第44話 エトムートの奇襲

◇◇


 エトムートはカノーユが自分の動きを察知していることに気づいていた。

 そこで「全軍を集めるのに時間がかかっている」というポーズをあえて見せておいて、その裏では自ら精鋭100体を率いて奇襲をかけた。そうすればカノーユに大きな打撃を与えることができるだろう――。

 彼の目論見は見事に的中した。それどころか、カノーユに致命的な重傷を負わせることができたのだから、奇襲は大成功と言ってもよい。


「ははははっ! これ以上、妹が生死の境をさまよいながら苦しむさまを見るのは忍びない。今、楽にしてやろう!」


 エトムートはゆっくりとカノーユに近づいていく。そこにカノーユを背にしたテリンが彼の前に立ちはだかった。


「これ以上、お嬢様を傷つけさせない! 盾魔法。プロテクト・バリア!」


 テリンとカノーユをすっぽりと覆うドーム型のバリアが展開される。


「くくっ。その程度の魔法など、俺が直接手をくだすまでもない。ギガントトロール」

「はっ」


 エトムートの四天王で、身長3mはあろうかという巨体の魔物がエトムートの前に立つ。


「やれ」

「はっ」


 エトムートの命令でギガントトロールがテリンのバリアを巨大なこん棒で叩きはじめた。

 バリッバリッという鈍い音がするたびにテリンの美しい顔が険しくなっていく。


「いつまで持つかな? ははは!」


 バリアに大きなひびが入る。


「くくっ。おい女。貴様だけ逃げてもいいのだぞ? 俺は心が広いからな。カノーユの命さえいただければ小物がどこへいこうと俺の知ったことではないからな」


 ぎりっと歯ぎしりしたテリンは覚悟を決めた。


(今のわたしではギガントトロールにすらかなわない。だとしても、最後の最後まであがこう。カノーユお嬢様をおいて逃げるわけにはいかない!)


 ――バリンッ!


 ついにバリアが破れてしまった。


「ははははははっ! 主従ともに潰してしまえ!!」


 勝利を確信したエトムートの高笑いが響き渡ったその時だった。


 ――ドゴォォォォォン!!


 何かが爆発したかのような轟音がしたかと思うと、ギガントトロールの巨体が宙を舞った。そしてそのままエトムートの背後にドシンと落ちたのだ。


「な……にっ?」


 さしものエトムートも驚愕した。カノーユの配下にこのような芸当ができる者を彼は知らなかったからだ。するとテリンの前に仁王立ちした背の高い筋肉質の人間の若い男が目に入った。

 いや人間ではない。なぜなら大きな角がひたいから生えているのだから……。


「このマルースがきたからには、もう好きにはさせんぞ。外道」


 エトムートはその名に聞き覚えがあった。


「おまえは……カスパロと戦ったエンシェントドラゴンか!? しかし――」


 彼が驚いたのも無理はない。つい先日、カスパロと戦った時よりも、桁違いのパワーだからだ。

 エトムートがポカンと口を開けたのを見て、マルースはにやっと笑った。


「血の巡りが変わっただけでこんなにも強くなれるとはのう。狂血魔法というのは恐ろしいものだ」


 彼の言う通り、突如としてパワーが増強されたのはセレスティーヌの狂血魔法による『永久バフ効果』のおかげだった。血管は全身に張り巡らされた言わばワイヤーだ。そのワイヤーを強化すれば体全体が強化されるのと同じらしい。現にセレスティーヌは幼い体にも関わらず、以前のマルースと同等以上のパワーを持ち合わせていた。


「さてと……。さっきの槍が空から降ってくる魔法のせいで魔力が足りないと見受けられる。となるとパワーで勝るわしとの勝負は分が悪いと見るがどうする?」

「ちっ」


 エトムートは周囲をちらりと見渡した。

 マルースが率いてきたエンシェントドラゴンのリビングデッドたちがエトムートの精鋭たちと激しく戦っている。そうしているうちにカノーユの軍勢は撤退をほぼ完了していた。

 このままではエトムート側の被害も広がる一方だ。

 じりじりと迫ってくるマルースを前にしてエトムートは決断した。


「ここはいったん退散する。次会うのは龍神のほこらだな。そこで完全に決着をつけてやる」

「ご主人からの伝言だ。土下座で命乞いさせてやるから楽しみにしておけ、とのことだ」


 エトムートはこの時はじめてマルースがアルスの部下であることを知った。

 

(あのアルスとかいう人間……。エンシェントドラゴンのリーダーを従えているうえに、俺の奇襲を見抜いたというのか……ますます生かしておけん!)


 エトムートはようやく立ち上がったギガントトロールとともにその場を立ち去っていった。


◇◇


 エトムートの軍勢が完全に撤退したのを見計らって、マルースは背後のテリンに声をかけた。


「大丈夫か?」

「ええ。でもカノーユお嬢様が……」


 いまだに意識が戻らないカノーユ。彼女の腹に突き刺さった槍を抜いたテリンはマルースがエトムートを相手している間に手早く応急処置を施していた。だが、傷からは多くの血が流れた跡が生々しく残っている。


「うむ。一刻も早く龍神のほこらへいって、しかるべき手当をさせよう」


 マルースは自分の姿をエンシェントドラゴンに変えると、テリンとカノーユを背中に乗せた。


「しっかり掴まっておれよ」


 マルースが龍神のほこらに向かって大空を飛んでいく。

 テリンはこらえていた涙を抑えきれなくなり、声を殺して泣いた。

 彼女は知っていたからだ。カノーユがアルスと顔を合わせるのを密かに楽しみにしていたことを。

 しかし意識が戻らぬ今、仮に顔を合わせてもカノーユの記憶に残ることはない……。

 その残酷な未来を作ってしまった原因が自分にあると、テリンは深く後悔していたからであった。

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