第11話 最初の四天王(前編)
20代の頃に幾度となく戦場の最前線で激戦を潜り抜けてきた30代半ばのケーヒンにとって、マテウスの元でおこなう『仕事』は朝飯前だった。はじめのうちは純真な青年たちの両足を奪い、ドラゴンの生贄にすることに良心を痛めていたものだ。しかしそれも今では何も感じない。むしろ臨時収入が苦労せずに転がり込んでくることに喜びすら感じていた。
それは今日も同じ……はずだった。
「やれ」
無機質な声で命令すると、ケーヒンの部下の一人がそっとテントの中に消えていく。
足を斬られた新兵の叫び声が聞こえたところで、残りの5人の部下がいっせいにテントになだれ込む手はずになっている。
しかし、数十秒たっても叫び声が聞こえてこない。それどころか中から誰の声も聞こえてこないのだ。
それでもケーヒンは冷静だった。
「もういい。全員、俺に続け」
「はっ!」
腰の剣を抜いたケーヒンを先頭に6人がテントに入る。
その中は暗く、静まり返っていた。
「どういうことだ……。ん? これは!」
なんと先にテントに入った部下があごから頭にかけて鋭い何かで貫かれて絶命しているではないか。
いったい誰が……。
いや、考えるまでもない。その部下が斃れている横で布団を頭からかぶって寝ている振りをしている新兵に決まっている。
「きさまぁぁ!!」
ケーヒンは怒りに身を任せてその布団をはいだ。
するとニタニタと不気味な笑みを浮かべた少年の顔が目に飛び込んできた。
「志願兵! きさまだったか!」
「はい。殺されそうになったので、やり返しました。上官の命令通りに」
「なんだとぉぉ!!」
ケーヒンが剣を振りかぶる。だがその剣は振り下ろされることはなかった。
――ザシュッ!
いきなり伸びてきた紫色の剣身が彼の両手を一刀のもとで斬り飛ばしたのだ。
「ぐあああああ!!」
涙とよだれを垂れ流しながら、ケーヒンがうずくまる。
すくりと立ち上がった志願兵……アルスはその様子を無表情のまま見下ろしていた。
「どうだ? 奇襲で自分の体の一部を失う気持ちは?」
「き、きさま……。おい! 皆の者! 何をぼさっとしている! こいつをやってしまえ!!」
ケーヒンが懸命に金切り声で命令する。だが彼の部下は誰ひとりとしてアルスに襲いかからない。
目の前の光景に足がすくんでしまい、襲いかかることができなかったのである。
「な……なぜだ?」
それは布団を出た5人の新兵がアルスの背後に立っているだけの光景。しかしその新兵たちは1ヶ月前にマルースに心臓を食われて死んだはずの青年たちだった。皆、肌は灰色で目は赤く光っている。
「ひいっ! ば、化け物だぁぁ!!」
ケーヒンの部下たちが我先にとテントを飛び出していく。
「ま、待て! 俺を置いて逃げるな!!」
ケーヒンもまた這いつくばりながら必死にテントを出る。だが次の瞬間、紫の剣が彼の背中から心臓を貫いた。
「貴様も武人なら敵に背を向けた瞬間に死を意味するのはよく分かっているだろう」
「かはっ……」
ケーヒンが前のめりに倒れて絶命する様子をマテウス将軍をはじめ、彼の部隊の全ての兵が凝視していた。
「お、おまえ……何をしている?」
何が起こっているのか理解できないマテウスが素っ頓狂な声でアルスに問いかける。
アルスはニヤリと口角を上げながら答えた。
「言ったじゃないですか? テッドさんのかたき討ちをしにきたって」
「それがなぜ上官殺しになるんだ!?」
「それを俺の口から言わせる気ですか?」
「な、なんだとぉ!?」
ようやくアルスがすべてを知っていると理解したマテウスは、ありったけの声で叫んだ。
「全員に告ぐ! こいつらは敵兵だ! かかれぇぇぇ!!」
最後に一言だけ付け加えた。
「ただし絶対に殺すな。手足をもぐまでにせよ」
アルスは「どこまでも腐ってやがる」と小さなため息をつくと、こちらも周囲の眷属たちに命じた。
