第15話 嵐の予感
「はて? あんた誰だ?」
素っ頓狂な声で俺が問いかけると、シモンはすぐに顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「無礼にも程がある! 今年アカデミーに入学する生徒のうち、ここロイヤルクラスに相応しいのはラインハルト殿下と、この僕、執政アンドレ・バイヨの息子、シモン・バイヨであることは、帝国の全国民が知っていることだ!」
俺は背後にいるトキヤの方に視線を向けて問いかけた。
「トキヤ、知ってたか?」
トキヤはブンブンと首を横に振る。
俺はニタニタと笑みを浮かべながらシモンの方に向き直った。
「少なくともここにいる2人の国民は知らなかったようだぞ」
「お、おまえらのような下賤なやつは国民などではない。単なるゴミくずだ。知らなくて当然だろう」
「なるほど……。ゴミくずね。まあいい。いずれにしても、今回この寮に俺が入るのは皇帝陛下の厚意があってのことだ。もしどうしてもこの寮がいいのなら、自慢のパパに皇帝陛下へ直談判するよう頼むんだな」
俺が手をひらひらさせながらその場を去ろうとすると、足元に金貨5枚が投げられた。
「そいつをくれてやる。それで手を打とうじゃないか」
俺はピタリと足を止め、シモンを睨みつける。
だが彼は卑しいものを見る目を俺に向けたまま不敵な笑みを浮かべていた。
「さあ拾えよ。金が欲しいんだろ? その金でお菓子でも買って食べるといい。一般寮の一室でな」
俺はゆっくりとしゃがんだ。そして1枚1枚、土にまみれた金貨を拾い上げた。その様子をシモンは高笑いしながら見下ろしている。
そしてすべての金貨を拾った俺はシモンの前に立った。
「な、なんだよ? まさか足りないとでも言いたいのか?」
「いや、そうではない」
俺はシモンの右手首を強く握った。
「グギッ! い、痛い! な、何をするんだ!?」
シモンの取り巻きが一斉に動き出す。だが俺が眼光を飛ばした途端に、彼らは金縛りにあって動けなくなった。
「お、おまえら何をしてる!? 早く僕を助けろ!」
「いいか、おぼっちゃま。よく覚えておけ。金を大切にしない者は金でその身を滅ぼす、とな」
俺はシモンの右手に拾った金貨を握らせ、彼を解放した。
そして再び彼に背を向け、寮の方へ歩き出した。
「おまえ! こんなことをしてタダで済むと思うなよ! おまえをアカデミー……いや、帝国から追い出してやる!!」
タダで済まないのは貴様と貴様の親父の方だがな――そう心の中でつぶやきながら、俺は寮の門を開いた。
◇◇
ロイヤルクラスの寮は3階建てだ。
1階は食堂、大広間、台所、リビング、大浴場。2階は俺の部屋、図書室、書斎、さらに使用人たちの部屋が男女別々に2部屋。3階はすべて客室で5部屋ある。
そんなに部屋数は必要なかったのだが、どうしても欲しかったのは『大広間』だった。
別名『謁見の間』というだけあって、部屋の奥に大きな玉座があり、その他は豪勢なシャンデリアとステンドグラスの窓しかない。主にダンスパーティーなどの社交場として用いられるらしいが、俺にとっては別の用途があった。
トキヤが料理のできる使用人をスカウトしに街へ戻っている今、寮には俺一人しかいない。
そこで俺は『大広間』の玉座に腰をかけ、パチンと指を鳴らした。
すると目の前に魔法陣が現れる。これは召喚の魔法陣で、自分の眷属を呼び出せるものだ。
その魔法陣から身長2メートルはあろうかという筋肉質の大男が現れた。彼は大きくて尖った目で俺のことをギョロリと一瞥すると、すぐにひざまずいてこうべを垂れた。
「ご主人、お呼びか?」
「うむ、マルースよ、ご苦労。楽にせよ。ところで人間の体には慣れたか?」
そうこの大男はエンシェントドラゴンのボス、マルース。彼は今、人間に『擬態』しており、マテウスの屋敷の一角で暮らしている。
「はい、しかし少しでも油断すると……」
ぬっと太い尻尾が現れ、マルースは「この通りですわ」と苦笑いした。
「ははは! 少しずつ慣れればよい」
