第9話 生意気な志願兵(前編)
◇◇
帝国で兵になるには3つのルートがある。
1つ目は帝国軍のアカデミーを卒業すること。
アカデミーには、貴族階級の子息または令嬢か、上級貴族からの推薦でしか入ることはできない。17歳で入学して20歳で卒業。その後は幹部候補として前線にはほとんど出ない。
よほどのヘマをしない限りは指揮官への道が約束されている。
2つ目は徴兵。18歳以上の貴族以外の階級の男性を対象に、毎年数百人に『黒紙』が届く。
たいていは激戦の前線部隊に配属されて、アカデミー出身の兵士たちの盾となって戦う。
3年以内の死亡率は90%を超える。生き残ったとしても、その後も各戦場を転々とし、最期まで一兵卒として死ぬことがほとんどだ。
単なる自慢だが、20年以上も生き残って、帝国の精鋭部隊を率いる将軍になるケースは、恐らく後にも先にも回帰前の俺一人だろう。
3つ目は志願。16歳以上ならどんな階級の人間でも志願兵として前線に出ることができる。
しかもどの将軍のもとで働くかという希望も出せる。その希望が通ることはごく稀だが、マテウス軍への志願が100%通るのは、『生贄』が自ら転がり込んでくるわけだから当たり前の話だ。
さらに言えば、志願兵は1回でも前線から生き延びられれば、軍を辞めて一般人の生活に戻ることができるのだ。そしてその後、二度と『黒紙』が届くことはない。
したがって大商人の跡取り息子たちが貴族へのコネを活かして、形だけの志願をして前線に出る。前線といっても戦場の遥か後方で優雅にお茶を飲みながら1週間を過ごし、さも戦場で大活躍したかのような土産話を引っさげて軍を出ていくのである。
そうでないケース、つまり一般の平民が志願するのは、生活に困窮してやむなく、という場合がほとんどで、そういう者たちは100%1年以内に死ぬ。
今回、俺は志願した。言うまでもないが、『100%1年以内に死ぬケース』に該当する。トキヤをはじめ、周囲の誰もが反対したのも頷けるというものだ。
出立を翌日に控えたこの日、パン屋への買い出しの帰りにバッタリ出くわした金髪のハーフエルフの少女もまた同じだった。
「この前は、ありがと」
「単に礼を言うために俺を待ち伏せしてたってわけじゃなさそうだな。言いたいことがあるなら言ってみろ」
「……行っちゃダメ」
消え入りそうなか細い声だ。わずかに緊張で震えている。
もう1ヶ月以上も前になるが、自分を襲おうとした人間の蛮行を止めたとはいえ、背中から腕を突き刺して心臓をえぐった俺を怖がるのも無理はないかもしれない。
しかし彼女の金色の瞳は、恐れることなく俺を真っすぐ見つめていた。
その瞳を見ると、どうも調子が狂う。なんというか、胸にくすぶり続けている復讐心の炎が浄化され、とても穏やかな気持ちになるのだ。
俺はそれが嫌で目を少しだけそらしながら言った。
「俺がどこへ何しに行こうが俺の勝手だろ。名前も知らないお前なんかに関係はない」
「ルナ……私の名前」
「名前を知ったからといって、俺が素直に従うと思うか?」
ルナと名乗ったハーフエルフの少女は、ブンブンと首を横に振った。
「だったら意味ないだろ。俺と止めようとしたって」
俺はルナの横を通り過ぎる。するとさっきよりも力強い声がルナの口から発せられた。
「私見えるの! 恐ろしい未来が!」
ピタリと俺の足が止まる。
「なんだと……? どんな未来だ?」
ルナはゴクリと唾を飲み込むと、再び声を震わせた。
「みんな殺される……人もドラゴンも……紫の悪魔に……」
俺は思わず振り返った。
まるでこいつはこれから起こることを知っているかのような口ぶりではないか。
俺がエンシェントドラゴンと対峙する前線に配属されることを。
「お前……。じゃあ、聞かせてくれ。その場で俺は何をしている? 周りのやつらと同じように殺されるのか? 紫の悪魔とやらに」
ルナはブンブンと再び首を横に振った。
そして細い指で俺を指さした。
「悪魔に乗っ取られる。身も心も。だから行かないで」
ゾワリと背筋に悪寒が走った。
どういうことだ? なぜそんなことを口にすることができる?
その時、俺の耳元で聞き覚えのある声がささやかれた。
「この子。危険だわ。殺してしまいなさい」
ふとその声の持ち主の方に目をやる。そこにはいつにも増して冷たい表情のカノーユが突き刺さるような視線をルナに向けていた。
もちろん彼女の姿は俺の他の者には見えないはずだ。
しかしルナは俺ではなく、横にいるカノーユを真っすぐ見つめているではないか。
「さあ、早く。近くの雑木林に連れ出せば、誰の目にもとまらないはずよ。もし誰かに見られたら、その者も始末すればいい」
いつもどこか人を小馬鹿にしたような冗談しか言わないカノーユが、本気で俺にルナを殺すようけしかけている。それは半ば脅しのようにも聞こえた。
「アルスさん。騙されないで」
「なぜ俺の名を知っている?」
「トキヤから聞いた。でも今はそんなこと関係ない。約束して。戦場にはいかないと。じゃないと私……」
「じゃないと? お前はどうするつもりだ?」
今度はルナが俺に背を向け、その場を後にしはじめた。
その背中をじっと見つめていると、ルナは足を止め、顔を半分だけこちらに向けて言い放った。
「私がいつかアルスさんを殺すことになるから」
いったい何なんだよ、あのハーフエルフは。
悲哀を携えた目。自分の恩人をその手にかけなくてはならないという悲壮な運命を呪っているようにも見える。
そっと目をそらした彼女は俺に背を向けた。
その無防備な背中を目にしたとたんに、腰に差した短剣へと右手がひとりでに伸びる。
「何をためらっているの? さあ、やってしまいなさい。それがあなたのためよ」
カノーユが文字通りに悪魔のささやきを容赦なく浴びせてくる。
だが俺の右手は彼女の彼女の姿が見えなくなるまで、短剣の柄を握ることをしなかった。
そうして教会に引き返そうとした時、再びカノーユの声が聞こえてきた。
「情に流されていたら、いつか己の身の破滅を生むわよ。だって彼女は――」
そこで声が途切れた。周りを見渡しても彼女の姿はどこにもない。
「訳わかんねえよ。ったく」
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