「無念のうちに命を奪われた罪なき者たちよ! 貴様らの仇討ちの時間だ! 思う存分暴れてやれ!」
5体の魔物に対し、マテウスの軍勢は100を超える。
「ははは! そのような寡兵で俺の軍にかなうと思っているのか? 用兵術というものを知れ! 若造よ!」
高笑いするマテウスに対し、アルスは変わらぬ不敵な笑みで返した。
「まともな戦いもせず、のうのうと私服を肥やしていただけのクズが、天才将軍と称されたこの俺に用兵術を語るか」
「なに?」
マテウスが顔をしかめた次の瞬間、アルスは右手の剣を天にかざした。紫の炎が夜空に向かって高く上る。するとキャンプの周囲の森から一斉にうめき声が聞こえ出した。
「な、なんだ!?」
にわかに困惑したマテウスの兵たち。そこに森から飛び出してきた魔物たちが一斉に襲いかかってきた。
「うわあああ!!」
50体のアルスの眷属による奇襲である。ふいを突かれたマテウスの兵たちは混乱の極みに陥った。
「み、みな! 慌てるな!! 敵の数は少ない! 態勢を立て直すのだ!」
マテウスが必死に号令を飛ばす。
だがアルスはその隙を与えなかった。
「無限の風よ。敵を切り裂く刃となれ! ウインドスラッシュ!!」
アルスの唱えた風の魔法が、無防備な兵たちの背中を切り刻んでいく。
「ぐあっ!!」
ウインドスラッシュは基礎的な魔法のため、さしたる殺傷能力はない。
だが前からも背からも攻撃をされるという恐怖心を植えつけるにはじゅうぶんな効果があった。
「くっそ! これでも食らえ! ファイアボール!!」
今度はマテウスがアルスに向かって魔法を放つ。
しかしそれをアルスはあっさりと片手で受け止めた。
「ぬるいぞ。マテウス。これがエンシェントドラゴンを100体以上倒した『エンシェントキラー』の実力か? だとしたら、つくづく残念だ」
「な、なんだとぉぉぉ!!」
マテウスが怒りに身を任せて剣を突き出す。
それをアルスは短剣で軽く振り払った。
カンという高い金属音が響く。
「なっ!?」
渾身の一撃をあっさりとはじき返されたことに唖然とするマテウス。そんな彼のすぐ目の前まで一気に距離をつめたアルスは、右の拳をマテウスのみぞおちに深々と突き立てた。
「ぐはぁぁぁ!!」
マテウスの背がくの字に曲がる。そのがら空きなあごにアルスは右のアッパーカットを飛ばした。
――ドゴンッ!!
爆発したかのような轟音とともに、マテウスがエビぞりになって吹き飛ぶ。
「無残に殺された若者たちの無念を思い知れ。クソ野郎」
仰向けに倒れたマテウスの右ひざをアルスは思いっきり踏みつける。
バキッと鈍い音がした。
「膝が! 膝がぁぁぁ!!」
皿を粉砕された右ひざを抱えながら転げまわるマテウスを見下ろすアルスは、小さなため息をついた。
「情けない……それでも帝国の将軍か……」
心底失望した、と言わんばかりに冷たい視線をマテウスに浴びせた後、アルスは周囲を見渡した。
彼の眷属である死霊軍団はマテウスの兵たちを圧倒しているようだ。かろうじて生き残った兵たちは散り散りになって逃げ回っている。
「さあ、そろそろメインディッシュの時間でもいいんじゃないか?」
そうアルスがつぶやくと、巨大な黒い影が空から落ちてきた。
――ドスンッ!!
マテウスとアルスの間に降り立ったのは巨大な金龍。
「ヒーローは遅れてやってくるって感じの登場だな」
「ああ? 遅いと思ってわし自ら来てみれば、なんだ? このざまは」
エンシェントドラゴンの大将。マルース。
その巨体を見上げたアルスの目は冷たかった。
「このざま、とは俺の台詞だ。かつて帝国の猛者たちを何人も倒し、魔王軍の猛攻にも一歩も引かずに追い返したという伝説のドラゴンが、なんという無様な体つきか」
「なに?」
「俺の眷属となれ。そして、かつての貴様の勇姿を取り戻し、俺の駒となってこの世界を蹂躙するのだ」
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