第8話 クズな取引き(後編)

◇◇


 この世界は、人間、魔物、ドラゴンの3種族が領地争いを遥か昔から繰り返している。

 5つある大陸のうち、いずれの大陸でもそれぞれの縄張りがあり、その境界では互いの戦力が絶え間なくぶつかり合っていた。

 南の大陸にあるアスター帝国では、魔王軍と争う北の前線が最激戦地で、魔王領に位置するミゲル渓谷の奪還が帝国にとっての悲願だった。

 一方でドラゴンについては、彼らの本拠地が南の大陸からはもっとも遠い北の大陸ということもあり、南の大陸で人間との間にあまり激しい戦いはなかった。それでも魔王軍と互いに領土不可侵の条約を結んだうえで、ドラゴン族の中でも最強の部類にあたるエンシェントドラゴンを配した。そして大陸の西側に広がるアノエル平原を占領し、平原の西の果てにある『龍神のほこら』というダンジョンを守っていた。そのダンジョンの中には『龍神の玉』という宝玉が隠されているらしく、その宝玉を奪えば、南の大陸にいるドラゴンたちは、大将のマルースを除いて全員が理性を失い、互いに殺し合うようになると伝えられていた。つまり南の大陸からドラゴンを駆逐するには『龍神のほこら』を攻略するしかなかった。

 俺も回帰前に『龍神のほこら』のすぐ手前まで偵察へいったことがあるが、10体以上のエンシェントドラゴンに守られており、とてもじゃないが正面突破は無理だと判断したおぼえがある。


 では人間軍、つまりアスター帝国軍の戦略はどうだったか。

 それは単純明快なもので、ドラゴンを駆逐し、西と南の両面から魔王軍を攻めるというものであった。つまり西の前線の攻略は、北の要衝ミゲル渓谷を抑えるのと同じくらいに重要なミッションだったわけである。


 そのミッションの責任者であるマテウスがあろうことか、エンシェントドラゴンのリーダー、マルースと結託していようとは……。


「皆のもの! よく聞け! あやつら『生贄』の葬式代として帝国から一人当たり10枚の銀貨が支給される。そのうち1枚はお情けで教会に渡してやろう。残り9枚の6人分……つまり54枚は、おまえらで平等に分けるといい!」

「おお! マテウス様、最高!!」


 テッドたちの両足首を切断した兵たちと、彼らをエンシェントドラゴンがいる平原まで運んできた兵たちが一斉にわき上がる。

 そうか……。こいつらもやはりグルか。

 テッドがほふく前進でマルースから必死に逃げる。


「こ、こんなところで死んでたまるか!!」


 もういい……。


「俺は……俺はアルスと約束したんだ! 立派な功績を挙げて、美味しいものをたらふく食わせてやると。だからこんなところでくたばるわけにはいかない!」


 他の5人がその心臓を食われる中、テッドはズリズリと体を動かし、ついにマテウスの足元までやってきた。

 そして彼の足をつかんで懇願した。


「お願いです! なんでもします! だから助けてください!!」


 もうやめろ……。


「ふん。生贄風情がマテウス様に向かって口を開くんじゃねえ」

「ぐあっ」


 そうか……。顔のあざはマテウスの部下たちに足蹴にされたからだったんだな。

 テッドは力持ちだったけど、顔は色白でまるで女神様のように綺麗だったんだぜ。その顔を傷だらけにしたのはおまえらだったというわけか。


「さあ、残るは貴様だけだな」

「や、やめてくれ!! お願いだ! うあああああ!!」


 エンシェントドラゴンのマルースがテッドの真上まできて、彼の胸に鋭い牙を突き立てた。


「アルス……。みんな……。ごめんな……」


 テッドの目から涙があふれる。しかし次の瞬間にはその目から光が消えた。


「やめろぉぉぉぉ!!」


 俺の感情がついに爆発した。

 無論、目の前のクソったれどもの耳には届かない。

 だから俺は隣でニタニタしているカノーユに向かって手を伸ばした。

 だがその手は虚しく空を切る。彼女はここでも幻覚なのか。


「ふふ。何を怒っているのかしら? 本来ならば感謝すべきことでしょ?」

「なんだと!?」

「だって、あなた。マテウスのことを『エンシェントキラー』として英雄視してたじゃない」


 その言葉に俺ははっとした。

 確かに言われてみればその通りだ。俺はマテウスのことを『優秀な将軍』として尊敬していた。テッドの件についても、自分の命の危険がある中、新兵の遺体を戦場から運び出してくれたことに感謝すらしていたくらいだ。


「目の前のことばかりに気を取られていると、肝心なことを見落とす――それが鉄壁の軍団のほころびにもつながるものよ。それが分かっただけでも感謝しなさい。私に」


「くっ……あ……がとよ」

「んん? 聞こえなーい!」


 カノーユが耳に手を当てて俺に近寄る。

 ええーい、癪だが彼女の言う通りだ!


