第36話 セレスティーヌの微笑み
◇◇
ちょうどアルスがラグナロク・モードで魔王の化身に姿を変えた頃。
そのダンジョンの奥の一室で中央の大きな椅子にちょこんと腰をかけていた10歳くらいの少女がニコリと微笑んだ。
「カノーユ姉さまのおっしゃった通り、ついにわたくしのダンジョンに、わたくしがお仕えすべきご主人様が現れたですの」
鮮やかな金色の髪は毛先がクルクルとカールを巻いている。長いまつげに大きなブルーの瞳、すらっと伸びた鼻と小さな口。白のレース調のボンネットをかぶり、同じく白のレースを基調としたドレス。ビスクドールという表現がピタリとあう容姿の可憐な少女だ。
「まさに次の魔王様と呼ぶに相応しい禍々しい魔力の色。ああ、早くお会いしたいですわ。新たなご主人、アルス・ジェイド様」
少女は恍惚とした表情でゆっくりと歩き出す。
「と、その前に、わたくしとご主人様の運命的な出逢いの瞬間を邪魔する不届き者とダンスパーティーをしにいかねばなりませんわ」
少女は手にしていた小さな針で自分の人さし指をプツリと刺す。真っ赤な血が一滴だけ地面に垂れると、そこに大きな魔法陣が現れた。
「ご主人様。わたくしセレスティーヌがお迎えしますわ」
セレスティーヌと名乗った少女は魔法陣に吸い込まれていく。完全に姿が消える寸前にニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「不届き者たちの血で染めた深紅の部屋で」
◇◇
(しまった。罠だったし……!)
カルメンはきゅっと唇を噛んだ。
アルスと合流するため、敵を避けながらダンジョンを進んでいたはずだった。
しかしそれは敵の思惑通りで、大きな広場のような場所に出たところで、大勢の魔物に四方を囲まれてしまったのだ。
「エトムート様からターゲットは男と聞いていたのだが、なんだ? ただの小娘どもじゃないか」
魔物たちのリーダーとおぼしき悪魔がミリアとカルメンに冷ややかな視線を向けて言った。
ミリアは早くも腰の剣を抜き、戦闘態勢を取っている。
「ただの小娘かどうか試させてあげるわ!」
悪魔がニタニタと嘲笑を浮かべながら、一歩また一歩とミリアとカルメンに近づいてくる。
姿がはっきり見えるようになると、その悪魔はダンタデーモンという上級悪魔で、帝国軍の中ではS級に類する魔物であることがわかった。
「ミリちゃん、戦っちゃダメ。絶対に勝てないし」
「勝てないのは分かってる」
「だったら……!」
カルメンが言いかけた言葉をミリアは遮った。
「でもあなたがこの場を脱する隙を作ることくらいできる」
「そんなのできないに決まってる! ミリちゃんを置いて逃げるなんて!」
「逃げるんじゃない。助けを呼びに行って欲しいの」
カルメンの目が大きく見開かれた。
「もしかして……アルスっちのこと?」
ミリアは何も言わずにコクリと頷いた。
「ミリちゃんはそんなに信じてるの? アルスっちのことを」
「もちろんよ。私が今まで出会った人の中で一番強い。英雄とうたわれてるパパよりも断然強いって私は思ってるから」
カルメンはゴクリと唾を飲み込んだ。
「でもうちがアルスっちをここに連れてきた頃には、ミリちゃんはあいつらにやられちゃってるよ……」
「それでも私はいい。こいつらを野放しにしたら、ダンジョンを出てアカデミーを襲うかもしれないでしょ。それを防げるのはアルスしかいないから」
「ミリちゃん……どうしてアルスっちのことをそんなに信じられるの?」
ミリアはわずかに口角を上げて、はっきりと言い切った。
「私だって分からない。でもアルスを一目見た時から感じてたの。この人はきっと英雄を超えた存在になるってね。私は自分の直感を信じてる。だからアルスも信じてる、ただそれだけ。そろそろ時間切れね。いくわよ!」
ダンタデーモンがあと5歩までの距離までやってきたところでミリアは魔法を唱えた。
「風の妖精よ。突風を巻き起こせ! バーニングハリケーン!!」
砂煙を上げながらつむじ風が周囲の魔物を襲う。
だが威力はさほど強くなく、目の前にいたダンタデーモンでさえ片腕で目を守っただけで無傷のままだった。
「はははっ! 弱すぎるぞ、小娘!」
しかしミリアにしてみれば思惑通り。なぜならその場にいたはずのカルメンの姿が煙のように消えていたのだから。
「なるほど。自分を囮にして、もう一人を逃したか」
「逃がしたわけじゃないわ。アルスを連れてくるためにここを離れただけだから」
「くくく。本当にここに戻ってくると思うか?」
「どういう意味よ?」
「俺なら一人で逃げるって意味に決まってるだろ! あははは!」
ミリアはきりっと表情を引き締めた。
「カルメンはあなたとは違う。彼女は絶対にここに戻ってくるわ」
「ほう。なら賭けようか。貴様が相手するのはこの俺だけだ。そして貴様が生きているうちに戻ってきたらあの小娘と貴様の命は助けてやろう」
「ふふ。賭けにならないわ。だってあなたたち全員アルスに倒されるのだから」
「あはははっ! 面白い。だったらまずは賭けの行方を自分の目で見れるように、せいぜいあがくんだな!」
ダンタデーモンが襲いかかってくる。
「ヘルメス・フット」
ミリアは自分に加速のバフ魔法をかけてダンタデーモンの一撃をすんでのところでかわした。しかし完全には回避しきれず、腕の部分の服が破れ、わずかな切り傷ができた。
「ちっ!」
「あはは! さっきまでの威勢はどうした?」
その後もミリアは防戦一方だった。それも仕方ないこと。なぜなら今のミリアの実力ではせいぜいB級モンスターと互角に戦えればいい方なのだから。
むしろS級相手に瞬殺されなかっただけでも善戦していると言ってよい。
だがもうとっくに限界を超えていた。
身体のあちこちに切り傷ができ血がしたたる。さらに息はあがって、立っているだけでも辛い。
「つまらないな。そろそろ終わりにしよう」
薄れる意識の中、ミリアは心の中で観念した。
(アルスならきっと私の敵討ちをしてくれる。カルメン……私、あなたのことも信じてるから。あとは頼んだわ)
広場内は魔物たちの「殺せ、殺せ」というコールで包まれる。彼らの期待に応えるようにダンタデーモンは大きな声で言った。
「では死ね!」
ダンタデーモンが鋭い爪をミリアの喉元目がけて振り下ろそうとした瞬間だった。
「薄汚いハエどもが、やかましいですの」
少女の声が広場全体に響き渡ったのは――。
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