俺が軽く笑い飛ばすと、召喚の魔法陣から現れたマテウスが口を挟んだ。
「マルース殿、そう悠長なことは言ってられませんぞ。貴殿にはそろそろアカデミーから『新たな教師として迎え入れる』という招待状が届くはずですから」
「ふんっ! 重々承知しておるゆえ。この通り、体も昔のように鍛え上げておる!」
俺の入学と同時にマルースには教師としてアカデミーに入ってもらうことにした。
マテウスのコネを使って、半ば強引に送り込ませたのだ。
理由は簡単だ。
アカデミーをぶっ壊す――。
俺が将軍の座を追われ、帝国軍から『追放』された原因を作ったのは、アカデミー出身のお坊ちゃん、お嬢様たちだったからな。俺がアカデミーに恨みを持つのも当然の理というやつだ。
「アルス、アノエル平原について報告するぞ」
聞き覚えのある懐かしい声……テッドである。もちろん彼は一度死んだため、今は魔物だ。斬られた両足、食われた胸部はすべてエンシェントドラゴンのものに変わっている。
今は俺の眷属として、『龍神のほこら』の中ボスに就いてもらっている。
「西の大陸からの侵攻はなく、いたって平穏そのものだ。デビルズとエンシェントドラゴンたちの合同訓練も日々おこなっている。だいぶ戦えるようになってきたぞ」
「そうですか。ありがとうございます。引き続き訓練を頑張ってください」
「ああ、じゃあ俺はこれで失礼する」
ぺこりと頭を下げた後、召喚の魔法陣の上に立ったテッドは、ぎろりとマテウスを睨みつけた。
マテウスの顔がさっと青くなる。その様子を見た俺はテッドをたしなめた。
「テッド兄さん」
「……ああ、分かってる。分かっているさ」
口ではそう言ったが、納得がいかないという顔つきのままテッドは部屋を去った。
まあ仕方ないか。自分を罠にはめて殺した男が目の前にいたら、誰でもそうなるよな。
だがマテウスがいかにクズ野郎でも、今の俺にとっては必要な人間だ。できれば波風は立てないようにしたい。
そんな俺の胸の内を察したのか、マテウスは咳払いをしてから俺の前でひざまずいた。
「報告の通り、アノエル平原は問題ありません。ついては私にも何か任務をお与えください」
「ああ、じゃあ一つ頼もうか。アンドレ・バイヨ——やつのことを徹底的に調べてほしい」
「アンドレ・バイヨ殿、ですか……」
マテウスが言葉を濁すのも無理はない。この頃からアンドレは帝国軍で絶大なる権力を持つ男なのだ。下手に嗅ぎまわれば火傷しかねない。
だがそれくらいのリスクをおかさねば彼を引きずり下ろすことが難しいのも確かだ。
そこで俺はひとつだけマテウスに『魔法』を授けた。
ちなみに主人は眷属に対して『力』を授けることができる。魔法もそのうちの一つなのだ。
俺がマテウスに授けた魔法は『1日に10分だけ別人に成りすませる』というもの。
「これはありがたい! なんとお礼を申し上げればよいか……」
「その分、働いてくれればそれでよい。では早速いってこい」
「はっ! ……ただもう一つ、お耳に入れておきたいことがありまして……」
再び言葉を濁すマテウス。俺はつとめて優しく言った。
「なんだ? 言ってみろ」
「はい……」
とその時だった。
――バンッ!!
大きな音がしたかと思うと、甲高い女の子の声が耳に飛び込んできたのだった。
「アルス・ジェイド! いるのは分かっているのよ!! 私のパパをたぶらかして何様のつもりなの!?」
マテウスが片手で顔を覆った。
その様子を見て、俺の顔からも血の気が引く。
「まさかおまえの言いたいことって……」
「ええ、私の娘、ミリア・ムーアのことです。アルス様と同い年で今年からアカデミーに入学するので、早いうちにご挨拶をと思っていましたが、自分から乗り込んできたようで……」
嵐の予感、とはまさにこのことを指すのだろう。
目の前にいるマテウスと同じように、俺の口元にも苦笑いが浮かんだのだった。
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