「ありがとよ!!」


 彼女はニコリと微笑んだ。悔しいがその笑顔も可愛らしい。


「さて、じゃあ次は何をするの?」


 俺はコホンと咳払いをした。そして自分でも驚くほど低い声で答えた。


「1体目の四天王を我が眷属として迎えてやろう」


 カノーユは嬉しそうに目を細める。そして次の瞬間には俺の意識は遠のいた――。


◇◇


 エンシェントドラゴンは金色のウロコに覆われた最上位種のドラゴンだ。その鱗は火、水、氷、風、土のいずれの属性にも耐性があり、しかも流通している中では最上級の鉱石であるミスリルをも弾くほどの耐久力もある。つまり完璧な防御力なのだ。唯一の弱点はひたいから生えている1本の角。この角を折られるとエンシェントドラゴンは死んでしまう。もちろんこの角も相当固く、かの伝説の鉱石オリハルコンと並んで称されるほどの強度だ。しかし角の生え際だけは他の部位に比べれば斬りやすい。そこをピンポイントで狙うには相当な剣の腕前がいるわけだ。

 俺もアジュール・イーグルの将軍だった頃は何度かエンシェントドラゴンに遭遇したことがあるが、その都度戦いを避けることに集中していた。

 だからこそ100体のエンシェントドラゴンを倒したマテウス将軍は英雄だったのである。

 しかしその実態は違った。

 エンシェントドラゴンのボス、マルースは唯一の弱点を克服した希少種だった。すなわち角を折られても死なない。それどころか再び角が生えてくるのだ。その特性を見抜いたマテウスは取引を持ち掛けたのだろう。


 ――若い兵たちの心臓とおまえの角を交換しないか?


 と。マルースとしても戦わずして新鮮な食い物を得られるならそれに越したことはない。


 ――いいだろう。人間よ。ただし月に1度必ず贄を捧げよ。


 マテウス将軍は決まって月に1度はエンシェントドラゴンの角を持って帰った。その都度、若い兵たちが犠牲になっていたことも周知の事実であったが、そこに疑いの目を持つ者は誰ひとりとしていなかった。

 そうしてマテウス将軍は下級貴族から上級貴族である侯爵まで昇りつめた。さらに持ち帰ったエンシェントドラゴンの角を金貨1枚で売り払っていた事実もこの時知った。金貨1枚といえば、それだけで教会の子どもたちが1年は食うに困らないくらいの大金だ。それを月に1回ずつ得ていたのだから、帝都の郊外に巨大な豪邸を構えていたのも頷ける。


 罪のない青年たちの無念のうえに、あぐらをかいて高笑いしているのがマテウス将軍という人間、というわけだ。クズ過ぎて、もはや笑えない。


 テッドの葬式が終わってから1ヶ月が経った。

 言うまでもないが、テッドをはじめ6人の死んでいった若い兵たちは皆、葬式が終わったその日の夜に俺の眷属にしておいた。


「あ、兄貴! ど、どういうことですか!? これ!」


 夕食後にトキヤが真っ青な顔で俺を問いつめた。その手には『黒紙』がしっかり握られている。その宛先はアルス・ジェイド、すなわち俺だったのだ。

 

「どういうことも何もないだろ? 俺は兵士になるんだ」

「で、でも徴兵される18歳以上と決まってるじゃんか!」

「だから志願したんだよ。そうすれば16歳以上なら男女関係なく兵士になれる」

「そんな……。わざわざ志願なんてしなくてもいいのに……」


 シュンとなったトキヤの頭を優しくなでる。


「大丈夫だ。俺が配属されるのは、かの『エンシェントキラー』マテウス将軍の部隊だ」

「で、でもその部隊はテッド兄さんが……」


 俺は最後までトキヤに言わせなかった。


「大丈夫だって。俺が立派な功績を挙げて、美味しいものをたらふく食わせてやる!」

「……」


 納得がいかない、といった表情のトキヤを置いて、俺は玄関に向かった。


「毎日、こんな遅くに出てくけど、どこに行ってるの?」

「ちょっと墓地の方までトレーニングにな」

「墓地でトレーニング?」

「ということで、んじゃ。お子様は早く寝ろよ」

「お、お子様なんかじゃないもん! 俺だってもう14歳の立派な大人だい!」


 ぷくっと頬を膨らませたトキヤにニコッと笑みを見せた後、俺は外に出た。

 さてと……。トレーニングをはじめるとするか。

 俺の眷属たちの――。

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