。
連日連夜、出勤するかのように不夜城に足を運ぶ私は高級娼婦のようだった。
週末の夜には、華美な装飾を施した高級クラブや前衛的な人たちが集まるスノッブなバーに探りを入れた。
この手の店は客の大半が若年層だった。
店内では耳をつん裂く爆音と規則的に点滅を繰り返す光の洪水の中、肌が触れ合うほどの過密状態で若い男女が汗だくになって一心不乱に踊り狂っていた。
私にとっては店の中に長時間滞在するのは苦痛でしかなかった。
理由は単調な重低音に巨大な虫が蠢動するような音と金属的な効果音が散りばめられた混沌とした音楽だった。
おそらくある種の薬物を摂取しなければ楽しめない仕掛けの音楽なのだ。
その証拠に悦楽に浸り踊りまくる若者たちの目は瞳孔が見事に開ききっている。
並外れた持久力を有するアスリートさながらに延々と踊り続ける彼らは、あきらかにアルコール摂取だけの者とは一線を画していた。
収容所内では快楽嗜好を目的として開発された合成薬物が蔓延していた。
その手の薬物はお金さえあればいくらでも手に入れることができた。
入手しようと思えば簡単だったが、私はしなかった。
私の関心事は一事に絞られていた。
与えられた任務はこの世界の現場視察と頭の隅に置きつつも、自身の目的完遂を最優先事項にして積極的にあらゆる場所に潜入した。
すでに常連扱いになっている高級サロンで紹介された富裕層限定の邸宅内パーティーなどにも参加した。
肢体を誇示した服を着た艶麗な女の周りにはいくらでも男が言い寄ってきた。
甘美な香りを振り撒く魔法の水の吸引力も凄まじく、手首や首筋に数滴つけるだけで群がる男の数は3倍に増えるのだった。
どんなに紳士然と振る舞っていても皆、私とあれをしたがっていた。
まるで男の生態学を学んでいるようだった。
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